同志社大学の中にあるのがこの石碑。
この京田辺の地には、一時期、都があったのです。そう、日本の首都だったのですね。その時代は継体天皇の時代。そして、このそばには「多々羅」という地名もあり、製鉄に関する土地柄だったのが想像できます。
世が世なら、東京ではなく、この京田辺が日本の中心だったかもしれないのですね・・・
同志社大学の中にあるのがこの石碑。
この京田辺の地には、一時期、都があったのです。そう、日本の首都だったのですね。その時代は継体天皇の時代。そして、このそばには「多々羅」という地名もあり、製鉄に関する土地柄だったのが想像できます。
世が世なら、東京ではなく、この京田辺が日本の中心だったかもしれないのですね・・・
なんと、京田辺市にも国宝があるとのことなので、見に行くこととしました。
観音寺にある11面観音像が国宝とのこと。
母に車で連れて行ってもらいました。
朝の9時からとのことで、9時過ぎに到着し、受付で参拝したい旨申し上げると、お坊さんが詳しい説明をしてくださった上、私一人のためだけに御開帳していただけました。国宝の観音様と本当に近い距離。手を伸ばせば届きそうなくらい。10分ほど説明していただき、拝観料は400円!これは大変お値打ちでした。1000円と言われても払って損はないと思うくらい、丁寧な解説付き、かつ、国宝を間近で見ることができる貴重な体験でした。
京都にいたのは3日間。でも3つも国宝を見ることができ、大変よかったと思っています。
大住車塚古墳の隣に大住南塚古墳があります。
前方後円墳が2つ並んで作られています。こちらの古墳の方が大きいのですが、看板や石碑は見つかりませんでした。
京田辺市において、どちらかというと、隣接する大阪府枚方市に近いところにあるのが大住地域。
そこにあるのが月読神社。この神社はいろいろと有名で・・・
まずは、隼人舞の伝承地となっています。
加えて、宝生座の発祥地。
そして、私が勝手に思っていることなのですが・・・これは古墳じゃないか?
どこを探しても掲載されていないのですが、月読神社のこの部分、古墳と思っているのは私だけだろうか?
法界寺は日野薬師とも呼ばれます。
通常は入場料500円なのですが、特別公開の薬師如来があったためか、入場料800円に値上げ中。左のテントのところで料金を支払います。
阿弥陀堂は国宝!
この建物が国宝なのです!
中が撮影できなのでご紹介しづらいのですが、同じく国宝の阿弥陀如来座像の周囲に壁画があって、これが法隆寺金堂の壁画が焼失したことにより、日本最古の壁画であるとのこと。
こちらが薬師堂。
薬師如来が秘仏として今だけ公開されています。
こちらも撮影できないかったのですが、横から見せていただくという変わった公開でした。
親鸞聖人が誕生したのは日野。
そこは昔、私が住んでいたところ。で、日野誕生院に行ってきました。
この石段を上ると、親鸞聖人の石碑があります。
あるいは親鸞聖人の幼い時の像も!
更に進んでいくのですが、ほとんど人はいない状況・・・
本当に閑散としていました。
あまり、親鸞聖人ご誕生の地は人気がないのかもしれません。
飯岡古墳群からの帰り道、咋岡(くいおか)神社に寄ってみました。
この咋岡神社ですが、飯岡地区と草内地区の両方に同じ名前の神社があります。その草内にある方が草路城跡です。京田辺に来てまで、城跡に出会うとはビックリですね。
飯岡古墳群にはまだまだ古墳はあるのですが、5つのご紹介に留めておきたいと思います。
その中で、最大級の古墳と言えるのが飯岡車塚古墳。
前方後円墳で京田辺市では最大、南山城地区でも最大級といえます。
とはいえ、大きすぎて全体像が見えません。でも、前方後円墳だそうです。
飯岡横穴・・・
どこにあるのかわからないので、現地の方に聞いてみました。そうして指示のあったところに行ってみると・・・
大きな鉄塔。
もっと近づくと・・・
この土手を登り始めて・・・
ようやく横穴近くまで到着。
これが横穴。中に入ろうと思っても、蜘蛛の巣だらけで無理でした。