気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

セルロイドの夜 橘夏生 六花書林

2021-03-12 22:06:51 | つれづれ
新世界ふぐ提灯のくれなゐのここにて永遠(とは)にとどまる光

雨の朝上海に死すことのほか希ひはあらず過ぎし日おぼろ

花柄の日傘さしつつ歩みゆくキュリー夫人の<夫人>とは何?

給水塔しろく聳ゆるとほき夜に死者は忘れられて二度死ぬ

ごみ溜めの隅にいちりんすみれ咲きそれはマチェクとわたしのお墓

  むかしむかしのお彼岸、四天王寺さん界隈
傷痍軍人のアコーディオンの音をききたりし最後のひとりとなりにけるかも

あそこまで泳いでゆけばあのときの父に逢へるか 海市がゆらぐ

りんりんとreaderを読むこゑはしていまだ二十世紀の月の照る路地

くすのきの木陰の動物慰霊碑に今年はじめて触れるあはゆき

薔薇園につゆ降りるころ交配の果てのさびしき一輪ひらく

(橘夏生 セルロイドの夜 六花書林)

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短歌人の橘夏生の第三歌集。固有名詞が多く、一首一首が濃い。読んでいて酩酊する。生と背中合わせの死を意識させられる。大阪愛、ジェンダーの認識、社会詠、父恋、などなど橘夏生の絢爛たる美意識に圧倒される。ここに挙げるのはほんの一部。慎ましくしか生きられないわたしには眩しい世界だ。