AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

希望は無知を量産させる⑵

2019-05-05 20:17:41 | 学問のススメの涙

 

 

文教大学CM「60秒の手紙」

 

以前変わった携帯を所持していた若い男が文教と言っていた。聞きますと情報との事、映像の撮影や編集もやっているそうだ。「うちの先生凄いんですよ。博報堂にいたんです。大学のサイトを携帯で見せられた。佐藤可士和さんや、社長だった戸田さんとはTCCでご一緒したことがあるが、、。

「博報堂でこの人知らないですね。」と言いますと、お詳しいですね。と人を馬鹿にした様な言い方である。と名前を聞かれたら、スマホで検索しはじめた。「これ!あなたですか?」「そうですね。誰かが載せたんでしょう?」すると学生の表情がこわばり、「ぼ、僕電通や博報堂に就職したいんですが?」と言い出した。「は、入るにはコネをどうつけたら良いでしょうか?」「そんな事は知りません!」「駄目でしょうか?」完全におかしい?それで引導を渡した。「無理ですよ。早慶でも無理っぽくなってきた。

最近では東大が多いし、貴方の大学から入った方は、私は知りません。」

「何で駄目なんですか?」しつこい若者である。で最後には「悪くても早慶他6大学上智東大に入り直しなさい!」とバスを降りた。

希望を与えるにしても、有能な若い方には与えたいものだが、はじめから駄目な若い方に与えると悲劇を生むものだ。教える側にも問題がある。

 

文教大学湘南キャンパス:スタジオプロモーション

 

 

東大も慶応も早稲田も他もそうであろうが、実経験者であり、今も第一線で活躍なさっているが、学びの塔だけで現場も知らないか?過去の栄光でフリーズしている方々は、徐々にずれてくる。学生は知らない?でも彼等の眼鏡は節穴ではないのだが、、、。学会の際訪れた日藝の放送学科 O教授が

新しいスタジオをみせてくれた。教授曰く「君の言う通りこんなもんは要らないんだよ。基本は表現の発想クリエーティブなんだが、こういうのを持っていないと学生も来てくれないんだよ。」現場に出ればわかる事だが、学生のお飯事など要らないのだ。