「卒業見込み者あて連絡事項在中」と書かれた封筒が放送大学から届きました。
そういえば、放送大学の学生だったということを失念しておりました。半年も放送大学の学びから遠ざかっていると、「去る者は日日に疎し」のことわざの通り、なかなか日常生活の中で、思い出すことは困難です。というか、机の上にも、書架にも、自由が丘産能短大のレポート関連の書籍や課題が置かれていて、どうしても、そちらの方が気になってしまいます。
自由が丘産能短大の残りレポート5通も、本気を出せば1日で終わることができるだろうに、ものぐさな私は追い込まれるまで本気で取り組むことができません。本当、ダメですね。
それはさておき、封筒を開けてみると「全科履修生で2019年度第1学期末卒業が見込まれる皆さまへ(継続入学手続き等のご案内)」と書かれた1枚の書類が入っていました。「2019年度第1学期の成績判定(2019年8月下旬)の結果によりましては、教養学部を卒業されることとなります」と書かれています。加えて「本通知をもちまして卒業が確定したわけではありません」との注意書きもあります。
私は、卒業後、すぐに機構の学位を目指しますので、大学正科生であることができません。半年間大学生を諦めることとなります。変な制度に振り回されるのですが、制度がある以上、それに従わざるを得ないわけです。それが嫌なら、制度を利用しないのがあるべき姿。「闇受験」をしたり、「不必要に制度を非難し続ける」のは、やはり私にはムリですから。まあ、変な制度については、話のネタでお披露目することはあるのですが(笑)。
それにしても、あと1月半ほどで卒業が確定し、学位記の番号もわかるのですね。私にとっては2回目の放送大学卒業。結局、入学さえしてしまえば、余程のことがない限り、時間が経てば学位が授与されます。神の差配により、人間って、そのようにプログラムされているのです。創造主から与えられた、訳のわからぬ本能的な好奇心。それがあるからこそ、人間は勝手に学び始めます。結果、普通に人間をやっていれば、時間とともに卒業に近づき、「想定外のハプニング」がなければ卒業してしまうものです。不思議ですね。
卒業は大学院も含めると10回以上。2桁超えても、やはり、一つの学修の成果として学位記が授与されるのはうれしいことです。でも、気持ち的には「早く自由が丘産能短大のレポートを仕上げること」と「機構の学位を得るためのレポートのテーマをどうするか」という課題に、かなりプレッシャーを感じているのが実情です。
こちらは、小説以外に、詩を書き始め、時々入賞しております。
貴兄におかれましても、作家道にいそしまれているようで何よりです。何かにつけ、無から有を産み出すことは大変なことだと思います。私も、何か、成果物を残せるように励んでいきたいと思っております。