何時からワープロ打ちになったのだろう?
亡き真木さんをはじめ、コピーライターという言い方はやめよう。
優れた広告文案家達は今でも手書きだとも思う。
ニュース原稿や小説家にとっては、15秒30秒は大したことではないが、広告となるとそれは違う。多くのロクでもない革新はクライアントによって齎されてしまう。
ビデオコンテの競合や、イラストレーターでの仕上がりも、アートディレクターやコピーライターのタグラインやボディコピーばかりでなく、フォントやレイアウトまでも壊してしまうものだ。
デジタルになって?良いことなどないのではないだろうか?
1970 国鉄 DISCOVER JAPAN
国鉄 CM 1982年フルムーン夫婦グリーンパス上原謙高峰三枝子.mp4
アップルコンピュータ CM '84
国鉄を彩った大先輩鈴木八朗さんは、アートディレクターでもあり広告文案家でもあった。八朗さんは、いつも筆で書いていたのを思い出す。そして、「コピー書いても鈴木さんも書いちゃうから採用されないんですよ。」と話す生出さんが懐かしい。
DISCOVER JAPAN、フルムーン、長野オリンピック、そして最先端のアップルコンピュータの象徴である林檎を手にそえる観音像、アートディレクターであり、広告文案家の二刀流には敵わないものだ。