八王子駅で7分待って、20時30分の快速に乗りました。
これから25分ほどかけて国分寺駅に向かいます。通常、もっと早く国分寺駅につくのですが、立川駅で特急の通過待ちを行うようです。
新横浜駅でもそうでしたが、八王子駅でも、崎陽軒の「昔ながらのシウマイ」は完売でした。と言うことで、今回はシウマイのお土産無し。名古屋のお土産も無し。残念です。
八王子駅で7分待って、20時30分の快速に乗りました。
これから25分ほどかけて国分寺駅に向かいます。通常、もっと早く国分寺駅につくのですが、立川駅で特急の通過待ちを行うようです。
新横浜駅でもそうでしたが、八王子駅でも、崎陽軒の「昔ながらのシウマイ」は完売でした。と言うことで、今回はシウマイのお土産無し。名古屋のお土産も無し。残念です。
現在、橋本駅。
2分ほど時間調整をおこなっています。次の駅は相原。東京都町田市です。東京に入ってからも、家に辿り着くには1時間以上かかります。電車の接続が悪いので仕方がありません。
まあ、ここまできたので、あとはゆっくり帰ります。
6月に受けた科目修得試験の結果が反映されていました。
法学入門・・・S
経営のリベラルアーツ・・・A
現代企業にみる日本経済・・・A
伝える力を伸ばす・・・A
コトラーのマーケティング・・・B
いつにない、良い成績で5科目受験を終えることができました。現状、14単位修得し、GPAはピッタリ3となっています。そう平均Aです。
2年次入学ですので、卒業に必要な単位は32単位。14単位取得は43.75%を達成したことを表します。この調子で、早く、卒業を確定することができれば嬉しいのですが、まあ、生涯学習、何があるかわからないので、ボチボチやっていきたいと思います。
早めに名古屋駅についたので、お土産を買うこともなく、予約を30分前倒しに変更して、ホームに滑り込んできた新幹線に乗り込みました。
当然のことながら、座席は3人掛けの真ん中のB席。両サイドの男女に圧迫されながらも、少しでも早く東京に帰ろうと足掻いております。
それにしても・・・お腹がすきました。。。
桜通線の瑞穂運動場西駅から徒歩3分のところに「うな豊」があります。
食べログの「うなぎ百名店」かつミシュランにも掲載されるうなぎの老舗。「行列ができていたらどうしよう・・・」と心配していましたが、そこそこの入りで、座敷の空いている席に座らせていただきました。窓際の一番よさそうな席です。
「ひつまぶし」はメニューになく、「まぶし丼」があったのですが、迷った挙句、「紅白重」にしました。
白焼きがついているのですが、残念ながら、私は白焼きを食べたことがありません・・・こちらの人気メニューとのご説明もあったので頼んでみました。
で、15分ほどで運ばれてきました。
こちらが白焼き。
その下に鰻重。
こちらが肝吸い。
白焼きは岩塩もしくは白醤油でいただきます。ウナギは炭火でパリっと焼かれていて、脂ものっていてたまらないほどの美味しさ!これが、うな豊のうなぎなのですね。今までのうなぎの味わいとは違った美味しさを教えていただきました。
で、うなぎの効用。
この裏が伝票で、紅白重は3,500円(税込)。
さすがの美味しさでした。
「卒業見込み者あて連絡事項在中」と書かれた封筒が放送大学から届きました。
そういえば、放送大学の学生だったということを失念しておりました。半年も放送大学の学びから遠ざかっていると、「去る者は日日に疎し」のことわざの通り、なかなか日常生活の中で、思い出すことは困難です。というか、机の上にも、書架にも、自由が丘産能短大のレポート関連の書籍や課題が置かれていて、どうしても、そちらの方が気になってしまいます。
自由が丘産能短大の残りレポート5通も、本気を出せば1日で終わることができるだろうに、ものぐさな私は追い込まれるまで本気で取り組むことができません。本当、ダメですね。
それはさておき、封筒を開けてみると「全科履修生で2019年度第1学期末卒業が見込まれる皆さまへ(継続入学手続き等のご案内)」と書かれた1枚の書類が入っていました。「2019年度第1学期の成績判定(2019年8月下旬)の結果によりましては、教養学部を卒業されることとなります」と書かれています。加えて「本通知をもちまして卒業が確定したわけではありません」との注意書きもあります。
私は、卒業後、すぐに機構の学位を目指しますので、大学正科生であることができません。半年間大学生を諦めることとなります。変な制度に振り回されるのですが、制度がある以上、それに従わざるを得ないわけです。それが嫌なら、制度を利用しないのがあるべき姿。「闇受験」をしたり、「不必要に制度を非難し続ける」のは、やはり私にはムリですから。まあ、変な制度については、話のネタでお披露目することはあるのですが(笑)。
それにしても、あと1月半ほどで卒業が確定し、学位記の番号もわかるのですね。私にとっては2回目の放送大学卒業。結局、入学さえしてしまえば、余程のことがない限り、時間が経てば学位が授与されます。神の差配により、人間って、そのようにプログラムされているのです。創造主から与えられた、訳のわからぬ本能的な好奇心。それがあるからこそ、人間は勝手に学び始めます。結果、普通に人間をやっていれば、時間とともに卒業に近づき、「想定外のハプニング」がなければ卒業してしまうものです。不思議ですね。
卒業は大学院も含めると10回以上。2桁超えても、やはり、一つの学修の成果として学位記が授与されるのはうれしいことです。でも、気持ち的には「早く自由が丘産能短大のレポートを仕上げること」と「機構の学位を得るためのレポートのテーマをどうするか」という課題に、かなりプレッシャーを感じているのが実情です。