元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「緑の光線」

2016-08-08 06:20:56 | 映画の感想(ま行)
 (原題:Le Rayon Vert )86年作品。同年のヴェネツィア国際映画祭で大賞を獲得した映画だが、私は最近行われたエリック・ロメール監督の特集上映で初めて観ることが出来た。世評通りの優れた内容の作品で、特に主人公の内面描写には卓越したものがあり、鑑賞後の満足度も高い。ロメールがフランス映画史上屈指の演出家であることを再確認できる。

 デルフィーヌはパリのオフィスで秘書をしている30歳前後の女。夏休みを前にしても気分が晴れない。というのも、ボーイフレンドと別れたばかりで、しかも一緒にギリシアに行く予定だった友人からキャンセルの連絡が入り、バカンスの予定が全く組めなくなっていたのだ。そんな彼女を見かねた別の友人が、シェルブールの実家に誘う。友人の家族は親切で、デルフィーヌもノンビリと日々を送るが、やっぱり物足りなさを覚えてパリに帰る。



 次に山岳リゾート地に出かけた彼女だが、泊まる予定のはずが急に気が変わってその日のうちに帰宅する。とはいえパリに一人でいるのは寂しく、今度はビアリッツの海岸に出かけるが、そこで観光客のグループが“太陽が沈む瞬間に放つ緑の光線を見た者は幸せを掴む”という話をしているのを聞く。デルフィーヌは果たして自分にも緑の光線が見える瞬間が訪れるのかどうか、思い悩むのだった。

 ハッキリ言って、デルフィーヌは“面倒くさい女”である。自意識の高さは手が付けられないほどで、自身の見解は蕩々と述べるが、他人からの深い干渉はシャットアウトする。何か行動を起こすたびに、自分の中であれやこれやと言い訳を作り、どれも中途半端に終わらせてしまう。極めつけは、恋愛沙汰はすべてがゲームだと思っており、それらしいプロセスを経ないと成就しないものだと信じ込んでいる。

 こういう女は一生結婚出来ずにトシを取ったら孤独死するのが関の山だ・・・・と誰しもネガティヴな印象を持ってしまうのだが、何とロメール監督はそんな彼女を、共感すべきキャラクターに仕立て上げてしまう。デルフィーヌは自分の一筋縄ではいかない性格を自覚している。彼女としては他者と対等な関係を持つには、それ相応の“切り札”を保有していなければならず、そうでなければ心配でたまらないのだ。



 何ともくだらない、何とも低レベルの認識なのだが、終盤その内心を旅先で出会った者達に絞り出すように告白する彼女の姿には、胸が締め付けられた。そうなのだ。程度の差こそあれ、誰だってデルフィーヌみたいな屈折した感情を持っている。たまたま彼女はそれに正面から向き合ってしまったため、苦悩しているだけなのだ。

 取っつきにくい性格のヒロインは、実は人一倍純粋だったという鮮やかな価値観の転換を軽々とやってのける、この作者の力量。舌を巻くしかない。そして彼女が恋愛はゲームや駆け引きではなく、ハートであることをやっと認識するくだりには、しみじみとした感動が味わえる。

 デルフィーヌ役のマリー・リヴィエールは好演。ロメールと共に脚本にも携わっている。各バカンス地の風景やストイックなジャン=ルイ・ヴァレロの音楽も魅力的。それにしても、フランスは夏期休暇は長いことに驚かされる。何しろ映画の冒頭が7月上旬で、そこから休みに入って8月になっても、まだ休暇は終わらないのだから、何とも羨ましい限りだ。

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