風のたよりのブログ

日々にスポットを当て綴ります

名勝松島

2011年03月27日 | Weblog
一時2人で車に乗り、1年近く全国をキャンプしながら周っていた。

横浜を基点にまずは北上します。

数日目に東北に到達いたしました。

>俳聖芭蕉が奥州行脚する目的の一つとした松島は、奥の細道の中で「松嶋の月まず心にかかりて」 とありますようによほど気にかかっていたようで、「扶桑第一の好風なり」とそのあまりの美しさに驚嘆し、 絶句したそうです。また、芭蕉が詠んだ句と言われる「松島やああ松島や松島や」は、後にできた逸説のようです

松島と月



芭蕉になって「松島や ああ松島や 松島や」 ...皆と同じように、のたまったものです。






テレビで知りましたが地震により、日本三景の一つで宮城県の特別名勝・松島もこのように大津波に見舞われたらしく



 >文化庁や松島町によると、島の一部が崩落したり、島と島とを結ぶ橋が壊れたり、大きな被害を受けた。一方、島々の対岸にある松島町の死者は、22日午後6時現在、1人にとどまっている。隣の東松島市の犠牲者は650人を超えた。住民は「島が津波から守ってくれた」と感謝、美しい景観を取り戻そうと、流れ着いたがれきの撤去に取り組み、再生に動き出している。<

湾の奥が松島町。絶句。島々に感謝。(毎日新聞)



そして避難された住民はありがたくも瑞巌寺で肩を寄せ合って。






打ちのめされそうな悲劇の中でもこんな嬉しいニュースでホッ♪ありがとう松島!



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4 コメント

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Unknown (tourien)
2011-03-27 22:21:17
こんばんは!

自然に命を奪われた人、自然に命を守られた人・・・本当に紙一重だったのでしょうね?
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防波堤 (そよ風君)
2011-03-28 10:23:03
大きな一直線の防波堤が役に立ちませんでした。こうして、沖合いに防波堤を点在させるのも一つの手。それを越える波がきても、その力を減衰させる働きがあるようです。
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Unknown (keromi)
2011-03-28 10:44:48
松島、心配していました。
息子が仙台にいたので何度か行ってますが、
去年の10月に行った時には、瑞巌寺は地震対策で平成の大改築をしていて入れませんでした。
瑞巌寺はどうしたのかと気になっていました。
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お返事 (boumama)
2011-03-28 13:01:20
tourienさんコメントありがとうございます。

花粉症と今でも止まらない涙で涙腺がバカになってしまいました(笑)
松島は島が点在しているので津波の威力が緩和されたのだと勝手に解釈していますが、生き延びた人・飲み込まれた人とは紙一重の違いで運命の分かれ目でした。

しかし、生き残った人もこれからも苦難の日々が続くと思うと辛いです。


そよ風君コメントありがとうございます。

好きな作家の吉村 昭著の「三陸海岸大津波」が昭和45年に書いた本があるのですが、今、考えると予言したとも思えますが、同氏が生きていたらこの大惨事をどのようの思うのでしょう!

しかし、今と同じようにこの地方に住む人たちは津波は必ず来るものとして受け止め、この地を去らず営々と生きて行くのです。


keromiさんコメントありがとうございます。

普段と変わらない空気を取り戻せましたか?
そうなんですか、丁度改築していたお蔭でビクともしなかったのかも!と、思うと運命を感じますね。
テレビでも映し出されてましたが、調べてみると避難されたその日から食事も出されたようです。

私も実は2人で気仙沼で立ち寄ったお寿司やさんのご夫婦が気になっていたものですから精一杯調べてみるとやっと安否情報を知ることが出来、どうやらご無事だったようです。

再び、開店されるようだったら忘れず二人で訪ねてみたいです。
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