放送大学で借りてきた「大学の誕生と変貌」という図書。
p.46に、実に興味深い記述があった。それが「万国教授資格」である。内容は以下の通り。
学位の性格的な変貌に関して最後に触れておきたいのは、その通用の問題である。学位(教授免許)は1233年教皇グレゴリウス9世がトゥールーズの学位取得者に与えた特権が契機になって、「万国教授資格」(ius ubique docendi)となった。教皇や皇帝の設立勅許状をもつ大学の学位は、少なくとも論理的には、汎ヨーロッパ的に通用するものと見なされるようになった。
この話は、大学院でのゼミ(そう、例のマンツーマンで教えていただゼミ)にて、話の概略だけは知っていたが、修了後、なかなか学習しなかったので、そのままの状態になっていた。
「教皇から勅許を賜う」ということは、「資格」は神から与えられたものと同格
指導教官のこの一言が、私にとって「宗教学」を学ぶ引き金となった。本当は高野山大学がよかったのかもしれない。しかし、近所に人間学(宗教中心)を教えてくれる大学院ができたし、設立前からマークしていたので、武蔵野大学に行くこととした。
「資格」の権威付けとは、その昔、教皇や皇帝から勅許されたことに起因する。そう考えると、宗教や国家の権威を背景に資格は生まれ、また、その生まれた際の姿は「学位」であったのだ。
だからこそ、学校教育の中で、資格を付与するような形は一番自然だと考える。されど、規制緩和の際、その流れは断ち切られた。多くの資格で大学卒業者・大学院修了者の特権を廃止したのだ。
それで一貫していればいいのに、法科大学院や会計専門職大学院にて修了したものに、司法試験や、公認会計士試験の上で特権を与えることになった。
一体、この国の資格のビジョンは何なんだろう・・・
試験合格と教育機関卒業の2つのルート(あるいは実務経験を含めて3つ)を設定すればいいだけなのに、一貫性がないと思うのは私だけだろうか?
p.46に、実に興味深い記述があった。それが「万国教授資格」である。内容は以下の通り。
学位の性格的な変貌に関して最後に触れておきたいのは、その通用の問題である。学位(教授免許)は1233年教皇グレゴリウス9世がトゥールーズの学位取得者に与えた特権が契機になって、「万国教授資格」(ius ubique docendi)となった。教皇や皇帝の設立勅許状をもつ大学の学位は、少なくとも論理的には、汎ヨーロッパ的に通用するものと見なされるようになった。
この話は、大学院でのゼミ(そう、例のマンツーマンで教えていただゼミ)にて、話の概略だけは知っていたが、修了後、なかなか学習しなかったので、そのままの状態になっていた。
「教皇から勅許を賜う」ということは、「資格」は神から与えられたものと同格
指導教官のこの一言が、私にとって「宗教学」を学ぶ引き金となった。本当は高野山大学がよかったのかもしれない。しかし、近所に人間学(宗教中心)を教えてくれる大学院ができたし、設立前からマークしていたので、武蔵野大学に行くこととした。
「資格」の権威付けとは、その昔、教皇や皇帝から勅許されたことに起因する。そう考えると、宗教や国家の権威を背景に資格は生まれ、また、その生まれた際の姿は「学位」であったのだ。
だからこそ、学校教育の中で、資格を付与するような形は一番自然だと考える。されど、規制緩和の際、その流れは断ち切られた。多くの資格で大学卒業者・大学院修了者の特権を廃止したのだ。
それで一貫していればいいのに、法科大学院や会計専門職大学院にて修了したものに、司法試験や、公認会計士試験の上で特権を与えることになった。
一体、この国の資格のビジョンは何なんだろう・・・
試験合格と教育機関卒業の2つのルート(あるいは実務経験を含めて3つ)を設定すればいいだけなのに、一貫性がないと思うのは私だけだろうか?