6科目中3科目が終わったところです。ちょうど半分!何度も言いますが、12月2日までに出さないと、放送大学の単位修得試験が受験できないんです・・・。「東南アジアの歴史」を最初やっていたのですが、429ページもあって、やる気がでないので、科目を変更しての課題提出です。さあ、そろそろ寝ようかな・・・。
あまり体調がよくないので、ちょっとした飲み会(お食事会)です。家に帰ってからもちょっとだけ食事をしたので。ビールを少々。いつもの顔もあれば、知らない顔もある。そんな会でした。うち、お一方は、私が産能に入学するときに行った、入学説明会でお話を伺った方なので、いわば産能へ導いてくださった方。人の縁というものは本当に不思議なものです。その方と、某ブロガーの方が「親密」な、仲間だそうで・・・。色々ありますね。
感性人それぞれなのかもしれませんが・・・。宮内ミナミ先生の講演会に行ってきました。笑顔がとても素敵な先生で、話振りも大変上手で、気が付いたら、講演会は終了していました。出席者はは50名くらいでしょうか?産能の歴史っていうテーマ。資料をいただいて、感激です。
その中に、心理学通俗講話会の写真があるのですが、なんと、そのメンバーが凄い!凄すぎる。「元良勇次郎先生」「桑田芳蔵先生」「野上俊夫先生」「大槻快尊先生」「倉橋惣三先生」「福来友吉先生」「菅原教造先生」そして、「上野陽一先生」、代表者が上野陽一先生であるし、顧問が元良勇次郎先生、福来友吉先生であるので、なんともない写真なのですが、これらの人物がいなければ、日本の心理学はなかったといっていいほどのメンバーです!
行ってよかった!私の知らない産能のことがわかったし、心理学は心理学であって、心理学のみにあらず。そう、例えば、心理学-教育学-経営学という、3つの学問領域の共通項があることを以前から述べていましたが、宮内先生は「情報学」の中にも共通項目があることを、泰然とした話振りの中から教えて下さったのです。そう、上野陽一先生は、心理学を捨てて「能率の父」になったわけではなく、心理学という土台の上に、その研究をなさったように思えました。今日は、大きな「何か」を得たような気がしてなりません。本当にありがとうございました。
その中に、心理学通俗講話会の写真があるのですが、なんと、そのメンバーが凄い!凄すぎる。「元良勇次郎先生」「桑田芳蔵先生」「野上俊夫先生」「大槻快尊先生」「倉橋惣三先生」「福来友吉先生」「菅原教造先生」そして、「上野陽一先生」、代表者が上野陽一先生であるし、顧問が元良勇次郎先生、福来友吉先生であるので、なんともない写真なのですが、これらの人物がいなければ、日本の心理学はなかったといっていいほどのメンバーです!
行ってよかった!私の知らない産能のことがわかったし、心理学は心理学であって、心理学のみにあらず。そう、例えば、心理学-教育学-経営学という、3つの学問領域の共通項があることを以前から述べていましたが、宮内先生は「情報学」の中にも共通項目があることを、泰然とした話振りの中から教えて下さったのです。そう、上野陽一先生は、心理学を捨てて「能率の父」になったわけではなく、心理学という土台の上に、その研究をなさったように思えました。今日は、大きな「何か」を得たような気がしてなりません。本当にありがとうございました。
放送大学の「心理学史」の課題が完成しました。12月2日必着だから大丈夫でしょう。この課題をやってみて驚いたのは、産能大学創始者の上野陽一先生が、放送大学の心理学史のテキストに何度も何度もでてきたことです。しかも、「日本精神医学会」設立時メンバーとして、評議員「文学士 上野陽一」とあるのを見つけて更にビックリ!その評議員には、「医学士 森田正馬」の名前もあるではないか!賛助員には「文学博士 上田萬年」「文学博士 幸田露伴」「法学博士 吉野作造」等の名前もある!さらにさらに、内田クレペリン検査の内田勇三郎先生が、なんと、東京帝国大学卒業後上野陽一先生が主宰した(財)協調会の産業能率研究所に勤務したとあります。上野陽一先生は産業能率の父でもありますが、日本の心理学史の発展にも大きく影響を及ぼしたことに間違いはなしです。いや、上野陽一先生がいたからこそ、心理学の発展があったといっても過言ではないでしょう。
放送大学の心理学史テキスト(P113~)に「8.補論-上野陽一と産業能率-」として「上野は・・・初期の心理学専修生のプライドを持って、世間への情報発信に努めていたのであろう。『心理研究』にも論文や翻訳を数多く発表している」「戦後は人事院総裁として国家公務員制度づくりを主導し、また、1950年産業能率短期大学を設立した」とあります。心理学史のテキスト(しかも、産能大学ではなくて、放送大学のテキスト)でこのようなことを学べるとは思いもよりませんでした。本日の、宮内先生の講演会でも、私の知らない産能のことが聞かせていただけるでしょうか?
⇒大体、東京帝国大学に哲学科(心理学専修)ができ、最初の卒業生が1905年。上野陽一先生が卒業したのが1908年で都合7人目の卒業生である。心理学通俗講話会の代表も上野陽一先生だし、雑誌「心理研究」の編纂兼発行者として携わったのも上野陽一先生である。当然、日本心理学のリーダー的役割を担っていてもおかしくないわけです。
放送大学の心理学史テキスト(P113~)に「8.補論-上野陽一と産業能率-」として「上野は・・・初期の心理学専修生のプライドを持って、世間への情報発信に努めていたのであろう。『心理研究』にも論文や翻訳を数多く発表している」「戦後は人事院総裁として国家公務員制度づくりを主導し、また、1950年産業能率短期大学を設立した」とあります。心理学史のテキスト(しかも、産能大学ではなくて、放送大学のテキスト)でこのようなことを学べるとは思いもよりませんでした。本日の、宮内先生の講演会でも、私の知らない産能のことが聞かせていただけるでしょうか?
⇒大体、東京帝国大学に哲学科(心理学専修)ができ、最初の卒業生が1905年。上野陽一先生が卒業したのが1908年で都合7人目の卒業生である。心理学通俗講話会の代表も上野陽一先生だし、雑誌「心理研究」の編纂兼発行者として携わったのも上野陽一先生である。当然、日本心理学のリーダー的役割を担っていてもおかしくないわけです。
化学が好きで・・・16歳少女の母親毒殺未遂事件には大変驚くとともに、腹が立って仕方がない。彼女には化学を語る資格がない。化学に志を持つものは、その知識を社会の為に使うのであって、自分の興味や嗜好の為に使うものではない。毒は人命を左右するほど、危険なものなのだ。毒は大量に使うと「毒」だが、適量に使えば「薬」にもなる。多くの人の命を犠牲にして、学問と築きあげられた化学の世界。「毒使い」として化学を貶める行為に対しては、大変、残念である。(私もある意味「毒使い」ですが、化学を愛する善良な市民です。)
お中元の季節がきました。私には10年以上、お中元を贈っている方がいらっしゃいます。その方は・・・仲人さま!
私と家内の結婚に際し、色々と乗り越えなければならない困難があったのです(決して、変な意味ではない。取り違えないようにお願いします)。仲人の引き受けてがいなかった・・・。最終的に「大学の先生にしようか・・・(いや、その大学の先生にしておけば、また、別の人生が開かれていたかもしれないが・・・)」とも思っていたのですが、寸前のところで、その仲人の方にお願いすることができました。当時、和歌山支店の支店長をされていたので、和歌山まで、お願いに上がりました。
銀行には色々と不文律?みたいなものがあって、仲人をしていただく方も、順序というものがある・・・のかな?ラインのトップは奥さまがご病気で「主賓としてなら参加する」というもの。前の支店長は「姪御の結婚式」として不可、その前の支店長は「3代前の支店長が仲人できると思うのか?」とのお言葉・・・。そう、序列社会というか、そういう人間関係が非常にナーバスに関係してくるのです。
銀行の不文律からいうと、和歌山支店の支店長は「絶対に仲人をしてはならない人物」だったのですが、私自身も「型破り」な生き方をしてきたので(いや、その型破りな性格ゆえ、仲人のなり手がいなかったという説もあるが・・・)、大学の先生にお願いするくらいなら、銀行の支店長にお願いしよう!と、和歌山までお願いに参上つかまつりました。
和歌山城は大変美しいお城だったように覚えています。
支店長宅にお邪魔して、「仲人をお願いします!」と言ったときの、支店長の驚きようといったら、今でも忘れることができません。「禁じ手」に打ってでた私達を前に「本当に、俺でいいのか?」「はい、××支店長でないと、ダメなんです」と真剣なまなざしで申し上げました。「よし、わかった。ちょうど、その月に別の結婚式の仲人も頼まれているから、1組やるなら2組やるのも一緒だ、引き受けよう」と言ってくださいました。家内はわざわざ、埼玉から和歌山まででてきた訳ですから、結構、私達2人の気迫が勝っていたのかもしれません。
いまだに、私達2人と、仲人の関係を会社の人に言うと「よく、和歌山の支店長が引き受けてくれたよね!」「信じられない!」「常識を逸脱している!」とよく言われます(ちょっとした、笑い話にはもってこい)。そう、××支店長が出席したために、「俺は出ない!」と言う支店長もいて、調整が大変だった。(それだけ、異例な結婚式ということです)
仲人も結婚式本番で私達2人との関係を説明するときに「かなり」気を使ってくださいました。(本当にありがとうございました)
最近は、仲人へのお中元、お歳暮は3年とか5年とか言って、辞めてしまう方が多いのですが、私達2人を引き合わせてくださったのも、××支店長だし、仲人として、結婚式をまとめていただいたのも××支店長。今は、既に支店長ではありませんが、「恩を忘れず主義」であるため、一生、お中元、お歳暮は続けてまいります。
私と家内の結婚に際し、色々と乗り越えなければならない困難があったのです(決して、変な意味ではない。取り違えないようにお願いします)。仲人の引き受けてがいなかった・・・。最終的に「大学の先生にしようか・・・(いや、その大学の先生にしておけば、また、別の人生が開かれていたかもしれないが・・・)」とも思っていたのですが、寸前のところで、その仲人の方にお願いすることができました。当時、和歌山支店の支店長をされていたので、和歌山まで、お願いに上がりました。
銀行には色々と不文律?みたいなものがあって、仲人をしていただく方も、順序というものがある・・・のかな?ラインのトップは奥さまがご病気で「主賓としてなら参加する」というもの。前の支店長は「姪御の結婚式」として不可、その前の支店長は「3代前の支店長が仲人できると思うのか?」とのお言葉・・・。そう、序列社会というか、そういう人間関係が非常にナーバスに関係してくるのです。
銀行の不文律からいうと、和歌山支店の支店長は「絶対に仲人をしてはならない人物」だったのですが、私自身も「型破り」な生き方をしてきたので(いや、その型破りな性格ゆえ、仲人のなり手がいなかったという説もあるが・・・)、大学の先生にお願いするくらいなら、銀行の支店長にお願いしよう!と、和歌山までお願いに参上つかまつりました。
和歌山城は大変美しいお城だったように覚えています。
支店長宅にお邪魔して、「仲人をお願いします!」と言ったときの、支店長の驚きようといったら、今でも忘れることができません。「禁じ手」に打ってでた私達を前に「本当に、俺でいいのか?」「はい、××支店長でないと、ダメなんです」と真剣なまなざしで申し上げました。「よし、わかった。ちょうど、その月に別の結婚式の仲人も頼まれているから、1組やるなら2組やるのも一緒だ、引き受けよう」と言ってくださいました。家内はわざわざ、埼玉から和歌山まででてきた訳ですから、結構、私達2人の気迫が勝っていたのかもしれません。
いまだに、私達2人と、仲人の関係を会社の人に言うと「よく、和歌山の支店長が引き受けてくれたよね!」「信じられない!」「常識を逸脱している!」とよく言われます(ちょっとした、笑い話にはもってこい)。そう、××支店長が出席したために、「俺は出ない!」と言う支店長もいて、調整が大変だった。(それだけ、異例な結婚式ということです)
仲人も結婚式本番で私達2人との関係を説明するときに「かなり」気を使ってくださいました。(本当にありがとうございました)
最近は、仲人へのお中元、お歳暮は3年とか5年とか言って、辞めてしまう方が多いのですが、私達2人を引き合わせてくださったのも、××支店長だし、仲人として、結婚式をまとめていただいたのも××支店長。今は、既に支店長ではありませんが、「恩を忘れず主義」であるため、一生、お中元、お歳暮は続けてまいります。
昨日は日本郵政公社さんに「願書」2つの配達をお願いしました。ひとつは「産能の上野奨学生願書」。もうひとつは「大学院願書」です。
「上野奨学生願書」は前回、採用していただいたのですが、BLOGで書いているように、受験料やら、書籍購入やら、追加履修やらで「あっという間」に消えてしまいました。そうですよね、産能に入ってから64単位分追加履修しているのですから。約30万円分の追加履修・・・。でも、1単位4000円で学習できるなんて、廉価な教育を提供していただいていると思います。
「大学院願書」は引っ張るだけ引っ張って、内容はあまり充実したものではないかもしれないですね。見て欲しいものがたくさんあって、まとまりがないような感じ・・・。論旨とちょっと離れてしまったかもしれない。でも、もう、これ以上できない。「ちょうど、このBLOGのようなイメージ」で「課題」を書き綴ったという「極めて危ない」ものです。(やっぱり、ちょっと無理かな~)
よくよく考えると、当初は「生涯学習論」を学ぶために、大学院に行きたい!といっていたのが、ある事件(いや、きっかけ)を契機に「人的資源管理」を学ぶために大学院に行きたい!と、大きく転向してしまったのですから・・・。もともと「経済学は大嫌い!」をキャッチフレーズとして、20年間やってきたので、いまさら、マーケティングやら、管理会計やら・・・わかるわけないやん!という気持です。
ただ、私の持論は
「人的資源管理」は「経営学」であると同時に「教育学」であり、その根底には「心理学」がある。「人的資源管理」をMBAだけに任せておくのは、各々の学問の怠慢である。
というもので、生涯学習論=教育学の観点から、社会人がよりよい生活を送ることができるように、自己啓発やスキルアップを行い、また、それを会社が評価する仕組みづくりが必要ということである。コレを心理学的に言うと「キャリアコンサルタント」。実際、「人的資源管理」の教授が「教育学部出身」という例もありますし・・・。
長々と、持論を展開しましたが、この持論は「願書」には記載されていませんので・・・。
「上野奨学生願書」は前回、採用していただいたのですが、BLOGで書いているように、受験料やら、書籍購入やら、追加履修やらで「あっという間」に消えてしまいました。そうですよね、産能に入ってから64単位分追加履修しているのですから。約30万円分の追加履修・・・。でも、1単位4000円で学習できるなんて、廉価な教育を提供していただいていると思います。
「大学院願書」は引っ張るだけ引っ張って、内容はあまり充実したものではないかもしれないですね。見て欲しいものがたくさんあって、まとまりがないような感じ・・・。論旨とちょっと離れてしまったかもしれない。でも、もう、これ以上できない。「ちょうど、このBLOGのようなイメージ」で「課題」を書き綴ったという「極めて危ない」ものです。(やっぱり、ちょっと無理かな~)
よくよく考えると、当初は「生涯学習論」を学ぶために、大学院に行きたい!といっていたのが、ある事件(いや、きっかけ)を契機に「人的資源管理」を学ぶために大学院に行きたい!と、大きく転向してしまったのですから・・・。もともと「経済学は大嫌い!」をキャッチフレーズとして、20年間やってきたので、いまさら、マーケティングやら、管理会計やら・・・わかるわけないやん!という気持です。
ただ、私の持論は
「人的資源管理」は「経営学」であると同時に「教育学」であり、その根底には「心理学」がある。「人的資源管理」をMBAだけに任せておくのは、各々の学問の怠慢である。
というもので、生涯学習論=教育学の観点から、社会人がよりよい生活を送ることができるように、自己啓発やスキルアップを行い、また、それを会社が評価する仕組みづくりが必要ということである。コレを心理学的に言うと「キャリアコンサルタント」。実際、「人的資源管理」の教授が「教育学部出身」という例もありますし・・・。
長々と、持論を展開しましたが、この持論は「願書」には記載されていませんので・・・。
今年も、残すところ2ヶ月・・・なんて書いてあったものだから、ベートーベンの第九を聞きながら、書き込んでいます。あと1ヶ月もすると、第九も本番となるのですが、本当に、素敵な曲ですね。その昔、まだ、CDがないころ、第九のレコードだけで5枚も持っていました(本当にバカ)。「合唱付き」という言葉に、こころ動かされるのは私だけでしょうか。そういえば、子どものときの「夢」に「ベートーベンの墓の前で、第九を歌う」とうのがあったような・・・。その後、音楽家への夢は比較的早い時期に立ち消えたので、ドイツ語すら勉強してませんが、第九を聞いているだけで、元気になれるのは万人共通というのは、言いすぎでしょうか?
体調が「すこぶる」悪く、昨日はお医者さまに診ていただきました。やはり風邪。注射を3本打っていただき、かつ、今まで見たこともない「経皮吸収型・気管支拡張剤」なる、張薬もいただき、抗生物質まで頂戴いたしました。私的には「最高の名医」に当たったような、ラッキーな治療でした。(トローチもイソジンもいただきました)
11月は色々あるので、わずか、1日で、ここまで回復させてくださったのは、本当に助かります。先生、ありがとう!
11月は色々あるので、わずか、1日で、ここまで回復させてくださったのは、本当に助かります。先生、ありがとう!