風のたよりのブログ

日々にスポットを当て綴ります

応援の輪

2011年03月31日 | Weblog
29日に行われたサッカーのチャリティーマッチ「日本代表×Jリーグ選抜」を見て、元気をもらった人は多いかと思いますが、本国の状況がそれほどよくない国や地域からも、支援の手が挙がっていますね。


朝青龍のモンゴルからは:

>世界各国からの支援が相次ぐ中、親日国モンゴル(人口約270万人)の政府が全ての公務員を対象に給料1日分の募金を呼びかける異例の対応をとっている。これが一般国民や企業の自発的な募金運動に発展し、すでに1億2500万円以上が集まった<そうですがこれにも胸を打たれた。


その他にも、多くの義捐金やチャリティーイベントで応援してくれる人がいます。

石川 遼君は賞金を全額寄付へ、「目標2億円」 !!!これには度肝を抜かれました。さすが、遼君やってくれます。





>プロゴルファーの石川遼選手が、今季の国内ツアーとメジャー大会で獲得する賞金について、全額を東日本大震災の被災者のために寄付することが分かった<



もうすぐ世界の夢舞台マスターズ が始まりますがこんな遼くんを是非応援したいですね。

他に池田 勇太・藤田 寛之・松山 英樹選手らが出場いたしますが皆で応援いたしましょう!


TBS系列独占放送:2011年4月8日(金曜日)午前4:00~



その他のスポーツ界から続々とチャリティの手が挙がっていますね。



黒ごまとチーズのパン

2011年03月30日 | 美味しいもの
計画停電の予定枠から外れてる日に店用に黒ごまとチーズのパンを久しぶりに焼きました。

黒ごまにクリームチーズがたっぷり入った風味豊かな食パン。バターなど塗らなくてもとても美味しく食べられますね。



あらら、チーズが見当たりませんが白神こだま酵母でフ~ンワリ♪
頬張ると途端にごまの香ばしさとチーズがンマッ!
はい、これも定番入りです。



【材料】(1斤分)

 強力粉------------280g
 砂糖-------------大さじ2
 塩---------------小さじ1(5g)
 水---------------170g
 白神こだま酵母-----6g
 酵母用お湯(約35度)--20g
 ※ごま------------30g
 ※チーズ----------100g

白神こだま酵母のフルーティーな香りとともに、ごまがたっぷり香ばしく、チーズとの相性も抜群です。
油脂が入っていないレシピなので、小麦の味も楽しめます。
チーズを混ぜる作業も、ホームベーカリーにおまかせ。チーズがどんな具合になっているか、カットするときワクワクしますよ。

【作り方】 食パンコース(4時間)
白神こだま酵母はお湯で溶いて※以外の他の材料と共に、パンケースに入れ、スイッチオン。
ごまは自動投入で入れる。
チーズはこねの工程が終わってから入れる。



豆乳&きなこと餡のシフォンケーキ

2011年03月29日 | 美味しいもの
穏やかな天気になりました。

標本木のソメイヨシノの開花宣言ですが、やや遅めでしたが例年並みだとか。



気になっていたスカイツリーも完成したようです。3月18日完成時の高さ634メートルに達した。



3月1日に自立式電波塔として世界一に高さとなった時には大きなニュースとなりましたが、【634達成】の記念祝典は大地震のため自粛。

そして、震災後も工事は続行中。12月竣工来春開業予定だとか。





豆乳&きなこに餡を混ぜたシフォンケーキを作ってみました。

焼き上がって一度ストーンと落とした瞬間。



完全に冷まして型から慎重に外します。



水をヘルシーで栄養価の高い豆乳に変え、粉にきなこをプラス。餡を混ぜて美味♪



平穏な日常とは?

2011年03月28日 | Weblog
彼岸はとうに過ぎたというのにいつまでも寒い日が続きます。

今朝も東北で地震があったようですがこちらも揺れたのですが、すっかり余震慣れになったようで少々の揺れでは驚かなくなってしまいました。

今ではガソリンスタンドに長蛇の列の車もすっかり見かけなくなりましたがアララいつの間にか1Lあたり150円台になっていました!

スーパーでは水も個数制限しながら販売されてるようですが納豆が全く見当たりません。

ついには熊本の“にゃっとう(プッ^m^)”などというものまで登場!



今度は煙草です!

一時出荷停止になるそうです。

>JTによると、東日本大震災により、全国の6つの工場のうち栃木・宇都宮市と福島・郡山市にある2つの工場が被害を受け、操業を停止している。また、タバコの葉など材料の調達や製品の輸送も難しくなっている。<


未だに予断を許さない状況で世界中を不安に陥れている福島・原発ですが一日も早く終息に向かうのを祈るのみです。

さて、こんな話を聞き驚いてるところですが、下↓にもあるように東京電力を一番消費してるのは東京大学とは!

知っていました?

しかし、節電するようになり、一気に消費量が半分になったとか!う~ん、やれば出来るじゃん!

>ディズニーの消費電力はランドとシー合わせて約54万kw/日(4万世帯分)。東京で1番電力を消費している施設は東京大学(5つのキャンパス合わせて)で約91万kw/日(7万世帯分)。これを聞いてびっくり!<


考えてみるとコンビニも必要以上に明るいし、24時間営業でなくとも良いのでは?
これまでが明る過ぎて便利過ぎたのですね。
いつでも不便なく使っていたエネルギー資源や水道水。反省し、考えさせられますね。

ツイッターで広がりご存知の人も多いかと思いますが、分り易いので貼っておきます♪

【みんなで分け合えば、できること。】




これからも続けて限りある資源を大切に使おうと一人ひとりが心がけるきっかけになりそうです。


平穏な日常とは?つくづく考えずにはいられませんが、「明日」が「今日」と同じように来るとは誰も約束出来ないものだと・・・。




名勝松島

2011年03月27日 | Weblog
一時2人で車に乗り、1年近く全国をキャンプしながら周っていた。

横浜を基点にまずは北上します。

数日目に東北に到達いたしました。

>俳聖芭蕉が奥州行脚する目的の一つとした松島は、奥の細道の中で「松嶋の月まず心にかかりて」 とありますようによほど気にかかっていたようで、「扶桑第一の好風なり」とそのあまりの美しさに驚嘆し、 絶句したそうです。また、芭蕉が詠んだ句と言われる「松島やああ松島や松島や」は、後にできた逸説のようです

松島と月



芭蕉になって「松島や ああ松島や 松島や」 ...皆と同じように、のたまったものです。






テレビで知りましたが地震により、日本三景の一つで宮城県の特別名勝・松島もこのように大津波に見舞われたらしく



 >文化庁や松島町によると、島の一部が崩落したり、島と島とを結ぶ橋が壊れたり、大きな被害を受けた。一方、島々の対岸にある松島町の死者は、22日午後6時現在、1人にとどまっている。隣の東松島市の犠牲者は650人を超えた。住民は「島が津波から守ってくれた」と感謝、美しい景観を取り戻そうと、流れ着いたがれきの撤去に取り組み、再生に動き出している。<

湾の奥が松島町。絶句。島々に感謝。(毎日新聞)



そして避難された住民はありがたくも瑞巌寺で肩を寄せ合って。






打ちのめされそうな悲劇の中でもこんな嬉しいニュースでホッ♪ありがとう松島!



【贈る言葉】

2011年03月26日 | Weblog
先日、ラジオを聴いてると東日本大震災で卒業式を中止された立教新座高校の校長・渡辺憲司氏のメッセージを耳にし、胸を打たれました。えぐられました!




素晴らしいメッセージなのでぜひご一読下さいm(_ _)m ペコッ



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時に海を見よ ~立教新座高校・渡辺憲司校長の卒業生へのメッセージ~


卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32



 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。



     立教新座中学・高等学校              校長 渡辺憲司



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とうに若者とは言えない年齢になりましたが(笑)煌めく言葉を胸に刻もう!


桜あんぱん

2011年03月25日 | 美味しいもの
 >プロ野球セ・リーグは24日、東京都内で臨時理事会を開き、公式戦の開幕をパ・リーグと同じ4月12日に延期し、東京電力、東北電力管内での4月中のナイターを自粛することを決めた。<

揺れ動いていたセ・リーグの開幕時ですが同時開幕に決まりホッとしてるところです。



皆さんはこの動画をご覧になられてどう思われますか?

また、「開幕はお上が決めることじゃない」という巨人滝鼻オーナーの発言には呆れてしまいましたが、どう思われますでしょうか?

ナベツネ「勝手にしろ!」プロ野球開幕問題で。東日本大地震関連






今日の桜あんぱんは地震前に作ったものです。




昨年、八重桜を塩漬けにしたものを春が来た喜びとして使うつもりでした。



こちらを参考にいたしました:yahooレシピ


尚、桜の葉はなし。


おから

2011年03月24日 | Weblog
1年半前になりますが、横浜から福島に転勤された人がいます。

無事だと聞いていましたが、22日の火曜日まさしくご本人がお見えになりました。

福島・相馬町で被災され、鉄筋コンクリートの会社の2階で仕事中で津波が押し寄せてくる様を目の当たりにしたそうですが、その一瞬、上司の的確な判断で難を逃れたとか!

それから1週間後、福島から再び横浜に戻るよう転勤命令になったようです。無事で何よりですが、人生一寸先は分らないものだと実感してるところです。







そして別の話ですが、友達の家に今回の東日本大震災で被災されたある熟年親子4人が身を寄せています。


福島にお住まいだったので、被災された直後に命からがら、着のみ着のままの状態で避難したという話を聞き、何か少しでもお手伝いしたく、そうそう、おからが好きなので大鍋いっぱいにおからを作り届けて来ました。

被災家族の4名を加えると4家族12名分です。



冷凍庫に丸鶏一羽分があったので鶏肉は薄く切り、骨でじっくりスープを取りこれを出汁に使います。

鶏肉・人参・牛蒡・ねぎ・こんにゃくと中味はいたって普通の“おから”です。
しみじみ美味しい、おふくろの味のおからです。


今年の春はいったい何処へ行ったのでしょう。こちらでこんなに寒いのですから、北の被災地はいかほどかと想像するだけで胸が痛みます。

今年もまだまだ寒い日が続いていますが、16年前も寒かった。

阪神大震災のときは長田・五位の池小学校や駅施設が崩壊した大開駅に程近い大開小学校に仲間らと各2500人分の炊き出しに行ったのですが、今回は何もすることが出来ず歯痒く思うほどですが、微力ながらこんな友達のためにこれからも続けていこうと2人で決めています。


こんな小さいことしか出来ませんが自分にできることを続けよう!





日本を救った男たち 2

2011年03月23日 | Weblog
深刻な事態に陥っている福島第一原子力発電所3号機の中央制御室に、22日午後10時43分、外部から電気が流され、照明が点灯したということです。地震で停電して以来、11日ぶりに外部からの電源が復旧し、失われた冷却機能の回復に向けて前進しました。




■「中央建設」ポンプ車

生コン圧送機



 東京電力福島第1原子力発電所の事故で四日市市西坂部町の建設会社「中央建設」(長谷川員典社長)のコンクリートポンプ車2台が21日、福島県内の待機地に到着した。国に協力を申し出て待機させていた車両で、20日夜に社員2人と同社を出発した取締役の長谷川昌弘さん(38)は「現地に入るのは怖く家族にも反対されたが、誰かがやらないといけない」と話した。

 ◆「誰かがやらないと」

 ポンプ車は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を封鎖する際に活躍したのと同型のドイツ製重機。全長約15メートルのトレーラー型で、車載アームを使い、高さ約50メートルまで放水、車両から約100メートルの距離で遠隔操作が可能。生コンクリートの圧送では毎時約150立方メートルを放出できる。

 出発に際し、同社の中村貴広さん(38)は「怖くはありません。今、置かれた自分の使命を伝えられるでしょう」と話していた。

 同社では、昨年11月に福島第1原発近くの高速道路建設に携わった社員が「この機械なら届く」と言っていたことから、協力を決断。東京電力に15日ごろから3日間、かけ続けたがつながらず、17日昼に地元政治家を通じ政府に申し出ていた。

 この後、20日午後8時半ごろに東京電力から電話があり、安全な範囲内で作業することなどを条件に要請を受け午後10時20分ごろに出発。長谷川社長は「中央建設の必要性を認めてくれた。早く復旧してほしい。核分裂でもしたら立ち直ることもできなくなる。厳しい建設業界だが、こういう仕事をしていることを知ってほしい」と話した。




こんなサムライ日本人がいたとは!

後世にもこんなヒーローを語り継ぎたいですね。

日本を救った男たち

2011年03月22日 | Weblog
被爆の危険もかえりみず国民のために決死の覚悟で放水任務にあたった自衛隊や消防、警察、東電職員たち。


未曾有の地震と大津波に襲われ、しかも爆発で飛散した放射能を帯びた瓦礫の中で東京消防庁ハイパーレスキュー隊員が帰京し佐藤康雄総隊長(58)ら3人が東京都内で記者会見し、心境を語ったのを見ながら涙した国民は多いと思います。

会見したのは、災害救助のスペシャリストであるハイパーレスキュー隊の冨岡豊彦隊長(47)と
高山幸夫隊長(54)。

【原発】放水の消防隊員「見えない敵と戦った」(11/03/20)



「大変だったことは」と問われると、冨岡隊長は「隊員です」と言って10秒ほど沈黙。

涙を浮かべ、声を震わせながら、「隊員は非常に士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。残された家族ですね。本当に申し訳ない。この場を借りておわびとお礼を申し上げたい」と言った。

高山隊長は、「(放射能という)目に見えない敵との戦いだった。短い時間で活動を終了するのが大変だった。仲間のバックアップがあったから良かった」と話した。


妻に「安心して待っていて」とメールで伝えると、「信じて待っています」と返信があったという。


そして、佐藤総隊長も妻にメールで出動を伝えた。

【日本の救世主になってください】が返事だった。




3人の言葉には泣けた。ただただ絶句!!!


原発への決死の放水作業を遂行した東京消防庁ハイパーレスキュー隊隊長を取材↓

FNNニュース

総括隊長 高山さんは昨日もテレビ出演されてましたが息子さんも同じレスキュー隊の隊員なんですね。
きっとこんな勇気ある父親の背中を見ながら育ったからこそ同じ道を志したんだと私まで勇気づけられました。




「電気を消して希望を灯そう」





今も、現地では自衛隊、消防隊、警察、東電、自治体、青年団やボランティアの皆さんは、不眠不休の戦いを続けているところですが、ハイパーレスキュー隊の皆さん、そしてご家族の皆様に
「本当にありがとう」と伝えたい。