AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

手書きとワープロ⑴

2018-07-17 17:39:08 | 言の葉の輪転機

 

何時からワープロ打ちになったのだろう?

亡き真木さんをはじめ、コピーライターという言い方はやめよう。

優れた広告文案家達は今でも手書きだとも思う。


ニュース原稿や小説家にとっては、15秒30秒は大したことではないが、広告となるとそれは違う。多くのロクでもない革新はクライアントによって齎されてしまう。

ビデオコンテの競合や、イラストレーターでの仕上がりも、アートディレクターやコピーライターのタグラインやボディコピーばかりでなく、フォントやレイアウトまでも壊してしまうものだ。

デジタルになって?良いことなどないのではないだろうか?

CMプランの絵コンテボードは自分で字を描き込む。先輩曰く「プレゼンする自分が書き込まないと納得のいくプレゼンは出来ない!」その通りだと思う。この文字書きまでも制作スタッフに任せるのもいたが、先ずは許されることではない。それと見やすい様にワープロ打ちにしてから、良いコピーも良くないコピーも全て同じに見えてしまう。ラジオコピーも個性ある字でスクリプト用紙を音が出る様に個々 個性で音を描いたものだが、全て面白くなく感じてしまう。

 

1970 国鉄 DISCOVER JAPAN

 

 

国鉄 CM 1982年フルムーン夫婦グリーンパス上原謙高峰三枝子.mp4

 

 

アップルコンピュータ CM '84

 


国鉄を彩った大先輩鈴木八朗さんは、アートディレクターでもあり広告文案家でもあった。八朗さんは、いつも筆で書いていたのを思い出す。そして、「コピー書いても鈴木さんも書いちゃうから採用されないんですよ。」と話す生出さんが懐かしい。

DISCOVER JAPAN、フルムーン、長野オリンピック、そして最先端のアップルコンピュータの象徴である林檎を手にそえる観音像、アートディレクターであり、広告文案家の二刀流には敵わないものだ。

 

 

 


7月16日(月)のつぶやき

2018-07-17 03:50:19 | 百済ない話