今日は、パルコ劇場に、
「LAST SHOW」というお芝居に行ってきました☆☆☆
長塚圭史の作品は、絶対観なければ!!!とず~っと思っていて、
なのに、
予定が合わなかったり、チケットが取れなかったりで、
なかなか観に行くことができくて。
今日、やっと、実現!!!
で→→→
やっぱり、行くべきでした☆☆☆
あれだけ、笑かしといて、
最後に泣くとは思わなかったよ~。
すっごく、よかった☆
感動した☆
もうもう、なんといっても、
古田新太がさいこうにいい!!!
野田秀樹の「走れメルス」でも、
これは恋におちる☆と思ったけど、
今日も、おちた(笑)
(↑恋に落ちるような、役では、全くない、にも関わらず)
古田新太・松尾スズキ・松村武
この3人には共通の何かがあって、
それに、わたしは、とっても惹かれる。
すごく、すき。
このお芝居。
最後の最後、15分くらいまでは、笑いっぱなし。
かなり、ど~ん☆って感じで、笑いがおきる。
しかし、
決して、コメディーじゃない。
こういう作品を作るって、ほんとにすごいと思う。
笑いと、深い思考。
最後、
風間杜夫演ずる父が、こんな台詞を言う。
死ぬことが、恐い訳じゃないんだ。ただ、さみしいんだ。
晴れた日に窓を開けると、
植物のにおいがしたり、子供の笑い声が聞こえたりして、
でも、自分は死について考え続けている。
自分が死んでも、変わりなく、
植物のにおいがして、子供は笑い続ける。
変わらない。
恐い訳じゃなくて、さみしいんだ。
そう言って、死んでいく。
このお芝居を観て、
生と死について、とか、親子の関係について考えた。
生命の繋がり、命のリレー、みたいなこと。
人は、生まれて、産んで、死んでいく。
生きることと死ぬことは、対極のように思われるけど、
本当はそうではなくて、
死は生に含まれて存在している。
生きることは、同時に、死ぬこと、でしょ?
だから、わたしはあまり、
死んでしまうことが恐いとは思わなかったし、
生きることへの執着もそんなにない、って思ってたの。
でもね。
5年くらい前、とても大きな地震があった。
その時、わたしは、温泉旅行に行っていて、
伊東の、ビルの5階にあるカフェで、お茶してた。
すごく揺れて。
テーブルからコーヒーカップが落ちて、割れた。
棚から、たくさんの食器が落ちて、割れた。
恐かった。とても。
死ぬのが恐くないなんて、うそだ、って思った。
生きること、死ぬことについて、
誰でも、考えてしまう。
もちろん、わたしも、考える。
でも、それは、考えることに意味がないわけではないけど、
もっと超越した「本能」に支配されているような気がする。
考えても、答えはだせない。
少なくとも、わたしの力量では及ばない。
「ガイアシンフォニー」を観て感じたように、
きっと、
生まれたからには、自分の命を全うするしかないんだと思う。
少し前のR25の石田衣良のエッセイで、
「みんな、死ぬな」というのがあって、
わたしは、それを忘れられない。
自殺者の増加についてのエッセイだった。
最後の瞬間まで、生きることに執着をもち、
迷い続けるのが平均的な自殺者像だという。
でも、その迷いや苦しみこそ尊いものだ。
すべては、よりよく生きたいという望みから、
その苦しみも生まれてくるからだ。
そして、最後は、
「みんな、死ぬな!」という言葉で締められていた。
たしかにね。
死んでしまえたらどんなに楽か、っていう境地に、
追い込まれることは、ある。
でも、なんとか、
もう、生きていられません、っていう肉体的な状態になるまでは、
やれるだけのことはやろうと思う。
っていうか、やらないとね~。
なんだか、最近、こんな話題が多いね☆
「いま、考えておきなさい!」っていう、メッセージなのかしら?
もう充分、お腹いっぱい、ってかんじなんだけどな~。
もう、いいよね(笑)☆☆☆
「LAST SHOW」というお芝居に行ってきました☆☆☆
長塚圭史の作品は、絶対観なければ!!!とず~っと思っていて、
なのに、
予定が合わなかったり、チケットが取れなかったりで、
なかなか観に行くことができくて。
今日、やっと、実現!!!
で→→→
やっぱり、行くべきでした☆☆☆
あれだけ、笑かしといて、
最後に泣くとは思わなかったよ~。
すっごく、よかった☆
感動した☆
もうもう、なんといっても、
古田新太がさいこうにいい!!!
野田秀樹の「走れメルス」でも、
これは恋におちる☆と思ったけど、
今日も、おちた(笑)
(↑恋に落ちるような、役では、全くない、にも関わらず)
古田新太・松尾スズキ・松村武
この3人には共通の何かがあって、
それに、わたしは、とっても惹かれる。
すごく、すき。
このお芝居。
最後の最後、15分くらいまでは、笑いっぱなし。
かなり、ど~ん☆って感じで、笑いがおきる。
しかし、
決して、コメディーじゃない。
こういう作品を作るって、ほんとにすごいと思う。
笑いと、深い思考。
最後、
風間杜夫演ずる父が、こんな台詞を言う。
死ぬことが、恐い訳じゃないんだ。ただ、さみしいんだ。
晴れた日に窓を開けると、
植物のにおいがしたり、子供の笑い声が聞こえたりして、
でも、自分は死について考え続けている。
自分が死んでも、変わりなく、
植物のにおいがして、子供は笑い続ける。
変わらない。
恐い訳じゃなくて、さみしいんだ。
そう言って、死んでいく。
このお芝居を観て、
生と死について、とか、親子の関係について考えた。
生命の繋がり、命のリレー、みたいなこと。
人は、生まれて、産んで、死んでいく。
生きることと死ぬことは、対極のように思われるけど、
本当はそうではなくて、
死は生に含まれて存在している。
生きることは、同時に、死ぬこと、でしょ?
だから、わたしはあまり、
死んでしまうことが恐いとは思わなかったし、
生きることへの執着もそんなにない、って思ってたの。
でもね。
5年くらい前、とても大きな地震があった。
その時、わたしは、温泉旅行に行っていて、
伊東の、ビルの5階にあるカフェで、お茶してた。
すごく揺れて。
テーブルからコーヒーカップが落ちて、割れた。
棚から、たくさんの食器が落ちて、割れた。
恐かった。とても。
死ぬのが恐くないなんて、うそだ、って思った。
生きること、死ぬことについて、
誰でも、考えてしまう。
もちろん、わたしも、考える。
でも、それは、考えることに意味がないわけではないけど、
もっと超越した「本能」に支配されているような気がする。
考えても、答えはだせない。
少なくとも、わたしの力量では及ばない。
「ガイアシンフォニー」を観て感じたように、
きっと、
生まれたからには、自分の命を全うするしかないんだと思う。
少し前のR25の石田衣良のエッセイで、
「みんな、死ぬな」というのがあって、
わたしは、それを忘れられない。
自殺者の増加についてのエッセイだった。
最後の瞬間まで、生きることに執着をもち、
迷い続けるのが平均的な自殺者像だという。
でも、その迷いや苦しみこそ尊いものだ。
すべては、よりよく生きたいという望みから、
その苦しみも生まれてくるからだ。
そして、最後は、
「みんな、死ぬな!」という言葉で締められていた。
たしかにね。
死んでしまえたらどんなに楽か、っていう境地に、
追い込まれることは、ある。
でも、なんとか、
もう、生きていられません、っていう肉体的な状態になるまでは、
やれるだけのことはやろうと思う。
っていうか、やらないとね~。
なんだか、最近、こんな話題が多いね☆
「いま、考えておきなさい!」っていう、メッセージなのかしら?
もう充分、お腹いっぱい、ってかんじなんだけどな~。
もう、いいよね(笑)☆☆☆
【死】への恐怖を除くために、一つだけ心に誓っています。それは『後悔しないこと』。
そうしたら少し楽になれました。
『美味しいモノを食べると幸せになれる』私とちゃこさんみたいな人は、他人から見たら死への恐怖なんて感じさせないのだろうね。
等身大の自分の全力を出し、
家族の愛に最高に包まれ、
仲間の友情に刺激され、
行きましょう!!!
生きましょう☆
妄想から始まる夢のイメージに、
現実のオレ達は追いつけ追い越せ(^o^)丿
今日も明日も明後日も、ずっとずっと。。。
大丈夫。
オレ達は決して一人じゃない。
ほら。
見て!まわりの人達を。
ほら。
感じて!まわりの人達を。
生きよう(゜ー゜☆キラッ
それは、ほんとうに、そう思います。
わたしは、きっと「失敗」が多い人だと思うのですが、
後悔はしていません。
いつも、変ないい方だけど、
「失敗しても後悔しない!」っていうまで考えて、
自分自身で答えを出すように心がけています。
今の自分を好きになること、
今の自分を認めてあげること、
が「後悔しないこと」に繋がるような気がします☆
「等身大」って言葉が大好き!!!
何度、その言葉に救われたことか…
わたしが、いっぱいいっぱいになってしまっているときも、
いつも、
「成長し続ける、等身大でいいんだ」
って言ってくれたよね~。
前をみる。
上を向く。
一歩ずつ、前に進む。
でも、無理しない。
けんちゃんから、学んだよ♪♪♪
ありがと(^-^)