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その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

初夏を感じる武蔵野・野川公園

2021-05-16 07:30:00 | 日記 (2012.8~)
インドア系の投稿が続いているので、たまにはアウトドアの投稿を。
とは言っても、ろくに外出していないので、近隣のランニング風景です。

昨日は、武蔵野公園、野川公園までジョギング。ゴールデンウイーク時の新緑は緑の度を強め、初夏を感じさせるものでした。走り途中に立ち止まって撮っているので、ぼーっとした写真ばかりですが、ご愛敬ということで。


〈武蔵野公園〉


〈野川公園へ〉


〈野川公園は広々として気持ちがいい〉




〈聴き慣れない鳥の鳴き声が聞こえました。バードウォッチングのグループが追っかけてましたが、何という鳥だろう〉



天気予報のお姉さんが「梅雨入りも近い」という話です。この眩しくて、爽やかなこの時期が短過ぎるのが残念です。

巣ごもり疲れ時の東京郊外ウォ-キング @片倉城址公園

2021-05-02 08:49:09 | 日記 (2012.8~)

野草観察が趣味の母のリクエストで東京八王子市にある片倉城址公園なるところを訪れた。1時間余りで散策できる規模の丘陵地だが、緑豊かで巣ごもりの沈んだ気分をリフレッシュできたので、簡単にご紹介したい。

誰の居城跡か正確な史料はないようだが、室町時代に片倉の小山に築城された城跡で東京都指定史跡になっている。空堀跡や二の丸跡、本丸跡とかも残っている。周囲の長閑な風景と相まって、日本の里山と言った風である。

母のお目当てだったヤマブキソウは残念ながらシーズン終了の様子だったが、目線を落として色んな野花を探すのは楽しい。野花とは言えないかもしれないが、本丸跡の広場の奥に大きな藤の木に花がついている見事さには感嘆した。

汗ばむぐらいの日差しだったが、公園内はおおむね木に覆われているので涼しいし、深みを増しつつある新緑が美しい。今回は、城址公園のみの散策で終わりとしたが、周辺エリアに足を延ばすこともでき、もっといろんな楽しみ方もできそうだ。JR横浜線の片倉駅、京王線の京王片倉駅からも徒歩圏内なので、巣ごもりに疲れた時の息抜きとしてお勧めだ。

2021年4月29日


寅さんの故郷を訪れる 葛飾柴又/帝釈天

2021-03-02 07:30:15 | 日記 (2012.8~)

葛飾柴又近くを訪れる用があったので、用を済ませた後、寅さん縁の地を散策した。30年ぶりぐらい、2回目の訪問だ。

寅さんファンなら一度は訪れる柴又。見どころは多いが、帝釈天の参道、帝釈天、江戸川の土手散歩は外せない。

参道は観光地化された感じもするが下町情緒を残していて、お店を覗いてのそぞろ歩きが楽しい。緊急事態宣言中とは思えない賑いだ。普段はもっとすごい人出なのだろう。昭和の駄菓子屋を彷彿させる店に入ると、駄菓子の棚や昔のおもちゃが所狭しと並んでいる。奥には現役のピンボール・マシンが置いてあり歓喜。参道に戻って、やっぱり草団子をということで、食べようとするが、おいちゃん・おばちゃんのとらやのような団子屋さんがいくつかあって、店選びに迷う。草団子を買って、ベンチに腰かけ食す団子が草っぽくて美味しいこと。

映画で感じるイメージよりも短い参道の終点には帝釈天がある。寅さんが産湯をつかったお寺だ。境内はさほど大きくはないが、笠智衆の御前様が鐘を突き、佐藤蛾次郎の源ちゃんが掃除をしている場所かと思うと感慨深い。ひょっこり現れるではないかと探してしまう。

「男はつらいよ」では出てきた記憶は無いのだが、敷地の右奥の入口から、帝釈天の大庭園と帝釈堂彫刻ギャラリーが鑑賞できる(入園料400円)。大庭園は渡り廊下を巡りながら様々な角度で整った日本庭園が眺められる。参道や境内の賑やかさはどこに行ってしまったのかと思うほど、静かで落ち着いた空間だ。そして、隣接する帝釈堂彫刻ギャラリーは圧巻。大正時代から昭和初期に作成されたもので、法華経の説話の諸エピソードが彫り込んである。その見事さに見とれてしまう。帝釈天に来たら、ここは外さない方が良い。

 

お寺を出て、寅さんがよく日向ぼっこしている江戸川の土手に出る。土手の手前には、葛飾柴又寅さん記念館・山田洋次ミュージアムや大正・昭和初期の旧邸である山本邸などの観光スポットもある。今回は時間の関係で残念ながら素通りし、江戸川の土手の散歩に時間を使った。さくらが自転車で通ったり、寅さんが昼寝するシーンを回想しつつ、映画のロケにはぴったりのような春を感じる日差しの中、白球を追いかけるユニホーム姿の少年たちを眺め、映画そのままの雰囲気を楽しんだ。

2時間ちょっとのプチ観光であったが、フルコースなら丸1日楽しくのんびりとした時間を過ごすことができるだろう。寅さんファンは是非とも。

2021年2月20日


博多 朝0.5時間観光 @櫛田神社

2020-12-09 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

11月初旬に9年ぶりに博多・福岡に出張。あいにく、スケジュールパンパンで、ブラ歩きの時間はなかったのですが、ホテルが「博多祇園山笠の櫛田入り」として有名な櫛田神社に隣接する場所にあったため、朝の30分を使って櫛田神社を初めて訪れました。

博多の総氏神様であり、757年創建という古い歴史を有し、天照皇大神(大神宮)、大幡主大神(櫛田宮)、素戔嗚大神(祇園宮)が祀られています。敷地はさほど大きいものではありませんが、落ち着いた佇まいが歴史を感じさせます。

朝7時前ということもあり訪れる人もまばらで、静寂に包まれた境内に立っていると自身が浄化される感覚になります。お堂の彫り物とかも凝っています。


〈かわいい風神〉


〈かわいい雷神〉

本堂の裏に山笠の収納庫があり、正面と後ろ面の両面で鑑賞できます。その一つひとつの凝った装飾を見ていると、時間が経つのを忘れてしまいます。



〈桃太郎の鬼退治〉

たった30分の単発の観光ですが、満足感はとっても高く、皆さんにお勧めできるスポットです。

(付録)前夜に食した長浜ラーメン 旨かった! @ナンバーワンラーメン


高松 朝2.5時間観光 @栗林公園、さぬきうどん、高松城跡

2020-12-05 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

10月下旬に出張で高松に行った際、隙間時間を使ってプチ観光を楽しみました。

まずは高松一の観光名所、栗林公園(リツリン)へ。この公園、「国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で、最大の広さを持つ栗林公園は、高松藩主松平家の別邸として、歴代藩主が修築を重ね300年近く前に完成」(公園ホームページより)したものです。何と、この時期は朝6:00から、夏場は5:30から開園しています。

6時50分に入園し、江戸時代初期の大名庭園として優れた地割り石組みを有すると言われる南庭を中心に散策しました。平日のこんな早朝ですから、訪れる人も疎らで、広い庭園を独り占め。

以前なら「所詮は庭でしょ」ということで庭園内を歩くなどの風流は持ち合わせていませんでしたが、年齢を重ねてきたおかげで、最近やっと庭園の良さが分かってきた気がします。そんな初心者の私にも、栗林公園の借景の素晴らしさは、文句なしに実感できる素晴らしいものでした。しかも丁度、朝日の昇る時間帯で、光の当たり具合が変わり、庭園の表情が移ろっていく様子はとても言葉にできない崇高さで、身体が浄化していくような感覚になります。

もっと時間をかけてゆっくりしたいところでしたが、お尻の時間も決まっているので1時間ほどの滞在で退園し、朝ご飯目的で、近くのさぬきうどん屋さんへ。お店を入ったら、奥に厨房があって、そこからおかみさんが顔を出して、「どうします?」とお尋ね。ここほぼ完全セルフ方式で直接注文は、玉数に応じた大中小だけ(小:1玉、中:2玉、大:3玉」)。玉数×170円で値段が決まります。どんぶりに入って渡されたうどんを自分で湯上げして、汁を注ぎ、ネギ、しょうが類を加えて、マイうどんの出来上がり。かき揚げなどのトッピング類が欲しい人は、トッピング台で皿に盛られた天ぷら類をとって、追加料金を払います。この合理的システムは感動的でしたが、うどんの口の中での馴染み方や御出汁の香り・味わいもとっても美味しい。170円の最高の朝ごはんとなりました。

残った時間で、琴電に乗って史跡高松城跡(玉藻公園)へ。天正16年(1588)、豊臣秀吉の家臣生駒親正によって築城された水城で、日本三大水城(高松城・今治城・中津城)の一つに数えられているとのことです。敷地内をブラ歩きして、秋の朝のわずかな時間を楽しみました。

駆け足の2.5時間高松ブラ歩き。身動きままならない出張が殆どですが、こうした隙間を突ける出張もたまにあるのが嬉しいです。


〈前夜も食べたうどん〉


10ヶ月ぶりの出張! @大阪

2020-10-09 07:30:43 | 日記 (2012.8~)

 昨年12月の以来10ヶ月ぶりの出張で、大阪入りしました。新幹線はbeforeコロナほどでないですが、それでも5割以上の席は埋まっていて、ビジネス客も多くいました。皆さん、感染防止に十分気を付けつつも、少しずつ以前の状況に戻りつつあるようです。

 夜遅めに到着だったので、大阪で食い倒れというわけにはいかず、夜食をホテル近くを徘徊して見つけた居酒屋うどん屋さんで一杯。東京にはない、かすうどんというあまり東京では見ない種類のうどんでしたが、いわゆる関西風のうどん汁にホルモンのかすがマッチしてとっても美味でした。

 ホテルも通常料金よりぐっとお安くなってました。国内出張では、ホテルの窓から隣のビルの壁こそ見えても、風景が楽しめるようなとこには泊まった記憶はありませんが、会社の規定内の費用で数段グレードアップ。

 普段の職場(最近は自宅がメイン)から離れて、現場に出かけて、現地現物を見るというのはいいですね。


〈ホテルの窓から〉

 


〈かすうどん〉

2020年10月8日

 


東京の「坂」特集(東京・早朝寺社巡りラン 付録)

2020-09-19 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

東京に坂が多いことは自明だが、今回、お茶の水、上野界隈の早朝ランで、改めて色んな坂があるものだと実感した。

水道橋のホテルを出て、駿河台の台地を上る。駿河台は、もう何十年も前だが某予備校に1年間通ったのでそれなりに知っているはずなのだが、こんなところに階段があったなんて知らなかった。途中で踊り場があって緩やかな「女坂」ともっと急な「男坂」がある。


〈女坂〉


〈男坂 確かにこっちのが急勾配である〉

お茶の水の駅前の交差点を通過する際に、設置されていた観光板を読んで驚いた。お茶の水駅の北側には神田川が流れ、深い谷のようになっているが、「古くは北側の本郷台(湯島台)と南側の駿河台が一続きで「神田山」と呼ばれていたが、2代将軍徳川秀忠の時代に、水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が形成された」(Wikiより)とのことである。この谷間は人手でつくられたものだったのか・・・


〈この地形は人工的なものだったとは・・・〉

その本郷台(湯島台)の上に神田明神は建っているが、ここにも「(明神)男坂」と「(明神)女坂」があった。続いて訪れた湯島天神もやっぱり高台に位置している。ここも「男坂」と「女坂」。こんな半径2-3kの中に何個の「男坂」と「女坂」があるのだろう。


〈神田明神の東側〉


〈湯島天神の横の男坂〉


〈湯島天神横の女坂〉

根津神社の脇にはエス坂という奇妙な名前の坂があった(写真は撮ってない)。この近辺に住んでいた森鴎外がこの坂を小説『青年』で描いており、その小説にちなんでS坂と呼ばれるとのこと。さらに進み、東大に向かうところにも素適な名前の坂が。「異人坂」と言って、昔、坂上に東大のお雇い外国人教師の官舎があったらしい。日本の医学の発展に貢献したドイツ人ベルツも住んでいたという。


〈異人坂〉

お茶の水近辺に戻って改めて気をつけて見ると、周りは坂だらけだった。もう一つ一つ写真撮るのも面倒くさくなったので止めてしまったが、印象に残ったのをあと一つだけ。「幽霊坂」。「坂の両側は大木が繁って、人通りも少なく、淋しい道であったので、俗に幽霊坂と呼ばれました。」とのことである。


〈幽霊坂〉

東京の町としての歴史は400年程度だが、土地には様々な歴史が刻み込まれている。こんな楽しい観光ランニングができるところはあまりない。


東京・早朝寺社巡りラン(水道橋→ニコライ堂→神田明神→湯島天神→根津神社→水道橋)

2020-09-15 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

 お盆時にソロGo Around Tokyoなるものを企画し、水道橋駅近くのホテルに宿泊した。その際、早朝東京寺社巡りランなるものをやってみた。

 6時すぎに、水道橋を出発。駿河台の坂を上って、お茶の水駅側のニコライ堂を外から見学。そこから聖橋を渡って、湯島聖堂を右手に見ながら、神田明神に向かう。


〈ニコライ堂〉


〈聖橋から〉

 

 神田明神には、昔は職場の商売繁盛祈願で毎年仕事始めの日訪れていたのだが、いつの間にかそんな会社の風習は無くなってしまったので、久しぶり。丁度、朝のラジオ体操の時間で、地域の人が集まっていた。


〈神田明神 隨神門〉

 


〈ご神殿前でのラジオ体操〉

 

つづいて、神田明神から湯島天神へ。湯島天神は実は全く初めてで、想像よりこじんまりとしたものだった。ただ、落ち着いた風情は、個人的にとても気に入った。



〈表鳥居(東京都指定有形文化財) 寛文7年(1667)同8年の刻銘がある〉

 

 湯島天神の次は、根津神社を目指す。途中、上野の不忍池の畔を走るが、水面一面に生える蓮の葉や所々に咲いている花の風景が、日本離れした珍しいものに感じられる。


〈不忍池〉

 

根津神社は学生の頃に彼女と名物のつつじを見に来て以来だ。広く落ち着いた境内が良い。ラジオ体操上がりの母親連れられた子供たちが境内で遊んでいる姿も微笑ましい。

 


〈楼門 国の重要文化財〉

 


〈社殿も国の重要文化財〉

 


〈千本鳥居〉

 

復路では、途中、東大のキャンパス横に沿って走りながら、水道橋駅まで戻った。手元のフィトネストラッカーによると丁度10KGoogle Mapでは8k強)。東京ならではの坂も多く(坂については別記事で紹介したい)ランとしても面白いし、東京の歴史・風情を感じながら走れるとっても楽しいコースだった。


夏の東京史跡巡り(最終回) 湯島聖堂

2020-09-06 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

夏休みの最後の東京史跡訪問は、お茶の水にある湯島聖堂。一度行ってみたいと思っていたのですが、なかなか訪れる機会がありませんでしたので、東京三昧のこの夏休みにやっと決行。

湯島聖堂は、元禄3年(1690年)に、徳川五代将軍綱吉がこの地に孔子廟を建て、幕府の教育担当の林家も引っ越しし、儒学の振興を図るために創建したものです。聖堂とは孔子の寛政年間には、あの昌平坂学問所として幕府直轄の学問所となったところです。明治以降、ここには文部省、博物館、東京師範学校及びその附属学校、東京女子師範学校及びその附属学校が一時同居していたこともあるとのことで、これらを総合してか、入口近くには「日本の学校教育発祥の地」との碑があります。


〈仰高門〉

仰高門をくぐり林の中を進むと、都会のど真ん中とは思えない静寂な空間が存在していました。この夏休みに訪れたところはどこも似たようなものでしたが、こちらも私以外に訪問客はゼロ。

正面横には、孔子様の像が立っています(Wikiによると世界で一番(背が)高い)らしい)。

そして、本丸とも言える大成殿へ。入徳門、杏壇門をくぐって大成殿の敷地に入るとその威厳ある建物とそれらに囲まれた静謐な世界に包まれ、背筋が伸びるような感覚になります。まさに「聖地」ですね。


〈入徳門〉


〈杏壇門〉


〈大成殿〉

ただ、ちょっとがっかりだったのは、大成殿らの建物自体は鉄筋コンクリート作りで、歴史的・時間的な重みを感ずることができなかったこと。材質の違いというのは如実に素人にも分かってしまうので、様式は江戸時代そのままであっても、どうしても醸し出される雰囲気はもう一歩なこところはあります。ただWikiによると、関東大震災での消失とのことで、これは致し方ないですね。

土・日・祝日は大成殿のなかも覗けるそうです。あいにく平日だったので、叶いませんでしたが、次回は土日に来てみようと思います。


〈門の屋根から私を見下ろす動物たち。怖い〉

 

2020年8月18日


夏の東京史跡巡り(4) 近藤勇墓所 @板橋

2020-09-01 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

記事タイトルは「東京史跡巡り」になっているのですが、今回は全くの偶然で「巡った」わけではありません。8月のお盆週間の日曜日、私用で埼京線の板橋駅なるところに初めて降り立ったのですが、駅前ロータリーの奥に只ならぬ雰囲気の一角がありました。引き寄せられるように足が向いたのですが、何とあの新選組局長近藤勇の墓所でした!


〈JR埼京線 板橋駅東口ロータリーの奥にあります〉

 

調布市の近藤勇の生地近くにある墓所、龍源寺(住所は三鷹市)には訪れたことがあります。近藤勇の遺体は、処刑された板橋にあるという説と、そこから生地に運んだという龍源寺説があるのは聞いたことがあるのですが、板橋の墓所とはここのことだったのか!と感激。

正面にある近藤勇と土方歳三の名を刻んだ慰霊碑は、側面に沖田総司、芹沢鴨などその他の亡くなった新選組隊士の名も刻まれています。これって、多少なりとも新選組の小説や映画・ドラマに馴染んだ人にはかなりの感激です。しかもこの慰霊碑の建立は新選組の名物剣士永倉新八と言うから泣けるじゃないですか。


〈慰霊碑〉

 

慰霊碑の周りには、近藤勇の墓石や龍源寺は胸像ですがここは全身像、そして永倉新八の墓碑も建っています。暑い夏の夕刻、この場にはひんやりとした不思議な冷気が漂っているような気がしました。

〈埋葬当初の墓石〉

 

 

 新選組は、歴史的な評価としては決して高いとは言えない集団(ありていに言えば、権力(幕府)側のテロリストグループともいえますし・・・)だったとは思うのですが、歴史的に滅びゆく武士階級の棟梁を支えようとする意地、多摩の半農民が見た武士の夢、もしくは歴史のあだ花と言った、何か我々庶民を引付ける磁力があるのは事実です。

 

所要もあり、じっくりと見物と言うわけにはいきませんでしたが、あまりにも偶然としては嬉しい出会いでありました。


〈永倉新八の墓〉

 

2020年8月16日


夏の東京史跡巡り(3) @滝山城址

2020-08-26 07:00:00 | 日記 (2012.8~)

八王子城址散策が期待以上に楽しめたので、1日おいて、同じ八王子市にある滝山城址なるところに行ってきました。滝山城は北条氏照(小田原北条氏四代氏政の弟)が居住し、1569年には武田信玄が攻めたともされるお城です。「続日本100名城」にも選ばれています。

 

八王子城が山の上に建つ山城だったのに対して、滝山城は北に多摩川を見下ろす丘陵に建ちます。場所は中央高速道の八王子インターから滝山街道なる街道に出てキロほど行ったところ。無料の公園駐車場に車を止めて、敷地内に入ります。先が真っ暗な入口の竹林には一瞬ひるみますが、中はとっても歩きやすい散策コースになっています。

 


〈入口の竹林。写真で見るより、もっと暗くて怖い〉

 

コースがよく整備されて、遺構説明板も分かりやすく適切な場所に設置され、解説文を読みながら当時の様子を想像し散策するのが楽しいです。小宮曲輪、三の丸、馬出等を通って、この城の「集中防御ライン」である二の丸へ。更に奥に中ノ丸、本丸と歩きました。


〈確か写真上部が三の丸。ここに上ってきた兵士には上から矢の雨が降ってきたに違いない〉

 


〈二の丸を囲む空堀〉

 

本丸からは多摩川、そしてその奥に当時は武蔵野国の平原が広がっていたであろう西多摩、北多摩の風景が見渡せます。こうした風景を当時の戦国武士たちは何をどう思い眺めていたのでしょうか?

 

 
〈本丸跡に建つ石碑〉

 


〈中の丸から多摩川を見下ろす〉

 

 

どこかの資料に、滝山城は東西に長く守るには不向きとして、北条氏は八王子城に移ったとありましたが、歩いているとよく分かります。侵入口がいくつも取れそうで、備えるためには兵力を分散せざる得ず、守る方はさぞ大変だったでしょう。

 

横田基地との行き来でしょうが?近い上空を飛行機が何度が通り過ぎます。飛行機の音以外に聞こえるのはひたすら蝉の声。すべての散策コースをくまなく回れば優に2時間以上かかると思いますが、私は中心部分と民衆の避難場所と推定されている「山の神曲輪」まで足を延ばすにとどめたので、2時間弱程度の散策でした。

 


〈奥に来ると散策路はこんな感じ〉

 


〈山の神曲輪からの多摩川〉

 

木の陰の中とは言え、汗が浮き出す暑さ。コロナ下のお盆ならではの、東京史跡散策を楽しみました。春には山桜が咲く名所でもあるようです。史跡好きにも、東京近郊の散策路としても良い場所でお勧めできます。

 

2020年8月14日 


夏の東京史跡巡り(2) @武蔵陵墓地

2020-08-23 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

八王子城址を訪れる前に、近くにある(車で10分ほどの距離)武蔵野御陵に立ち寄った。大正天皇ご夫妻、昭和天皇ご夫妻が、眠られる(祀られている)御陵である。 子供の時に父と来たことがあるが、その時はまだ昭和天皇はお元気だったので、多摩御陵と言って大正天皇夫妻の御陵であったことをおぼろげながら覚えている。

お盆時だからと言ってお参りに来る人がいるのかどうかは分からないが、暑さもあってか、訪れている人は私のほかには、中年男性一人をお見かけした程度である。 入り口からの鳥居をくぐり、杉林の中に砂利を引き詰めた道を歩く。木の陰はあるが、既にかなりの温度に暖まった空気は避けられない。油蝉の鳴き声に囲まれながら、汗を拭いながら5分程度歩く。

大正天皇の墳墓の手前に昭和天皇の墳墓が新しく造られていた。 見上げるように作られた円墳の墳墓を拝む。驚くべきことだが、私には32年前に亡くなった昭和天皇のお墓は、1500年程前に造設された古墳と変わらないように見える(これでもサイズは小型化されてると言えるのかな?)。古代と現代の連続性、「神」としての日本の天皇の位置づけを目の当たりにして、ただただ驚く。 一方で、終戦の日を数日後に控え、昭和という日本史にとってこれ以上の激動期はなかったのではないかと思う時代の「主人公」として生きた昭和天皇の心身のストレスや責任にも想いが及ぶ。

〈昭和天皇の陵墓〉

〈鳥居をくぐって近づくと〉

政治的に取られるのは不本意だが、一度は訪れる価値がある。人によって感じ方は夫々だろう。私にはただただ不思議な気持ちにさせられる場所であった。


〈こちらは大正天皇の陵墓〉


夏の東京史跡巡り(その1) @八王子城址

2020-08-21 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

今年の夏休み旅行は涙のキャンセルで、仕方なく都内をぶらつくことに。初日は、一度行ってみたかった東京の郊外八王子市にある八王子城址を訪れました。

戦国時代の関東の雄、後北条氏の北条氏輝(氏政の三男)が築城したと言われている深沢山(城山)に築かれた山城です。残念ながら、秀吉の小田原攻めの一環で、前田利家、上杉景勝に攻められ、城兵の奮戦むなしく落城したとのこと。日本100名城にも選ばれています。城そのものは残っていませんが、現在整備が進み、遺構等が発掘され、当時を偲ぶことができます。

ベースとなる案内所に隣接した駐車場に車を停めて、散策開始。山のふもとにある領主の居住エリアと、戦闘の拠点となった要害エリアに分かれています。まずは居住エリアで当時の石垣、復刻された館門、ご主殿跡らを見学。


〈当時の石垣が再現されています>


〈御主殿の入口にある冠木門〉


〈御主殿跡〉

一通り見た後は、要害エリアに移動します。要害エリアはまさに山城に相応しく、本丸に向かっては山登りそのものです。深沢山は標高400メートルちょっとなのですが、久しぶりにちょっとした登山の感覚。これを攻めあがるのは大変だろうなあ。木に覆われていますから、陽ざしを直接浴びることは無いものの、地上35℃の中、高台とは言いつつも、もわっとしたねっとりする空気は避けがたく、山の爽やかな空気には程遠いものでした。


〈本丸への入口〉


〈完全な登山道。ここを攻め上がる豊臣側も大変だ〉

途中には八王子神社があります。殆ど朽ち果てていますが、「現社殿は江戸末期の造営である。またこの社が八王子の市名の起源ともいわれる。」(東京都神社名鑑)だそうです。社殿の向かいにはこれまた朽ち果てた神楽殿が残っています。木の建造物は放っておくとこうなってしまうのでしょうね。まだ明るいから良いものの、蝉の鳴き声しか聞こえない人気のない山の神社の境内は、ちょっと不気味でもあります。


〈八王子神社社殿〉


〈神楽殿。ここでどんな踊りが舞われたのだろうか?〉

暑さの中、フーフー言いながらさらに登ります。兵士たちはこの中、鎧を着て戦ったのかと思うと、それはお気の毒としか言いようがない。ただ、本丸近くになると、広大な関東平野を見下ろす素晴らしい景観が望めます。確かに関東の縁で、南と北を抑える地理的に重要な拠点にあることが良く分かります。なんとか40分ちょっとかけて、本丸跡のある頂上までたどり着きました。


〈方向的には横浜方面〉

山頂部はさほど広くないので、きっと本丸もさほどの収容能力は無かったと思われます。ただ、それでも北条VS前田・上杉の戦いで1000名を超える兵士が命を落としたということですから、その激戦ぶりは容易に想像がつきます。


〈本丸跡〉

帰りは下り道を一気に降りました。すれ違った人は2組のみ。暑さを考えればそんなものと思いますが、この八王子城址、ちょっとした運動も兼ねた歴史と想像の旅としてはもってこいの史跡です。涼しくなったら、史跡好きの方には強くお勧めします。


〈北条氏輝と北条氏家臣の墓〉


東京街歩き 谷中銀座商店街

2020-07-20 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

東京の外に出るのは、行く方も来られる方も気を遣うと思うので、安全に気を配りながら東京内をうろうろしてます。

この日は初めてやなか銀座商店街へ。この辺りのエリアは全く詳しくないので、とっても新鮮です。日暮里駅を降りて歩き始めると、昔からあるような佃煮屋さんやせんべい屋さんを覗いたり、落ち着いたお寺に立ち寄ったりで、ゆったりとした時間が流れてます。


<江戸時代の怪談とかに出てきそうな雰囲気の寺の入口>

観光ポスターにもなっている谷中銀座商店街の入り口の階段(夕やけだんだん)から見下ろす風景は壮観です。結構、「密」なのがちょっと気になりましたが、手作りマスクの出店や雑貨屋さん、甘味処から軒先でビール飲める飲み屋さんなど、そぞろ歩きが楽しいです。下町のレトロな雰囲気と軽井沢銀座的な観光地的な風情がミックスされた感じかな。


綺麗な夕焼けが見えるらしい「夕やけだんだん」

商店街を抜けて周辺をウロウロ。いろんなお店があって面白いのですが、特に受けたのは喫茶店「乱歩」の看板とお店。明智小五郎デビューの作品として有名な「D坂の殺人事件」のDってこのエリアにある団子坂のことだったんですね。ちょっと、お店の中に入る勇気はありませんでした。

周囲には幸田露伴の旧宅や谷中霊園等、見どころがいくつもあるのですが、残念ながら時間の関係で今回はパス。もっと時間に余裕をもって訪れれば良かったと後悔。まあ、都内ですのでまた来ます。


東京街歩き 亀戸天神

2020-07-16 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

 私用があって東京江東区の亀戸に行った。もうかれこれ40年近くを東京都内で生活しているはずだが、亀戸駅なるところで降りたのは初めてである。用を済ませた後、近くに亀戸天神なるものがあることを知り、立ち寄った。どっかで名前は聞いたことがあるのだが、お邪魔するのは初めて。天神様なので菅原道真公を祀り、西の大宰府に対して東宰府天満宮とよばれることもあるらしい。

大鳥居をくぐると最初の太鼓橋である男橋があります。太鼓橋には階段がかかっており、そこを上り下りするのはやや興ざめで残念。ただ、左手にはタワーがそびえ、ちょっとした奇観ともいえます。

男橋の頂上から本堂を臨む。梅雨空の雲が少し切れかかってきました。


本堂です。

境内の池。喧騒の都会の中にいるとは思えない静かな場所で落ち着きます。

流石、亀戸天神。池にはたくさんの亀がいました。

駅へ戻りすがら、もう一つ神社がありました。香取神社と言うことでかなり立派な風情です。時間の関係で境内には入らず、入口の鳥居からのぞき見しただけで終えました。

亀戸は駅前通りもまだ昭和の商店街を思わせる雰囲気が漂うところもあり街歩きが面白いです。下の写真は香取神社の参道内にある野外ビール飲み場所。この写真だとみにくいですが、丁度、屋台の奥に掛かったポスターがいかにも昭和チックで思わず写真撮っちゃいました。

東京脱出の旅行も自粛要請が出てますから、当面お預けです。

以上、東京レポートでした。