AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

ゴミの日(2)

2014-10-31 22:28:58 | 百済ない話



辻堂駅近くのモールの中にあるマクドナルド、ここもWIFIが無料ですので、時々利用させて頂いております。ここは学生の溜まり場です。五月蝿い連中もいれば、静かに勉強している女学生達もおります。最近減ってはきましたが、食べた残りを分別せずに、投げつけた様にトレイが置かれている。未だ未だこういう連中はおりますね。以前違う店で「ちゃんとかたずけろ!」と注意した後で、ガタイの大きな高校生 野球部でした。彼等の決まり文句は「皆んなやってるよ!おじさん!」「みんなやってるからゴミの分別もしないんだね、お前達は?」と睨むと渋々と片ずけて行きました。これは学校教育ではなく、家庭の教育が全くなっていないという事でしょうね。
子供がダメなのは親が同じくダメなのです。中国人のモラルを言えない日本になってきました。

ゴミの日(1)

2014-10-31 00:33:56 | 百済ない話



定期検診で鎌倉の総合病院へ。総合センターに隣接する カフェでちょこっと音葉遊びを考えていたら、、。なにやら、中国語です。ここの病院は医療ツーリズムを始めたせいか、中近東のお金持ちや中国の方も多いのですが、、、。何しろ五月蝿いのです。香港の空港の飲茶店でも五月蝿かったですが、そんなもんではありませんね。中国本土系は五月蝿いのです。帰ったのか?静かになったので観ますと。椅子の下にコンビニで買ったのか、カップ麺の空に砂糖を食ったのかシュガースティックの山でした。司馬遼太郎の「坂の上の雲」舞台は中国、清朝末期でした。 司馬遼太郎の『坂の上の雲』第2巻39頁に小村寿太郎が清国観察として、北京の街をこう評しています。
「その往来の不潔さは、ききしにたがわぬもので、みな道路上に大小便をし、臭気ふんぷん。しかし彼らは習い性となっているから平気である。小便はいたるところで河尾なし、また池をなす。 
ながくそこ止(とど)まらず。その大便は、豚、犬、人の三つのものがたがいにあらそってこれを片づけてしまう。人は犬を逐い、犬は豚を逐い、たがいにおのおのの獲物の多からんことを競争す。犬は狡猾である。子供が路上で大便をするとき、そばでそれを待ち、終わればたちまち食ってしまう。人は犬を追う。」
今のPM2.5どころの騒ぎではないのです。こういう国民性ですから、これは日本とは全く違うと言えるでしょう。江戸末期には上下水道が完備されていた日本とは違うのです。だから、この国民性は治りませんし、改善を求めても無駄だと思います。
これがGDPで日本を追い抜いた中国人であり、文化などないのです。このマナーのない中国人に中国共産党も頭を悩ましているようです。
パンダを使ったマナーCMも中国国内で流してますが、いっこうにマナーは悪くなる一方です。
ですから、中国人が捨てていったゴミを拾い ゴミ箱に捨てるのが、日本人として受け入れることかも知れません。世界はそんな日本を観ていますから、たいした苦労ではありません。もちろん、頭にはきますがね、、、。