夏、ですね。8月生まれの僕は夏が大好きです。まぁそんな夏にはいろいろな思い出があるのですが、先日その思い出のひとつに再会いたしました。それがコレ!
アル・グリーンのLIVE DVD。収録は1987年の東京!!僕はこの会場に居たのです。
このDVDの1年前1986年のこと、愛知県豊橋で今や伝説的!野外フェスティバル『ブラック&ヘリテイジフェスティバル』(出演はレイ・チャールズ、B.B.キング、憂歌団、ダーティダズン・ブラスバンド、マイティクラウス・オブ・ジョイ等々)が開催されました。
このフェスティバルは翌87年も行われ、2年目は拡大版として東京でも開催されたのでした。そのメインアクトがアル・グリーンだったのです。
会場は立川昭和記念公園!元米軍基地の広大な公園です。少し小雨まじりの夏の日でした。今は高知で暮らしているYと一緒に行ったんだと、思う(笑)
とにかく昭和記念公園というロケーションは素晴らしかった。公園の中心部、コンサート会場がちっぽけに見えるほど広大な「みんなの原っぱ」にゆったりと設けられた客席スペース。緩い規制。子どもと後ろの広場で遊んでいる人もいたりして日本のコンサートではなかなか味わえない雰囲気だった。そして出演者!アル・グリーンにロバート・クレイ・バンド、ケイティ・ウェブスター、スタイリスティックス、チーフコマンダー・エベネザー・オベィ、ジョンコルトレーン・レガシー等これだけの豪華版でチケット代は5000円!!もちろん当時の僕らに5000円は大金だったけどコストパフォーマンスというものを理解する力はありました。安かった!!!!
ロバート・クレイ・バンドはまさに第一次絶頂期というイキの良い状態で盟友ベースのリチャード・カズンズ(この後バンドを脱退20年を経て現在は復帰している)がカウントを出しバンドを仕切り、ロバート・クレイがフロントでスター!のキラメキを惜しみなく披露するという素晴らしいライヴでした。予備知識無しに観たニューオーリンズのブギーレデイ、ケイティは最高で一発でファンになってしましました。こちらも名前しか知らなかったエベネザー・オヴェイはアフリカのジュジュミュージックの楽しさを堪能させてくれました。ジュジュといえば巷にはまだ『サニー・アデ』ブーム(代々木オリンピックプールでの初来日公演はNHKで中継されたほどでした)の余韻が残っている頃だったので観客にも受け入れる準備ができていたようにも思えました。そういえば、生でトーキングドラムを聴いたのはこれが初めてだったような気がします。そして驚いたのはスタイリスティックスの人気の凄さ。始まるとお客さんは立ち上がり一緒に歌う人多数。ヒット曲の多い人たちってやっぱり違います。そして最後はアル・グリーン。
その映像を今回入手したというわけです。コレが興奮せずにいられましょうか。
で、バイユーで観たのですが…。あれ??
映像が荒い、というか汚い。
そしてなにより終始(本当に終始)ステージ上のアップばかりだ。第一こんな暗闇の映像じゃなかった。アルが出て来た時はまだ明るかったはず!でもステージには「Black Heritage Festival 87」と書かれている。でもなんか違う~。
この映像の存在を知って購入した時一番楽しみにしていたのは、楽しかった当日の雰囲気、会場の様子。自分が居たあの場所の空気感のようなものに再会できるかなという部分でした。
でもカメラはいっこうに引かないし、客席も最前列が申し訳程度に映るだけ。これじゃぁなぁ…。
発見したことは思った以上にバンドも良くってアル・グリーンもかっこいい!この頃はゴスペル転向時代ではあるもののソウル、R&Bファンを十分満足させる出来だ。でもこんなに夜中だったっけ?
実は僕らはこの日終盤、アルのステージを遠くに観ながら(確かアンコール)夜の闇の迫る会場を後にしているのでした。もともとほとんどのショーを飲みながら客席後方の芝生から観ていたのですが。帰るなんて!今考えるととんでもないことです。
その理由はボクシング。当時からボクシング好きだった僕は丁度終わる頃にTVで放映されるボクシングの試合を観る為に「贅沢やなぁ」とちらちら振り返り、立ち止まり聴きながら、立川駅前を目指したのでした。暗かったけど決して夜中ではなかったです。
ちなみにお目当ては当時売り出し中だったマイク・タイソンの試合。当時テレビ東京が放送しており、それを観たかったのだ。まだ自宅にビデオデッキなんかない時代の話。立川の街でようやくテレビを観せてくれる店を見つけてビール。この日のタイソンは倒されまいとする相手に手こずり珍しく判定決着。閉店時間と放送終了時間が近く、なんとなく気まずい雰囲気。試合も盛り上がりに欠け「アル・グリーン最後まで近くで観ればよかったかねやあ」と思ったりもしたものでした。
この日のTシャツを発見!買った時にも思ったけどヨレヨレでなんとも安っぽい(笑)幾らだったんだろ?デザインがこれまた…。
ロゴの下のかすれた文字はケイティ・ウエブスターのサイン。この日の会場は開放的な雰囲気で、出演を終えたミュージシャンの多くが客席にで出てきており物販のテントで涼をとっていたりもしました。ケイティのステージに感激した僕は彼女のエグイジャケットのレコードを購入。(見よ!)
すると物販テントの奥にいたケイティがサインしてくれました。Tシャツには勝手にしてくれたような思い出があります。そんな彼女も既に故人。時の流れを感じますね。
問題の映像の暗さは!当時このような野外フェスの現場で仕事をする機会の多かったTさんによると「これは画質のせいで暗いんやな。この時代の資料用レベルやったらこんなもんやろ。いろいろ(画質処理を)やったみたいやけどこれが精一杯なんやろな」とのこと。
残念ながらあの日の風景にもう一度、というわけにはいかなかったのですが、その分いろいろと思いだせてアタマの中には絵が浮かんできました。良しとしましょう。
ああ、1987年8月2日。ハタチの終わりやったんやなぁ~。甘酸っぱくもなく、男クサイ思い出をいろいろと思いだしたもんです。
うーん。
最近のアル・グリーンのアルバムは本当に素晴らしいので(この元気さを保ってるうちに)なんとか来て欲しいんですけどね。。。本国での格と日本での集客に格差がありすぎると厳しいですね。
ドノバン・レイザー・ラドック!!!
懐かしい~。「スマッシュ!」ですよね!
僕にとってカナダ人で黒人といえば彼とベン・ジョンソンのことです。
ただ、この日のタイソンの相手はトニー・タッカーでした。
ラドック2連戦はダグラスに敗れて再起した後のことでしたね。そういえばラドックは結局世界チャンピオンにはなれなかったんですよね…。
この日観た、タッカー戦はエキサイティングだったラドック戦と違って盛り上がりに欠ける展開でした。
…実は昔から、大きい選手の試合があまり好みではなくって、クリチコ兄弟には食指が動かず今回も観ていません。元々あまりヘヴィ級を観ないのです。
ただこの時期のタイソンは違いました。観ておかなきゃ。と思わされる存在でした。
マイケル・スピンクスと頂上決戦(88年)!の頃までのタイソンはボクシング史の異端の極地ともいえるほどに強力な無敵の存在でした。
打ち合いにすらならなかったですからね。
いずれにせよ遥か彼方のことですね~。
ヘビー級、嫌いってほどではないんですがなんとなく後回しに。
タイソン以後刺激が足りないというか…。タイソン以後はチャベスの全盛期となりクォーティ、デラホーヤ。~ハメドを中心とした軽量級。そして驚異のパッキヤオ!と
ヘビーから気持ちが離れるのも仕方がなかったかと。。。やっぱりハグラー、デュラン、ハーンズ、レナード時代(ラリーホームズ時代)にヘビー級の神通力は失われていたのかもしれませんね。
でも大きいの重いのが嫌、ってわけでもないんですよ。
ロイ・ジョーンズの時には「これでヘビー級ってのはあまりに魅力に欠ける」なんて思ったりしたものでしたし。勝手なもんです。
オリバーマッコールとか面白いキャラのボクサーは居たんですけどね(笑)
とはいえ「最近のヘビー級は面白い」とのことですのでこれからは見るようにしようと思っています。
こちらこそご無沙汰しています!
覗いていただいてるんですね~。
ありがとうございます。
『ブラックヘリティジフェス』バブルの始まり時期?だったのかもしれませんが
またああいう楽しいイヴェントがあればいいのですけどね…。しばらくは無理でしょうか。
つい先日「久しぶりに行きたいなー」と話していたところです。
近々、また。
ケティーが豊橋でやらなかったSatisfactionやったの覚えています。東京はみていませんが、このアルはTokyoと書いていながら、豊橋だと思います。トリでまっくらで、最終日は花火がすごかった。
いやなつかしいです。いままでで一番のFestでした。
というか新事実の連続に驚き、コーフンを隠せません。87、東京がTV放送??
そしてDVDは豊橋!???
あまりの衝撃に…感謝感激であります。
とにかくなんとかしなければならなかったので、海外交渉、ビザ、チケット、当日受付と全部やりました。
裏はバタバタでしたが、まだあのイベントを覚えていらっしゃる方が多くてうれしいです。
コメントありがとうございます!
主催者事務所が2人体制だったのには驚きです。なんとも膨大な仕事量だったことでしょうねー。
長い時間の経った今だからこそあのイベントの贅沢さ、ありがた味がわかります。
今更ながら感謝を贈ります。
で、もしわかれば?の質問なのですが
「東京版はテレビ放送」あったのですか?
FMは覚えていますが…
あとこのDVDはやはり豊橋なのですね?