一日遅れて今日知った。
偉大なるマーべラス・マービン・ハグラーが突然世を去った。
ショックだ。
彼こそが特別なボクサー。
強い弱いや好き嫌いを超えて問答無用にカッコイイ存在。
その比類なき素晴らしさ、威厳ある姿には敢えて「カッコイイ」なんて軽い表現を使いたくなってしまう。
ボクサーが魅力的と呼ばれるのにはいくつもファクターがある。
まずその強さ。
強さにも強打者やテクニシャン、スピードスターなんてのもある。
そして佇まい。華やかだったり、激しかったり。
更にそのボクシングスタイルが好きだったり、人柄や逸話が好ましかったり、存在そのものが魅力的だったり。
当たり前だけどなかなか全てを兼ね備えるのは難しい。
マーヴェラスな男、マービンハグラーは僕が思うにそのほとんどを持ちあわせた稀有な存在だった。
貧しい母子家庭に育った彼は酒もタバコも甘い物もコーヒーも断つというストイックな生活でボクシングに打ち込んだ。
「金銭問題」で(揉めて)頻繁にマネージャーやトレーナーを変えるのが当たり前のアメリカボクシング界においてハグラーは
デビュー前から世話になったイタリア系白人であるペトロネーリ兄弟とのコンビを引退まで組み続けた。ボクシングファンならわかる。これは極めて稀なることだ。
デビュー戦で50ドルを得た際、兄弟はマネージメント料を要求しなかったという。「それはキミが痛い思いをして得た大事なお金だから大切にしなさい」と言われたという逸話が後年、ハグラーの口から語られている。
強かった。世界ミドル級王者として、まさに無敵の存在だった。
62勝(52KO)3敗2分。強打でKOの山を築いた。しかし荒っぽいファイターではなく優れたテクニシャンで、理詰めのような渋いボクシングを展開もした。リングを跳ね回るタイプではなかったが、俊敏で抜群のハンドスピードを持ち合わせていた。ガードも固くタフファイトにも強かった。サウスポーながら右にスイッチしての戦いも巧みな「両利き」でもあった。
威厳ある寡黙な佇まい、大言壮語はなく、あくまでリング上で拳で語るチャンピオンだった。
タイトルを奪取する前は強すぎると敬遠されチャンスに恵まれなかったが地道にキャリアを重ねた。質実剛健なボクシングスタイルが完成するまでに喫した2敗2分の後は10年間無敗で勝ち続けた。
世界タイトル統括団体と階級が増え、金銭とわかりやすい名声のため
多くのトップボクサーが各団体のベルトコレクターと複数階級制覇に勤しむようになった時代に、ハグラーはミドル級であり続け「統一ミドル級チャンピオン」として積極的にランキング1位選手と戦い12度に渡り挑戦者を撃退した。
インテリジェンス溢れるいぶし銀のテクニックに、ここぞというときの爆発的な攻撃力。リングの上のハグラーは偉大なオーラを纏っていた。
当時はハグラー、レナード、デュラン、ハーンズが凌ぎを削る今や伝説の黄金時代。
ハグラーはまずデュラン、ハーンズを挑戦者として迎え撃退した。特にハーンズとの試合は名勝負中の名勝負!として今も語り継がれている。
そして複数階級制覇と様々なベルトを追い求めた末、引退状態にあったスーパースター、シュガーレイレナードと戦うことになる。
試合前の駆け引きやメデイアの動きも含め、これまでハグラーが歩んできた道とは違う「ボクシングビジネス」の世界。
半引退状態であったレナードを考慮してという大義名分か?リングは逃げ足が使いやすいであろう基準ギリギリの広さの広い物を採用、ハグラーが嫌がっていた12ラウンド制も採用された(15ラウンド制から12ラウンド制への過渡期だった)。
賑やかで華やかな試合だった。
当時海外の試合を観はじめたばかりだった僕は、引退からカムバックしたレナードの華やかさに漠然と「勝つとすごいな」などと間の抜けたことを考えてテレビの前にいた。
試合は僅差の2対1判定でレナード。
間の抜けたガキでさえ少し「?」と思った。
後3ラウンドあったらハグラーのものだったか…。
当然ハグラーは不満だった。でもリング上で派手に怒ったりすることはなかった。悲しそうだったけど威厳を保っていた。
コメントにも威厳があったように感じた(威厳のカケラもないデュランも好きなんですけどねーw)
微妙な採点だったために世間から再戦の声が上がったが(更に大きなマネーを産むからだ!)ハグラーはそのままリングを去った。
現役続行するかどうかを訊ねられて
「心はイエスだが、頭がノーと言っている」とコメントを残していたな。
もうたくさんだと思ったのか、
自分の王座をこれ以上汚したくないと思っているようにも感じられた。
アメリカでが話題性のあるスターボクサーは引退後、カムバックすることが多いけれどハグラーはそのまま表舞台から姿を消した。
しばらく経った後、イタリアに住んで地元で映画俳優をやっていた時に何度かアメリカマスコミの前に現れたが、寡黙で威厳ある姿は現役時代そのままで唸らされたものだった。少し朗らかになっていたのも良かった。
彼がとても気に入って誇りに思っていたニックネーム
『Marvelous(比類なき、奇跡的に素晴らしい、驚くべき)』
ハグラーは公の場でこれをつけずに呼ばれることを不満に思い
1982年、法的な氏名をMarvelous Marvin Haglerに変更した。
頑固で、良い話だと思う。
また不確かな記憶だけど
ハグラーは前述のペトロネーリ兄弟と出会ったばかりの貧しい少年だった頃にサンドイッチをご馳走になったことを、自分に良くしてくれる白人2人を信じられずすぐには手をつけられなかった思い出を雑誌のインタヴューで語っていた。
一度信じた絆を守り通した強いボクサーだった。
彼の偉大な試合の数々を後追いで体験した間抜けな少年(レナード戦をボーッと観ていた)である僕は
もし会える機会があるなら是非サインが欲しいなと
サイン用のポートレイトをずっと持っていたのでした。
嗚呼。
偉大なるマーべラス・マービン・ハグラーが突然世を去った。
ショックだ。
彼こそが特別なボクサー。
強い弱いや好き嫌いを超えて問答無用にカッコイイ存在。
その比類なき素晴らしさ、威厳ある姿には敢えて「カッコイイ」なんて軽い表現を使いたくなってしまう。
ボクサーが魅力的と呼ばれるのにはいくつもファクターがある。
まずその強さ。
強さにも強打者やテクニシャン、スピードスターなんてのもある。
そして佇まい。華やかだったり、激しかったり。
更にそのボクシングスタイルが好きだったり、人柄や逸話が好ましかったり、存在そのものが魅力的だったり。
当たり前だけどなかなか全てを兼ね備えるのは難しい。
マーヴェラスな男、マービンハグラーは僕が思うにそのほとんどを持ちあわせた稀有な存在だった。
貧しい母子家庭に育った彼は酒もタバコも甘い物もコーヒーも断つというストイックな生活でボクシングに打ち込んだ。
「金銭問題」で(揉めて)頻繁にマネージャーやトレーナーを変えるのが当たり前のアメリカボクシング界においてハグラーは
デビュー前から世話になったイタリア系白人であるペトロネーリ兄弟とのコンビを引退まで組み続けた。ボクシングファンならわかる。これは極めて稀なることだ。
デビュー戦で50ドルを得た際、兄弟はマネージメント料を要求しなかったという。「それはキミが痛い思いをして得た大事なお金だから大切にしなさい」と言われたという逸話が後年、ハグラーの口から語られている。
強かった。世界ミドル級王者として、まさに無敵の存在だった。
62勝(52KO)3敗2分。強打でKOの山を築いた。しかし荒っぽいファイターではなく優れたテクニシャンで、理詰めのような渋いボクシングを展開もした。リングを跳ね回るタイプではなかったが、俊敏で抜群のハンドスピードを持ち合わせていた。ガードも固くタフファイトにも強かった。サウスポーながら右にスイッチしての戦いも巧みな「両利き」でもあった。
威厳ある寡黙な佇まい、大言壮語はなく、あくまでリング上で拳で語るチャンピオンだった。
タイトルを奪取する前は強すぎると敬遠されチャンスに恵まれなかったが地道にキャリアを重ねた。質実剛健なボクシングスタイルが完成するまでに喫した2敗2分の後は10年間無敗で勝ち続けた。
世界タイトル統括団体と階級が増え、金銭とわかりやすい名声のため
多くのトップボクサーが各団体のベルトコレクターと複数階級制覇に勤しむようになった時代に、ハグラーはミドル級であり続け「統一ミドル級チャンピオン」として積極的にランキング1位選手と戦い12度に渡り挑戦者を撃退した。
インテリジェンス溢れるいぶし銀のテクニックに、ここぞというときの爆発的な攻撃力。リングの上のハグラーは偉大なオーラを纏っていた。
当時はハグラー、レナード、デュラン、ハーンズが凌ぎを削る今や伝説の黄金時代。
ハグラーはまずデュラン、ハーンズを挑戦者として迎え撃退した。特にハーンズとの試合は名勝負中の名勝負!として今も語り継がれている。
そして複数階級制覇と様々なベルトを追い求めた末、引退状態にあったスーパースター、シュガーレイレナードと戦うことになる。
試合前の駆け引きやメデイアの動きも含め、これまでハグラーが歩んできた道とは違う「ボクシングビジネス」の世界。
半引退状態であったレナードを考慮してという大義名分か?リングは逃げ足が使いやすいであろう基準ギリギリの広さの広い物を採用、ハグラーが嫌がっていた12ラウンド制も採用された(15ラウンド制から12ラウンド制への過渡期だった)。
賑やかで華やかな試合だった。
当時海外の試合を観はじめたばかりだった僕は、引退からカムバックしたレナードの華やかさに漠然と「勝つとすごいな」などと間の抜けたことを考えてテレビの前にいた。
試合は僅差の2対1判定でレナード。
間の抜けたガキでさえ少し「?」と思った。
後3ラウンドあったらハグラーのものだったか…。
当然ハグラーは不満だった。でもリング上で派手に怒ったりすることはなかった。悲しそうだったけど威厳を保っていた。
コメントにも威厳があったように感じた(威厳のカケラもないデュランも好きなんですけどねーw)
微妙な採点だったために世間から再戦の声が上がったが(更に大きなマネーを産むからだ!)ハグラーはそのままリングを去った。
現役続行するかどうかを訊ねられて
「心はイエスだが、頭がノーと言っている」とコメントを残していたな。
もうたくさんだと思ったのか、
自分の王座をこれ以上汚したくないと思っているようにも感じられた。
アメリカでが話題性のあるスターボクサーは引退後、カムバックすることが多いけれどハグラーはそのまま表舞台から姿を消した。
しばらく経った後、イタリアに住んで地元で映画俳優をやっていた時に何度かアメリカマスコミの前に現れたが、寡黙で威厳ある姿は現役時代そのままで唸らされたものだった。少し朗らかになっていたのも良かった。
彼がとても気に入って誇りに思っていたニックネーム
『Marvelous(比類なき、奇跡的に素晴らしい、驚くべき)』
ハグラーは公の場でこれをつけずに呼ばれることを不満に思い
1982年、法的な氏名をMarvelous Marvin Haglerに変更した。
頑固で、良い話だと思う。
また不確かな記憶だけど
ハグラーは前述のペトロネーリ兄弟と出会ったばかりの貧しい少年だった頃にサンドイッチをご馳走になったことを、自分に良くしてくれる白人2人を信じられずすぐには手をつけられなかった思い出を雑誌のインタヴューで語っていた。
一度信じた絆を守り通した強いボクサーだった。
彼の偉大な試合の数々を後追いで体験した間抜けな少年(レナード戦をボーッと観ていた)である僕は
もし会える機会があるなら是非サインが欲しいなと
サイン用のポートレイトをずっと持っていたのでした。
嗚呼。