HAPPY MANIA

おいしい、まいにち。
あじわう、せいかつ。

神様のボート

2005-08-23 23:21:24 | ☆BOOK☆


「神様のボート」 江國香織 著

この本を手に取るのは、2度目。

はじめて読んだのは何年前だろう…
待ち合わせの時間にあまりに早く着きすぎてしまって、
品川のカフェで読んでいたのは覚えているんだけど。

そのときはどんなふうに感じたのか、さっぱり思い出せない。
きっと、“思い出せないくらい”だったんだと思うな。

その時のわたしは。
とても、憂鬱で生ぬるい、窮屈で平和な日々を送っていたから(笑)



このお話は。
ながいながい間(十数年間も!)愛する人を待ち続ける葉子さんと、
その娘、草子ちゃんの物語。


葉子さんは、どんなに彼が素敵だったか、
たくさんたくさん草子に言って聞かせるのだけど。
いちばんステキだ☆と思ったのは。

「ママによれば、パパは肌の温度が高く、
 肩の下のくぼみが、ママのほっぺたのかたちにぴったりなのだという」
っていうところ。

ステキでしょ☆

自分のほっぺたのかたちにぴったりの人を捜すのは無理だけど。
好きになった人がぴったりだったら、
それはそれはうれしいと思う!!!

葉子さんは、とてもロマンティスト。


誰かを好きになると。
好きだから、しあわせなのか、
しあわせでいるために、好きなのか、
その境目が分からなくなってしまうときがないかしら?

葉子さんの場合。
本当は、しあわせでいるために、好きなのに、
好きだから、しあわせ、と思いこもうとしているように思えてしまう。
これは、とてもさみしいことだけれど。


ただ。葉子さんの、


一度出会ったら、人は人をうしなわない。
たとえばあのひとと一緒にいることはできなくても、
あのひとがここにいたらと想像することはできる。
あのひとがいたら何と言うか、あのひとがいたらどうするか。
それだけで私は勇気がわいて、ひとりでそれをすることができた。


っていう、「強さの作り方」は参考にしようと思います♪
これって、たよっているようでたよっていない。
ちゃんと、自給自足なかんじがするでしょう?!


あとがきには、

海にでるつもりじゃなかった。
人生にはそういうことがときどきあって、
「彼女」の人生もたぶんそんなふうにして、
それまでの生活からきりはなされてしまったのだろうと思います。

こんなふうに、書かれている。

もちろん。
「海にでるつもりじゃなかった」んだろうな、と思う。
でも、海にでるつもりじゃなくても、
海にでてしまうときがある。
それは、なんとなく、わかるような気がする。




話は変わりますが。

夏休み&出張ラッシュで、会社ではおみやげ天国です。
きょうは、「白い恋人」と「のし梅」でした☆

「まりも」とどっちにしようか悩みに悩んで、
結局「白い恋人」にしちゃったよ!って言ってましたが。
わたしは、その、「まりも」と迷うところがとても好きです♪

「白い恋人」は冷蔵庫で冷やす!に一票☆

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2 コメント

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「ゆれる」と反対がわの視点☆ (satoru)
2006-09-04 23:01:39
おひさしぶりです。



「ゆれる」と、本質的に根っこは

おなじようなテーマだと思うのですが、

それとはちょうど反対側の視点で

書かれているこの記事を思い出しました。

…なので、コメントは「ゆれる」ではなくて

あえて「神様のボート」に書かせていただきますね。



たしかに、人と人との関係はゆるやかで

変わりゆくもので、ときにむなしく

アンハッピーな運命もあるけれど、

ぼくは人生ってトータルでみると

そんなに悲観的なものではなくて

たとえそれが瞬間最大風速的に

本意ではなかったにしても

「想像力」で補えるものだと信じています。



さらにいうなら

不安になったり絶望に陥ったりするような

人生のピンチの場面で

この「想像力」を発揮できることこそが

人としてほんとうの「強さ」であり、

人と人とが出会った意味であり価値でもあると

思います。



「一度出会ったら、人は人をうしなわない」という

”強さの自給自足論”は、まったくそのとおりで、

「たのしさ」とか「思いやり」とか「やさしさ」とか…

どのエッセンスをとってみても、

これからの時代、仕事でもプライベートでも

「想像力」こそが

おおきな鍵になるような気がしています。



「こんなふうにしたらきっとわくわくするんだろうなぁ」

という「想い」があって、そのサブセットとして

「じゃあ、それをどうやって実現すればいいかなぁ?」

という「方法(=手段)」がある。



それがCHACOさんの場合には

ことばだったり、写真だったり、料理だったり、

ときには笑顔という裏技(?)だったり…

どれも洗練されていて、

何日もグツグツ煮込んだシチューのように

味わいがあるのがいいですよね。



ぼくも、あとから振りかえってみたときに

出会ったあとの自分が、出会うまえの自分に

いつでも胸をしゃんと張って

「オレ、前より成長したんだ!」

と自信をもって言えるためにも

毎日をきちんと大切につみかさねて

生きていきたいと感じました。



応援していますね☆
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☆satoruさんへ☆ (CHACO)
2006-09-05 00:14:51
こんばんわ。

コメントありがとう。



「神様のボート」今でもとても好きな本のひとつです。



この本を読むたびに、

ひとを好きになる意味、を考えてしまう。

すきになるってことは、

自分の思いを満たすことだけじゃなくて、

ほんとうは「強くなる」ことなんだと思うな。



だって、

たのしいときはもちろんだけど、

辛いときこそそのひとの存在をすぐ隣に感じるもの。

そして、もう少しがんばろう、って思える。



その、だいすきなひとに

恥じない自分でありたいと思う。







わたしにとっても「想像力」は大きなテーマです。

やさしさも、強さも、いたわりも、

想像力から生まれるものよね。

友達や家族や恋人を、

たいせつに思う気持ち、愛する気持ちっていうのは、

想像力なくしては拡がっていかないと思うの。



大きなこころで、

“私ではない誰かの視線”でものごとを見てみると

後ろ側にある何かに気付いたり、

そのことでいろんなことが許せたりしないかな?

みんなが、そんな気持ちになれたら

もっともっと世界は豊かで平和になれると思うんだ。



その“誰かの視線”に立つことも、

想像力がないと出来ないことでしょう?





自分のしあわせを追求することは、

とてもたいせつなことだと思う。

貪欲でも、いいと思う。



でも、自分のしあわせだけを考えていては

自分のしあわせにも限界があると思うの。



決して偽善的な意味ではなくて、

(satoruさんにはいつも同じことを言うようだけど)

しあわせの上にしか、しあわせは成り立たないでしょう?



みんなが、

その人なりの、その人だけの、しあわせを見つけて、

誰かのしあわせも祈りながら生きていくことが、

世界の平和、みたいな大きなことの始まりなんだと思います。





個人的には、

愛する人を待つことで強くなるのではなく、

愛する人と一緒に生きることで強くなりたいです。



わたしも、これからの毎日、

ただ細胞を老化させていくだけでは悔しすぎるので(笑)

積み重ね、成長できる日々をたいせつに過ごしたいと思います。





satoruさんの「これから」に、

スペシャルな期待と応援をこめて♪

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