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その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

ノース・ヨークシャの旅 (その2: ウイットビー街歩き)

2012-05-11 14:42:27 | 旅行 海外
ウィットビー・アビーを後にして、次は付近の散策を楽しんだ。

【セント・メリー教会&墓地】
 アビーの隣には、セント・メリー教会(St. Mary's Church)という教会が立っている。教会自体も古いらしいのだが、有名なのはこの教会の裏にある墓地。ウイットピーはドラキュラがルーマニアから上陸した地でもあるのだが、この小説の作者ブラム=ストーカーはこの墓地で「吸血鬼ドラキュラ」の着想を得たという。確かに教会の裏に、風化し、誰のお墓だかも分からなくなってしまった墓石が並び、一種独特の雰囲気を醸し出している。小説自体は読んだことはないが、まだ陽の高い時間だから良いものの、これが夕闇だったらいつ墓石が動き出して、棺の中から吸血鬼が出てきてもおかしくなさそう。



 この教会と墓地は北海に面した丘の上に立つため、眺めが抜群だ。ウイットビーとはデンマーク語で、現在ある河口沿いの町自体がデンマークからの移住者によって出来たらしいが、この風景を見れば分かる気がする。この海を渡ってデンマーク人が来たのだ。

 

 この丘を下るときには、199段の階段を下る。下りながら見下ろす街が美しい。細い通りに、小さいお店が所狭しと並んでおり、観光客で一杯。家族と一緒なら、ここをそぞろ歩きをするだけで、1時間はあっという間に経ってしまうだろう。一人の私は、ウインドーショッピングの代わりに、河口に面したパブで一杯。



【キャプテン・クック記念館】
 ウイットビーにはドラキュラの並んでもう一人有名人がいる。英国史に残る海軍士官であり海洋探検家であるキャプテン・クック(ジェームズ=クック)である。クックは17歳の時からこのウイトッピーで見習い船員として働いていて、そのとき働いていた大船主の家がキャプテン=クック記念博物館になっている。

(博物館の入り口)


 家を博物館にした構造なので、こじんまりとした部屋の中にテーマごとにクックに関連する展示がしてある。クックのことは高校時代の世界史で少し触れたぐらいだったが、タチヒ、ニュージーランド、オーストラリア、南極圏、北アメリカ西海岸、ハワイと彼の航海の跡をたどっていくと、改めて世界を股にかけた海軍人であったことが良くわかる。当時の航海といえば、常に死のリスクと向き合ったものであっただろうから、その冒険心にただただ感服する。

(展示室内)
 

 


【そぞろ歩き】

 なんだかんだで1時間ちょっとキャプテンクック博物館に居た後は、街歩き再開。河口の橋の袂では、子供たちが釣り糸を垂らしている。「何を釣っているか」と訊いたのだが、えらい訛りの強い英語が返ってきて来てまるで理解不能だった。バケツを覗いてみたら、カニが捕まっていた。釣りをする子供の表情は、どこも変わらない。



 

 ずっと歩き詰め、立ち詰めで、少々疲れたので、またもやパブで一杯。


 夕方になって、だんだんと陽が傾いてきた。河に沿って、海に出てみる。波の音、鴎の鳴き声を聞いていると、ロンドンとは別世界だ。
 

 対岸の丘の上には、夕陽に照らされてアビーや教会が美しく輝いている。あまりの美しさに、もう一度近くで見たくなって再び、丘を登った。さっきまで混みこみだった細い通りも、人通りが少なくなって寂しくなっていた。



 雲が無くなった青空の中、夕陽に照らされる教会は息を飲むほど美しい。陽は傾いてきたものの、あまりにも澄んだ空気の透明感で、墓地からドラキュラが出てくる気配も全くない。
 

 でも、夕陽向かって、教会、墓地、海を眺めると、逆に神秘的な雰囲気が醸し出されるから不思議だ。
 

 アビーは既に閉門しているが、アビー沿いの道から夕陽を背にしたアビーも見えた。思わず、手を合わせ、拝みたく神々しさだった。


(つづく)

ノースヨークシャを旅する (その1 ロンドン~ウィットビー、ウィットビー・アビー)

2012-05-09 23:36:25 | 旅行 海外
 日本のゴールデンウィークには到底及びませんが、先週末はイギリスも3連休だったので、この機会を利用してノースヨークムーアズというイングランドの北東部に位置する国立公園に1泊2日の小旅行に出掛けました。また、少し冗長になりますが、数回に分けて、旅行記を記します。


【ロンドン~ウィットビー(Whitby)】
 初日はまず北海に面したノースヨークシャ州の港町ウィットビーを目指す。過去にも乗ったことのある午前7:30キングスクロス駅発エジンバラ行きのイーストコースト線に乗って出発。オリンピックを意識してか、キングスクロス駅がリーニュアルされていたのに驚く。出発の待合場所と到着の待合場所が分かれて、出発用の待合はモダンなデザインで生まれ変わった。今までの改札玄関フロアは到着者専用のゲートに変わっていて、人もめっきり少なくなり随分寂しくなっている。あの大きな出発電光掲示板や、雑然とした昔の上野駅を思い出させるような、旅情あふれる雰囲気が好きだったのだが、随分と雰囲気が変わってしまったのは寂しい。

(新しい出発フロア)
 

(到着専用となった旧待ち合いフロア)


(イギリスの路線の中でも有数の長距離路線です)


 このキングスクロス-エジンバラ線の車窓はとても気に入っている。中でも最も美しいのは、北部のニューキャッスルからエジンバラ間の海岸線を走るところなのだが、ヨークまでの車窓も、平べったい田園風景が淡々と続くのが、イングランドっぽくて何とも好きな風景だ。持ち込んだ文庫本を読みながら、時おり、目を窓の外に向ける。この季節ならではの一面の菜の花で黄色に染まった野原が美しい。天気の方も、曇り空から青空が顔を見せるようになってきた。

(黄色の絨毯が続きます)
 

 丁度2時間でヨーク駅に到着し、ここからローカル線の急行列車に乗り換え、東へ進む。3両編成の社内は、ぐっとローカル色が強くなる。まだ11:00だというのに、いろんなところが破れたジャンパーを着たおじさんがビール缶を片手にグビグビ飲んでいる。僕が、切符に刻印された番号の座席を探していたら、「どこに座ったっていいだよ。ウぃ。」と、そのおじさんは、虚ろな目を向けて、言ってきた。あんまり、逆らわないほうが良さそうだ。

 1時間ほど乗って、終点のスカーバラ(Scarborough)で下車。ウィットビーにはここからローカルバスで北に更に1時間乗る。20分も乗ると左手に広大な荒野が広がってくる。これがノースヨークムーアズかと期待感が広がる。 更に進むと、今度は右手に大きく扇のように広がる海岸線が見えてくる。ロンドンを出発してもう4時間近くになるのだが、この風景を目にするだけで、あっという間に時間がたってしまう。

【ウイットビー・アビー 】
 ウイットビーに到着して驚いた。地図上の位置や人口が1万3千人という情報から、日本の海岸沿いの寒村をイメージしていたのだが、全然違っていた。町の真ん中に北海に流れ込む川が流れ、その川を囲むように左右に小高い丘があり、河に沿って丘に挟まれるように町が形成されているのだが、その町並みは、レンガ色で統一された屋根が並ぶ家並みや、川に浮かぶ帆船(漁船なのかレジャー用なのか私には分からないが、日本の漁船とは全然違う)などの景観は、寒村というにはあまりにも垢抜けていて、むしろお洒落な感じがするぐらいだ。そして、連休のためか、明らかに観光客と思われる家族ずれが、街中をうろついている。B&Bに荷物だけ置いて、まずお目当てのウィットビー・アビーに向かって歩き出した。

(エクス川河口に架かる橋)


(川向うの丘の上に建つのがウィットビー・アビー)


(ウイットビー・アビーを目指して階段を上ります)



 ウイットビーアビーは、北海の波が打ち寄せる海岸沿いの小高い丘にたっている。修道院として建てられたのは7世紀だが、少なくともローマ時代からここに人が生活していたことが確認されている。そして、16世紀の宗教改革で解散させられ、そのまま朽ち果た寺院跡として今に至っている。北海を前に、バックにはノースヨークムーアの丘陵を望む絶景のなかで、寺院は「佇む」という表現がこれほどぴったりとすることはないと思われるように、そこに存在していた。

(いよいよアビ‐が身近に見えてきた)




 まずは、遠巻きに寺院を眺める。池から臨むアビーの姿は、絵になるとしかいいようがない。遠く後ろには、北海の海も見えるなか、野原の緑、アビーの灰色のアビー、青空のコンストラスが見事である。ぼんやりとではありのだけど、池にはアビーの姿が、風で波打つ水面に映っている。もう少し暖かければ、ボーッと数時間は過ごすことができるだろう。

(絵になる風景)




 気温はまだ10度に達せず、冷たいそよ風が吹くなか、タンポポの黄色ほどは濃くはない、上品な黄色をした野花が緑の草の上に咲いているのがわずかに春を感じさせる。段々と雲が切れ、陽の光が体を照らし、風で冷たくなる体を暖めてくれた。

 今度は、遺跡に近寄って間近くで見てみる。太陽と同じ方向に向かって見るアビーの壁は、全体が影になるため石の色が濃く暗く見え、1500年の時間を感じさせるかの如く神秘的に映る。逆光になるのでカメラを向けてもその色は全く写らない。逆に、寺院の反対側に廻って、太陽を背にすると、よくみえるのだが神秘さはなくなってしまう。難しいものだ。



 寺院の中に入る。どこの教会にもあったのであろう回廊や祭壇を想像しながら、中世にこの寺院にいた修道士たちは何を思い、何を考えていたのか?想像は留まることがない。

 上を向いて、天井近くの壁にカメラを向けると、私の小型自動焦点カメラが人の顔を認識したマークが現れた。よくよく見てみると、そこには人の顔が彫って合った。私の肉眼では認識していなかった石の上の彫像をしっかりと認識するなんて、この片手に収まるミニカメラもたいしたものだと感心した。

 

 窓跡の空間から覗く青空が美しい 。



 打ち寄せる波の音、小鳥のさえずりを聞きながら、そこに佇むアビーを、ぼんやりと見ていると、時間の経つのも忘れ、更には自分が中世にスリップしたような気にさえなる。なんと、長閑で、平和な時間なのだろうか。結局、2時間以上も、その辺りをうろうろして、あとにした。 もう、この旅行は十分。そんな感じだった。

(寺院の後ろに広がる野原)


(つづく)

ハンプトン・コート・パレスを訪れる

2012-05-06 23:18:56 | 旅行 海外
 先月(4月)の中盤に、常々一度行きたいと思っていたけど、なかなか行く機会が無かったロンドン郊外の観光スポット「ハンプトンコートパレス」を訪れました。今回は車で行ったのですが、列車ならウォータルーの駅から30分弱で行けます。

(完全な逆光なのですが、入り口です)


 ヘンリー8世が臣下のトマス・ウルジ―枢機卿から献上を受けた(無理やり奪った)宮殿で、ヘンリー8世以後も、18世紀のジョージ2世の世代まで時の君主の宮殿として利用されていたそうです。時代時代で増築がされているため、チューダー朝の建築様式や18世紀のゴシック様式の建築も見ることができます。また、宮殿を取り囲む美しい庭園があることでも有名です。

(門を入った最初の中庭であるベースコート)


 宮殿内は、大別してヘンリー8世関連の居室群(アパートメント)や台所、ウイリアム3世の居室群、メアリー2世の居室、ジョージ2世の居室などのエリアに分かれています。バッキンガム宮殿やウインザー城などと同様に、相当数の部屋がありますから、一つ一つ丁寧に見てしまうと丸1日かかるでしょう。知名度では、バッキンガム宮殿やウインザー城には届かないためか、観光客で一杯ということもないので、ゆっくり自分のペースでのんびりと巡ることができます。私は、部屋そのものよりも、部屋に飾ってある幾つもの絵画やタペストリーのロイヤルコレクションに興味があったので、そちらの方を中心に観ました。

(ヘンリー8世の居室にあるグレートホール)


(グレートホールにかかった豪華なタペストリー)




(美しい時計のあるクロック・コート)
 

(ファウンテンコート)


(チューダー朝の衣服を着た人たちが雰囲気を盛り上げます)
 

 庭園のほうも確かに美しかったですが、10℃を下廻る寒い天気であったことや、さほど庭園には興味がないこともあり、一通り眺めただけに留まりました。






 確かに、バッキンガム宮殿やウインザー城と比較してしまうと、華やかさという点で多少見劣りはすると思いますが、家族づれで週末の1日をゆっくりと過ごすには良いかと思います。

 余談ですが、宮殿の後部(庭園よりもさらに奥)には、ハンプトンコートパークと言う公園(というかただの野原)が広がっています。ちょっと、宮殿に入る前に、朝の清々しい空気の中、短いウォーキングを楽しんだのですが、子鹿の群れを発見。時間と体力のある人は、宮殿訪問の前後に入ってみるのも面白いと思います。



 



 2012年4月15日訪問

雨のアシュリッジ・エステイトでイングリッシュ・ブルーベルを見る

2012-04-30 22:12:38 | 旅行 海外
 しかしまあ、週末にあれだけ強風と雨が降り続いて、月曜日になるとこうも晴れるのかという、恨めしい快晴の月曜日でした。

 週末の土曜日は4月下旬から5月上旬にかけて咲くブルーベルを見にアシュリッジ・エステイトというナショナルトラストが管理する土地へウオーキングに出かけるつもりでした。それが、朝から強風交じりの雨。でも、イングランドの天気だから、晴れる瞬間もあるだろうと思い、強行出発。結果として、天気が上向くことはありませんでしたが、印象的な風景を目にすることができました。

 アシュリッジ・エステイト(Ashridge Estate)は、ロンドンから車で40分程度北北西に行った行ったところにあります。2,000ヘクタール (5,000エーカー、甲子園グランドの1460個分、皇居の約14個分)という広大な土地がナショナルトラストにより自然むき出しの形で保存してあります(HPはこちら→)。

 近年はスパニッシュ・ブルーベルとの雑種が広がっているそうですが、イングリッシュ・ベル―ベルには、花茎が湾曲する、香りがより強いなどの特徴があるようです。3年前に、ブルーベル鉄道という機関車が走る路線に載った際に、車窓から、森の中に一面に群生したイングリッシュ・ブルーベルにより青の絨毯がひきつめられていたのを目にし、また一度、同様の風景が見たいと思っていました。ネットでアシュリッジ・エステイトがブルーベルで有名ということを知ったので、ブルーベル目当てで出かけたわけです。

 冷たい雨が降りしきる中、森の中にあるビジターセンタから出発。とことこと雨の中の一人歩きはかなり寂しい物がありますが、雨さえ降っていなければ、ここはどんなに気持ちが良いだろうと思うような、新緑が始まったばかりの森でした。



 時折、森の切れ目から見渡せる一帯は、日本の原風景のような趣さえあります。
 

 そして歩き始めて20分余り、イングリッシュ・ブルーベルが群生している一帯を発見。
 

 近ずくと・・・
 

 更に接写。
 

 神秘的としか言いようのない美しさがありました。

 あまりにも寒いのでしばらく楽しんだ後は、元の道を戻り、ビジターセンタへ。カフェで暖かいスープを飲んで、体を暖め、計2時間の滞在で帰宅となりました。


 2012年4月28日

ドーヴァー旅行2日目/ 小雨と風の中のウォーキング

2012-04-13 23:02:39 | 旅行 海外
 2日目。この日の天気は、前日よりも更に悪化。朝から小雨がぱらつく、肌寒い天気でした。

 Mikiさんお勧めのドーバーの西側の要塞Walking(こちら→)にも魅かれていたのですが、長い距離を歩いて、トレーニング代わりとしたかったので、Doverから隣町のDealまでの10マイルのWhite Cliffs Walkにチャレンジすることにしました(ウォーキングコースの案内はこちら→)。

 フランスに出入りするフェリーの港を見下ろしながら、ナショナルトラストが整備したウォークパスを歩きはじめます。




 白亜の崖の上を歩くとは聞こえはいいですが、1メートル左横は絶壁。風が強い日で、突風でも吹いたら、あっという間に御陀仏間違いなし。正直、足を震わせながら歩きます。


 

 天気さえよければ、海の青、草の緑、岸壁の白の色々が、青空の中に溶け込んで、さぞかし素晴らしい風景なのでしょうが、この日はそうした輝く春の日を夢見ながら、苦行のようにひたすら前へ。誰にも行きあわないのも、ちょっと不安にさせてくれます。




 SouthForeland Lighthiouse。灯台があっても、この霧雨交じりの天気では、用を足さないでしょう。


 行程の1/3のところで、パブで休憩。ブリテン島で最もフランスに近いパブとのことです。確かに、ここでは私のOrange社の携帯電話が、フランスの電波をキャッチしていました。ロンドンにかけたら国際電話になるところだった・・・




 海岸から白壁を見上げる。


 出発から12キロぐらい歩いたところで、やっと丘を下りて、人里へ。


 海岸線にそって真っすぐ伸びる道をテクテク歩き。この周辺の海岸地域はその経済的、戦略的重要性からヘンリー8世が、防御用の城塞を築いた歴史的な地域だそうです。



Walmer Castle


Deal Castle


 4時間歩いてやっと目的地Dealへ。イースターのこの日は、街のハイストリートのお店も9割閉店。かろうじて、パブや飲食店はオープンしていたので、頑張ったご褒美に、レストランで昼食。小雨にぬれて冷えた体をワインで温めました。


 

 コースは良かったのですが、雨には勝てません。天気に良い日に、再度チャレンジしたいと思います。



イースターのドーヴァー旅行

2012-04-10 23:52:36 | 旅行 海外

 イースター休暇の4連休。唯一のイベントが、ブリテン島南東の外れにある港町ドーヴァー(ドーバー)ヘの1泊旅行。ドーヴァーはロンドン・セントパンクラス駅からハイスピードトレインで1時間ですから、十分日帰り圏内なのですが、物の散らかったフラットから抜け出したく、1泊でゆっくりすることにしました。

(セントパンクラス駅発のハイスピードトレイン)


 お昼前に到着したのですが、生憎、天気は小雨がぱらつくすっきりしない天気の上に、気温もロンドンよりもずっと寒い。天気の悪さのせいか、街中を散策しても、どんよりしていて、それほど特筆すべきところはない感じで、何か場所のチョイス間違えたかな?と、早々と後悔の念。市内中心部の観光スポット、博物館、ローマ人の家なども悪くは無いのですが、かといって・・・・・・という感じ。

(ドーバー博物館の目玉 青銅器時代の木船)


(ローマ人の家 イギリスでも保存状態が最も良い遺跡だそうです)


(街で見かけたドーナツ屋さん その場で揚げてくれるホカホカドーナツは一つ35ペンス)


 やっと15時過ぎに雨が止んだので、街の西端の丘の上に建つ、ドーヴァーの目玉ドーヴァー城へ出かけました。ドーバー城は、ブリテン島に侵攻したローマ人が灯台を建てた地に、11世紀頃からブリテン島の前線として砦が築かれて以降、1958年まで兵が駐屯した現役の城塞だったところです。

(街を見下ろすようにそびえるドーバー城)


 ドーヴァー城は流石、観光の目玉だけあって、一見の価値があります。城内を散策して、まず、その広さに驚きました。イギリスで幾つかの城を巡りましたが、規模の大きさは有数だと思います。山の上にありますから、坂道をよっちら上るのはしんどいですが、良い運動になります。また、城から見渡すドーバー海峡の眺めの素晴らしいこと。雨こそ止んだものの、生憎のくもり空で視界はそれほど良くないのですが、それでも大陸までが肉眼ではっきりと映ります。フランスへ出港したり入港したりするフェリーを観るのも、とっても長閑な気分です。

(城の立つ丘から見るドーバー港 フランス行きのフェリーが行き来しています)


(いよいよ本丸へ)


(本丸の塔から見下ろす景色)




(本丸内の部屋)


(右がローマ人が建てた物見塔 左はサクソン人が建てた教会)


 ここまではイギリスの城めぐりと大きくは変わらないのですが、ドーバー城ならではの一押し必見新アトラクションがあります。Secret Wartime Tunnelsという、第2次世界大戦中にイギリス軍がドーバー城が立つ崖をくり抜いて作った防空壕です。ここを1時間かけて廻るガイドツアーがあるのです。このツアーが、とっても面白く、トンネル(防空壕)の中を巡りながら、1938年のドイツのオーストリア併合から始まって、1940年のダケルクの撤退作戦までの戦史を映像で紹介してくれます。

(トンネル入り口です)




 特に、このアトラクションがダイナモ作戦と名つけられているように、ドイツ軍の侵攻に破れ、フランスのダケルクから英・仏の32万の兵士を撤退させたダイナモ作戦(コードネーム)は、詳細に映像で紹介されます。この作戦の最前線がこのドーバー城であり、司令部がまさにこの地下トンネルにありました。ガイドのお兄さんによると、私たちが廻ったのは、トンネルの10分の1程度にすぎないということでしたが、当時の通信室、指令室、司令官室などが保存してありますが、当時の緊張感がそのまま伝わって来ます。

(ダイナモ作戦の成果)


 ツアーが終わり、外界に出て、再びドーバー海峡を前にすると、ぼんやりと長閑な気分に浸って眺めていた1時間前とは、同じ海が全く違って見えるから不思議です。

 (このツアーは20名程度のグループで、15分おきにトンネル内に入場していきます。私がドーヴァー城に入った際は、連休のせいもあったかもしれませんが、30メートル程度の行列になっており、入場に90分は待つだろうと言われました。なので、先に城めぐりを先行させたのですが、帰り際に並んだ時は30分程度の待ち時間で済んだものの、17時からの最終のツアーでした。このツアーを見逃すとドーバー城の面白さは半減していただろうだけに、訪問される方は、時間配分や優先順位を意識されておいた方が良いかと思います。もう一つ、このトンネル内にある戦時病院のツアーもあるようなのですが、私は時間切れでした。)

 トンネル内は撮影禁止なので、写真はないですが、下記のナショナル・ヘリテージのHPが詳しいです。(こちら→
 ドーバー城を降りてきたところにあるパブ。すごくアットホームな感じで、いい雰囲気のパブでした。

 

 ※なお、今回のドーバー旅行にあたっては、Mikiさんのレポート(→)を大変参考にさせていただきました。この場を借りて、お礼申し上げます。

2回目のヴェネティア旅行

2012-01-29 20:59:40 | 旅行 海外
《編集前のメモ》

2012年1月28日

6:25 地下鉄乗る
7:30 空港着
8:50 出発
11:20 到着
11:50 バス
ボートに乗ってサンマルコへ。
13:20 ホテル探しに時間がかかる。やっぱり、ヴェネティアは道が分からん
13:40 前回行った大衆レストランへ
    イワシのマリネ、スパゲティボンゴレを食す。美味しい。
14:30 フィネ-チェ歌劇場へ 古くて新しい 豪華絢爛
15:30 オペラはルーサロメ。意味が全然わからない。
    客席を変更して、取り囲むように舞台作り。
18:00 終演
ホテルに戻って、一服して出かけて食事。
最初のレストランは予約でいっぱいだったが、偶然入った2つ目があたり。
タコのカルパッチョ、魚介類のパスタを食す
帰って寝る


2012年1月29日

朝起きたら800。昨日11時には寝てるから良く寝た。スカイプ音声のみ。830朝飯。コールドミールだけだが、砂糖付きのクロワッサンがうまい。930からジョギング35分。風が冷たいが、天気が素晴らしい。11時15分前にチェックアウト。
鐘塔に上る。以前来たときは100メートル近い行列ができていたが、5分と待たずエレベーターへ。眺めは最高だが、冷たい風が強くとてもゆっくりはできない。青空、屋根の煉瓦、海の色のコントラストが素晴らしい。これは登る価値あり。
歩いてアカデミア美術館へ。部屋を工事のためか、絵の配列がずいぶん違っていた。企画展もなかなか良い。老婆、ルビの晩餐、などなどイタリアルネッサンスものを楽しむ。15世紀のサンマルコ広場を描いた絵などは今とほとんど変わっていない。ずいぶんはしょってみたが、やっぱり1時間は優にかかる。
サンタマリア教会まで歩くが、予想通り道を迷い、広場についたのが12時過ぎ。べネティア一番のピザやというレストランにはいる。たしかにピザ生地は薄いが粘っこくて味が良い。モツレラチーズもうまい。トマトソースが少なかったのが残念。ナポリには叶わんな。もう1時20分となったので宿へ荷物を取りに帰る。14時過ぎのボートで大運河を上り、最後の観光がてら空港バスが発着するローマ広場へ。

冬のベネティアは人が少なく落ち着いている。しかし、この街はまさに生きた博物館だ。ここまで頑なに景観を保っているのは驚嘆するしかない。

定刻着
629ヴィクトリア行き列車
710遅れてヴィクトリア着
中華買って帰る

ホテル 60ユーロ
飛行機 70ポンド
ボート36時間券 28ユーロ
美術館 11ユーロ
メシ 40、43、12
空港バス 5*2
ガトイック往復 13ポンド
展望台 5ユーロ
オペラ 70ユーロ

『フェルメールの女性たち展 (Vermeer's Women: Secrets and Silence)』@フィッツウイリアム博物館

2012-01-06 17:51:01 | 旅行 海外
 う~ん、まだまだアンテナが低いなあ~。終了2週間前に気付きいたケンブリッジのフィッツウイリアム博物館(こちら→)で実施中のフェルメールに関連する展覧会に行ってきました。



 フェルメールとその時代(17世紀)のオランダ人画家たち(Gerard ter Borch、Jan Steen、Pieter de Hoochら)が描いた、様々な生活シーンの中の女性像の作品を集めています。フェルメールの作品は、ルーブルからの借り物のThe Lacemakerを筆頭に、ナショナル・ギャラリーの作品1点、ロイヤル・コレクションの作品1点、個人蔵の作品1点の計4点が展示してあります。(展覧会の紹介HP→

(展示のフェルメール作品) 
 

 


 総展示作品は30点程で決して多くはありませんが、その日常生活の中の女性を描くというテーマや繊細かつ優しいタッチの作品群は、私にはたまらない展覧会で、食い入るように一枚一枚を見ていました。日本では、とかく希少価値からか、フェルメールに話題が集中しますが、この時期のオランダ絵画は素晴らしい作品が多く、素人目にはフェルメールと区別がつかなかったり、むしろフェルメールよりも良いと思うような作品もあります。

 1月15日で終了のせいか、そう広くはない会場内は、日本の展覧会並みに混雑していました。ギリギリのご紹介になって申し訳ないですが、ロンドン在住の方には、おススメです。企画展ではありますが、入場無料です。



 ※今回、初めて知りました(以前は車で行ったので)が、ケンブリッジにはキングスクロスから列車で45分で行くことが出来ます。

コンスタブル・カントリーを歩く

2011-12-29 21:16:46 | 旅行 海外
 イギリスでは、最も有名な画家の一人の思われるジョン・コンスタブル。私もこの人の素朴で温かみのある田園風景の絵がとても好きで、ナショナルギャラリーに行った時は必ずと言って良いほど「干し草車」と「牧草地から見たソールズベリー大聖堂」は立ち寄ります。

(「干し草車」と「牧草地から見たソールズベリー大聖堂」)
 

一度、コンスタブルが描いた「干し草車」の風景を見てみたいと思っていたところ、このコンスタブルの生まれ故郷サフォーク州のフラットフォードに、ナショナルトラストの管理で、コンスタブル・カントリーとして、今でもその原風景が残されているということを知りました。(どこが作成したWebかよくわからないのですが、参考まで→)

ロンドンからはリバープールストリート駅からノーリッジ行きの長距離列車に乗って、Manningtreeという駅まで1時間ちょっとで到着します。距離にしてちょうど100キロぐらいです。



駅前には何もない田舎駅。コースの取り方にもよりますが、ここから5~15キロぐらいのフットパスが整備されています。(ウオーキングマップはこちら→)

5分も歩くと、いかにもイギリスの農村風景と言う風景が広がります。スタウア川の流域をのんびりと歩きます。早朝は快晴だったのですが、段々と雲が出てきました。





30分も歩くとコンスタブルが好んで描いたフラットフォードミルのエリアに到着します。「おー、ここが、コンスタブルが描いた風景か~」と感動。もちろん全く同じではありませんし、どこにでもあるような農村風景なのですが、1800年前後の原風景がほぼそのままの形で残っていることに、イギリスらしさを感じます。ここには、小さなコンテスタブル記念館があるのですが、まだ開館までには時間があったので、先にウオーキングをすることにしました。





(この風景が「干し草車」の元ネタ)


最近はこの種類のイギリス田舎風景には見慣れてしまった感がありますが、このごくごく普通の自然の中に自分を浸す感覚は、イギリスならではのものだと思います。



雨が降り出したと思ったら、少し強くなり始めたのは少し閉口しました。雨の中を2時間ちょっとこのエリアを周回。





そして、フラットフォードミルへ帰着し、コンスタブルの記念館へ。記念館といっても、昔ながらの小さな家の中にある3つ程度の部屋に、コンスタブルのフラットフォードを描いた絵のパネルとその絵の紹介がしてある程度です。でも、現地、現場の雰囲気が十分に伝わってきます。同じ敷地内には、Caféが併設されていて、そこで英国の田園風景を楽しみながら、ゆっくりすることもできます。









Cafeでゆっくりして、そろそろ帰路につこうかと外に出たら、雨は止み、冬の太陽が顔を出し始めました。低い角度から太陽の光に、枯れ草の農村風景が照らされ、周囲が黄金色に輝く様が、なんとも見事です。











ロンドンまでの次の電車が来るまで30分。駅に併設された、パブ(?)で一杯やって、この日の余韻を楽しみました。



 2011年12月10日

アテネ博物館シリーズ (国立考古学博物館/アゴラ博物館)

2011-11-27 17:28:49 | 旅行 海外
【国立考古学博物館】



 新アクロポリス博物館と並んで、素晴らしいのが国立考古学博物館。紀元前7世紀から紀元後5世紀に至るまでの、ギリシャ国内の様々な地域での出土品が展示してあります。その規模、質にはただただ驚愕。その洗練された美しさ、迫力には息を吞むばかりでした。3時間ぐらいかけましたが、それでも、とても全てを見切れるわけにいかず、冬季は午後3時に閉館と言う極めてギリシャ的な時間設定に、無念の退館となりました。

(印象に残ったいくつかの作品を)
 

「アルテミシオンの馬乗り」




「ポセイドンのブロンズ像」




【アゴラ博物館】
紀元前150世紀頃建造されたアタラスの柱廊の跡にアゴラ博物館があり、アゴラでの出土品が展示されています。こじんまりとした博物館ですが、その展示品のレベルの高さは間違いなく一級品です。





ガイドブックを見るとまだまだビザンチン博物館やキュクラデス(キクラデス)博物館、ベナキ美術館など、まだまだ面白そうな美術館、博物館が沢山あるのですが、老後の楽しみにとっておくことにしました。


(付録)
 3日間のアテネ滞在で唯一のレストラン体験。オリンピア駅から徒歩2分ぐらい。雰囲気も気さくな大衆食堂で感じ良いです。英文ガイドで、「地元ジャーナリストの御用達」と紹介されてました。

(レストラン名) Athinaikon(アシナイコン)
(住所) Themistokleous 2, Omonia





(頼んだは白ワインとギリシャサラダとタコのグリル)


アテネ博物館シリーズ (新アクロポリス博物館)

2011-11-26 17:13:17 | 旅行 海外
アテネは街自体は大して魅力的ではなかったのですが、遺跡に加えてもう一つ大きく感動したのが、博物館でした。限られた時間だったので、訪れたかった博物館/美術館の全てには行けませんでしたが、幾つかを2回に分けて簡単に紹介します。

【新アクロポリス博物館】
2009年に新しくオープンした美術館。私の持っている「地球の歩き方 ヨーロッパ」は2008年版なのでこの博物館の存在すら紹介されていません。守屋さんから事前に「あそこは評判いいですよ」と教えていただき、初めて知りました。そして、行って大正解でした。守屋さん、この場を借りてお礼申し上げます。



アクロポリスの発掘現場から出土した文化財を中心に収蔵・展示している考古博物館ですが、博物館の建物と言い、展示作品と言い、素晴らしいです。

博物館はアクロポリスの丘の下に位置し、ローマ時代の遺跡の上に建てられています。床がガラス張りになっていて、ローマの遺構を見下ろせるようになっています。そして、大きなガラス張りで建てられているため、広い余裕の展示スペースの中で展示物を見学しながら、アクロポリスの丘を見上げることができるという素晴らしい環境の中で時間を過ごすことができます。



館内の写真撮影は厳禁なので、中の写真は下記の観光サイトを参考にしてください。(こちら→

青銅器時代から古代ギリシア・ローマ時代を中心に、彫像や工芸品が展示されていますが、そのスケールと工芸品の美しさは息を飲みます。特に3Fのパルテノン神殿の大理石の彫像は素晴らしい。現物と同じ大きさで再現されています。大英博物館所蔵のものと合わせたらどうなるのか見てみたいと思うのは、きっと私だけではないでしょう。

夕方、夕暮れ頃に入ったのですが、思わぬ収穫は中2階にあるカフェ&レストラン。窓越しにパルテノン神殿を見ながら食事やお茶をすることができます。ライトアップされた神殿は神秘的でロマンチックなものでした。





退館する際には、真っ暗でした。


アテネに行く時は、必ず立ち寄られることをお勧めいたします。

 2011年11月11日訪問

アテネ遺跡シリーズ (アゴラ 他)

2011-11-24 23:40:44 | 旅行 海外
 アクロポリスの丘を下りて、アゴラ(現代ギリシャ語で市場、古代は議論を交わす社交の場という意味)を訪れました。

(中央の公園のようなところがアゴラ)


(ここは昔、市場だったとのこと)




(ヘファイストス神殿)


(ヘファイストス神殿からアクロポリスの丘を見上げる)


 アゴラを出て、地下鉄の駅に向かう途中に、またまた遺跡がありました。ハドリアヌスの図書館ということでした。ハドリアヌスと言えば、イングランドとスコットランドの国境にハドリアヌスの壁を作ったイギリスでもとってもなじみの深いローマ皇帝です(ハドリアヌスの壁の旅行記はこちら→)。当時のローマ帝国を縦横無尽に動き回ったハドリナヌスの足あとがこんなところにもあると知り感動。飛行機どころか車も無かった時代の彼の行動力にひたすら脱帽です。



 続いて、ギリシャ神話に登場する神々の中で最高神とされるゼウスを祀ったゼウス神殿。ギリシャ本島の遺跡では最大級とのことです。確かにでかい。


 そして、最後は、ゼウス神殿の近くに合った遺跡。どっかで観たことあるなあと思ったら、ローマ人の風呂跡(ローマンバス)でした。


 以前は遺跡巡りなんぞは全然自分の趣味ではなかったですが、欧州に来て以来、自分の想像力とのゲームであることを理解し、結構はまっています。

アテネ遺跡シリーズ (アクロポリスの丘/パルテノン神殿)

2011-11-23 00:26:25 | 旅行 海外
 今回のアテネ訪問はマラソンが目的ですが、せっかくの機会なので金曜日に休みをもらい、金・土と少しばかりのアテネ観光を楽しみました。アテネと言えば、やはり古代ギリシャの遺跡です。

 そして、アテネの遺跡と言えばパルテノン神殿のあるアクロポリスの丘。「聖域であるとともに、都市国家防衛のための要塞としての役割を担っていた」(「地球の歩き方 ヨーロッパ」)ところです。夏は暑くて見学にならないと言う話も聞いたことがあるのですが、この日は、逆に、寒くて風が強い。あやうく飛ばされるかと思う風の中、震えながら見学しました。



(イロド・アティコス音楽堂)
 今でも夏は音楽祭をやっているらしいです。


(プロピレア)
 パルテノン神殿の前門です。


(パルテノン神殿)
 町の守護神アテナを祀った神殿で、紀元前438年完成の「古代アテネの栄光を象徴する遺跡」(地球の歩き方)です。その美しさ、雄大さには掛け値なしに圧倒されます。2400年の時間を超えてここに存在すること自体に感動します。









(神殿のとなりにあるエレクテイオン)


 近くに日本人ツアーの一団がいらしたので、ちょっとガイドさんの案内を盗み聞き。

 ガイドさん  「・・この神殿にあった彫像の多くは、イギリスの大英博物館に保存されています・・」
 関西のおばちゃん「それって、泥棒って言うんちゃう~」
 その友達    「そや、泥棒や~」

(ティオニソス劇場)
 ここでギリシャ劇のコンテストが開かれたとのこと。


(丘の上からの絶景)


 

 2011年11月12日 訪問


アテネ・クラシック・マラソン 前日 アテネ市街ジョギング

2011-11-18 23:36:37 | 旅行 海外
 (今週は仕事が滅法忙しく、まだマラソン完走記が書けていません。ちょっと間継ぎ記事を)

 レース前日の土曜日の朝に、アテネ市内見学も兼ねてちょっと市内ジョギング。アテネの街自体は西欧諸国に比べると、街自体洗練された美しさはあまりなく、どちらかと言うとアジアの途上国から成長のエネルギーを抜いたようなのようなイメージで、正直走っていてもさほど面白くはありませんでした。ビルは古ぼけているし(空洞化が進む日本の地方都市の感じ)、道路やビルの片隅など寝ている犬が沢山いるのも、活気を感じない理由かもしれません。

 また、今回の訪問期間は天気にもあまり恵まれませんでした。気温も最低も最高も11-13度ということで、ロンドンとそんなに変わらない寒さ。ギリシャと言えば真っ青な青空と白壁の家並み、灼熱の太陽という極めてステレオタイプのイメージしか持ち合わせていなかった私には、「う~ん、俺はどこに来たのか?」と言う感じでした。

 ただ、さすがアテネ。街のいたるところに遺跡がありました。観光で訪ねた遺跡はまた別記事で紹介します。




 遺跡からパルテノン神殿を臨みます。


 パルテノン神殿の丘に向かって、登り道を走る練習。白い家が立ち並び、やっと私のイメージのギリシャに近い家並み。


 丘からの眺めは抜群でした。


 市の中心部にある中央市場。どの国を訪れても市場の活気は同じですね。この市場は肉ばかりが売ってました。それにしても、どうして市場のオジサン達ってこんなにフレンドリーなんだろう。と思うほど、多くの人から声をかけられました。「そんな短パンじゃ寒いだろう。」「明日、走るのかい?」「ハロー、マイフレンド」・・・。
 



 オリーブ売り場です。


 翌日のレースに備えて軽めの40分程度の市内Jogでした。

 2011年11月12日 8時半ごろ

アテネ・クラシック・マラソン前々日

2011-11-16 23:05:20 | 旅行 海外
 「紀元前450年9月12日、アテナイの名将ミルティアデスはマラトン(Marathon)に上陸したペルシャの大軍を奇策で撃退した。マラトンの戦いである。勝利というエウアンゲリオンをアテナイの元老に伝えるためにフィディピディス(Philippides)という兵士が伝令に選ばれた。フィディピディスはマラトンから約40km離れたアテナイまでを駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり」と告げた後に力尽きて息を引き取ったと言われている」(「マラソン」ウキペディアより)

 このマラソンの発生の地で行われるアテネ・クラシック・マラソンというマラソン大会に参加してきました。この故事にあるマラトンからアテネ(アテナイ)までを走るレースです。1997年の世界選手権と2004年のアテネオリンピックで利用されたコースでもあります。言わば、ランナーにとっての聖地。せっかく欧州に居るなら、一度は出たいと思い申し込んだものです。



 かなり悪いコンディションの中のレースだったのですが、レース模様はまた別にご報告します。今日はとりあえず、前々日の様子を。

 市内の中心部にある公園にある施設でマラソンEXPOとゼッケンの受け取りが行われました。

 さすがギリシャ。ゼッケン引き取り会場も神殿風。 


 ゼッケンの引き取り会場。


 ゼッケンを引き取った後は、マラソンEXPOです。
 

 ゼッケン引き取ると、「いよいよだ」と気持ちが盛り上がります。

(付録:飛行機からギリシャを初見)



2011年11月11日