生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

「心理学史」の課題完成!

2005年11月03日 11時16分54秒 | 放送大学
放送大学の「心理学史」の課題が完成しました。12月2日必着だから大丈夫でしょう。この課題をやってみて驚いたのは、産能大学創始者の上野陽一先生が、放送大学の心理学史のテキストに何度も何度もでてきたことです。しかも、「日本精神医学会」設立時メンバーとして、評議員「文学士 上野陽一」とあるのを見つけて更にビックリ!その評議員には、「医学士 森田正馬」の名前もあるではないか!賛助員には「文学博士 上田萬年」「文学博士 幸田露伴」「法学博士 吉野作造」等の名前もある!さらにさらに、内田クレペリン検査の内田勇三郎先生が、なんと、東京帝国大学卒業後上野陽一先生が主宰した(財)協調会の産業能率研究所に勤務したとあります。上野陽一先生は産業能率の父でもありますが、日本の心理学史の発展にも大きく影響を及ぼしたことに間違いはなしです。いや、上野陽一先生がいたからこそ、心理学の発展があったといっても過言ではないでしょう。

放送大学の心理学史テキスト(P113~)に「8.補論-上野陽一と産業能率-」として「上野は・・・初期の心理学専修生のプライドを持って、世間への情報発信に努めていたのであろう。『心理研究』にも論文や翻訳を数多く発表している」「戦後は人事院総裁として国家公務員制度づくりを主導し、また、1950年産業能率短期大学を設立した」とあります。心理学史のテキスト(しかも、産能大学ではなくて、放送大学のテキスト)でこのようなことを学べるとは思いもよりませんでした。本日の、宮内先生の講演会でも、私の知らない産能のことが聞かせていただけるでしょうか?

⇒大体、東京帝国大学に哲学科(心理学専修)ができ、最初の卒業生が1905年。上野陽一先生が卒業したのが1908年で都合7人目の卒業生である。心理学通俗講話会の代表も上野陽一先生だし、雑誌「心理研究」の編纂兼発行者として携わったのも上野陽一先生である。当然、日本心理学のリーダー的役割を担っていてもおかしくないわけです。


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