元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

2008-05-17 06:40:31 | 映画の感想(さ行)

 (原題:There Will Be Blood )ポール・トーマス・アンダーソン監督の成長ぶりを如実に示す一作。エンドクレジットで“ロバート・アルトマンに捧ぐ”という一節が出るが、本作はアンダーソン監督が「ブギーナイツ」や「マグノリア」といったアルトマンのエピゴーネンに過ぎないような凡作を手掛けていた頃から完全に一皮剥けて、骨太なドラマツルギーを擁した正攻法の映画作家として歩み出した一本だ。だからこの一文はアルトマンへの敬意はもちろんのこと、彼の模倣との“決別宣言”と捉えて良い。

 20世紀初頭に実在した石油王エドワード・ドヒニーなる人物をモデルにしたアプトン・シンクレアの小説「石油!」を基に描かれた映画。ダニエル・デイ=ルイス扮する主人公ダニエル・プレインビューの凄まじい生き方が画面を圧倒する。

 人生のすべてを石油採掘による金儲けに費やす男。それが“息子”だろうと“弟”だろうと、利用できるものは何でも使い、そして捨てる。一部の評に“プレインビューが本当に家族を欲しいと思っているのかどうか、上手く描けていない”とあるようだが、それは皮相的な感想だ。

 たぶん劇中で主人公が“息子”に対して愛情を示す点や、腹違いの“弟”の面倒を見るくだりが、終盤近くの阿修羅のごときプレインビューの振る舞いと矛盾すると指摘しているのだろうが、脳天気な娯楽映画でもない限り“徹頭徹尾、悪の権化”とか“心の底からの聖人君主”とかいった単純すぎるキャラクターは設定されることはないのだ。

 このプレインビューだって、生身の人間である限り一から十まで石油掘りと金儲けしか考えない亡者ではあり得ない。非情のように見えて実は家族想いであっても一向にかまわない。相反する内面の要素を併せ持つからこそ、年齢と共にどちらかの性質が肥大して一方が弱体化してしまう、そのやるせなさが迫ってくるのである。

 さらに本作は、人間らしいその複雑性を早々に捨て去ってしまった登場人物を主人公と相対する位置にセッティングするという妙技を見せる。それはポール・ダノ演じる若い神父だ。彼は信仰・・・・というよりカルトに身を置くことにより、世間一般の“公”から逸脱した人間だ。プレインビューは彼を忌み嫌っていながら、結局は彼と似たような境遇で人生の黄昏に差し掛かってしまう。

 主人公は自分の一方の内面を体現している神父と最後の“対決”を見せるのだが、その結末の苦々しいこと。以前のポール・トーマス・アンダーソンならば、自分だけを高みに置いたような鼻白む描き方でお茶を濁すところだろうが、本作での目線は登場人物と同等・・・・とは言えないまでも“ちょっと上”ぐらいまでにはシフトダウンしており、切迫度は目を見張るものがある。

 ロバート・エルスウィットのカメラによる、ざらついて奥行きのある映像は見応えがあるが、興味深いのは音楽だ。何とレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドが担当しており、現代音楽風のアプローチで画面を盛り上げる。正直言って本物の現代音楽の作家にまかせた方がもっと良い結果になったのかもしれないが、これはこれで健闘していると言って良い。それと、ブラームスのヴァイオリン協奏曲が素晴らしい効果を上げている。

 我が国の「血と骨」に通じるところもあるが、徹底しているという意味で本映画のヴォルテージが圧倒している。ハリウッド作品に慣れた観客には辛い映画だが、見応えはあると思う。
コメント (4)
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