退院以来、入院していたことを忘れるほどのドタバタぶりで
PCを触るヒマがろくにありません。
実は、私の入院中の5月12日に父が緊急入院しました。
持病として持っていた間質性肺炎に誤嚥性肺炎を併発して
間質性肺炎の急性増悪を起こしました。
我が家は救急車の適正利用を行わない家なので
呼吸がまともに出来なくなり歩けない状態なのに
親戚に手伝って貰い、車に乗せて近所のクリニックに行ったそうで、
そのクリニックから救急車搬送されました。
後から姉や弟から話を聞いてみたら
どうも母もパニック状態だったようで。
自力で歩けない場合は救急車適応だそうです。
とまあ、救急車の話はさておき。
間質性肺炎の急性増悪は有効な治療法というものがありません。
ステロイドの大量投与をするしかないのですが、
大半の人は全く奏功せず、発症間もなく85%以上の人が死に至ります。
従って、父の場合も入院後すぐに主治医から病状の説明があり
家族であわせる人には早く会わせてくださいと言われました。
その日はあいにく姉は出張中、私は入院中。
弟が急遽休みを取って帰省してくれました。
私と同じ病院なら良いのに、
呼吸器専門医がいないので別の病院というややこしさ。
そのため、弟が夜に病状説明に来てくれました。
入院時の酸素状態は60%を切っていたそうで
「非侵襲的陽圧換気療法」と呼ばれる
無理矢理肺に酸素を送り込む機械を付けて、
なんとか呼吸を保っている状態だとのこと。
それも65%という濃度。
入院後の状態は落ち着いてはいるけど
心不全や呼吸困難に陥って急変する可能性もあるとのこと。
家族の話を総合すると、GWの最終日あたりから
具合が悪かったらしい。
近所のクリニックに連れていっていたのだけど
増悪発作がわからなかったのか
その時はまだ増悪していなかったのか
いずれにせよその段階では診断が付かなかったそう。
入院した前日はほとんど動かなかったらしいけど(←脱水症状を起こしていた)
雨だったので様子を見ていたら翌日に急変したらしい。
父は脳梗塞の後遺症で認知障害があるので
自分で具合の悪いことがうまく伝えられなかった模様。
私が家にいたら、こんなことにならなかったのでは?
と、たらればを言っても仕方ないんだけど。。。
その夜は、このまま亡くなってしまったら
入院前に交わした会話が最後になってしまう。
入院前にはずっと体調悪くて
父の問いかけにまともに返事してあげなかったことを
後悔、後悔、また後悔、でした。
弟との話しあいで
明日外出させて貰うようにお願いすることに。
弟の面会後に、若いDrが回診に来られたので、
事情を説明して、父の病名を伝えると顔色が変わりました。
「あれは非常に難しい病気なんですよ。」
そして、酸素状態が60%というのは
「非常に厳しい状態ですね。」
と。
外出許可を貰うためにすぐに殿に連絡を取ってくださったのですが、
あいにく殿はご帰宅されていたため
「朝イチに必ず連絡とりますね。」
と約束してくださいました。
で、翌朝。
約束どおり7時半ぐらいに殿に連絡と取って下さり、
伝言の形でしたが
「それなら外出でなくて、外泊でもいいよ。」
と相成りました。
おそらく医者の常識では、
外泊中に急変する可能性が高いと思われたのでしょう。
病院から家族に連絡を取ったら、
前夜、病院から「父が点滴を全部抜いて暴れてます」
と言われて呼び出され、母が泊まったらしい。
ステロイドの大量投与で興奮状態になったのと
いきなり病院に入れられて不安になったのかな。。。
ルートを入れたままの状態で病院から病院へ移動。
2週間ぶりにあった父は青白い顔で、酸素を無理矢理送り込まれてました。
酸素のおかげで意識はしっかりしていてはいたものの
危篤状態というのがよくわかりました。
主治医は平成18年度免許取得の若い医者が1人。
殿病院みたいにチーム制ではないらしい。
優秀なDrなのだろうけれど、
こんな難しい病状なのに何故若いDr1人?という疑問が。
(殿病院ではそもそも後期研修医が主治医になることはない)
そして、看護師が優しくない。
というか、やらなくてもいいことはやりません、という見事な割り切りぶり。
殿病院では常識だと思っていたことが通用しないので
そのことにびっくりするやら、呆れるやら。
主治医に会ったので、採血データを欲しいと伝えたら
採血データを渡しついでに、画像を見ながら説明してくださいました。
CRP14台、LDH420,BNP300越え。。。
採血データは殆どすべての項目に異常が見られました。
どう見ても私の重症急性膵炎よりも重篤。
(致死率が段違いだから当然か。。。)
初日のレントゲンでは肺は真っ白。
ただ、2日目のレントゲンではステロイドが多少なりとも効いたようで
少し改善が見られていました。
ステロイドが効くことは稀なので、
これは好材料ではあるらしい。
とはいっても、採血データは変化なし。
いつ急変起こしてもおかしくない状態であることは変わらないと。
幸い、外泊中には父は落ち着いている状態を保っていたので、
「お父さん、最後は気合いやからね。」
と言い残して病院に戻りました。
外出から戻ったら、夕方に殿の回診。
何しろ2、3日であれよあれよというまに亡くなってしまう病気なので
とても心配してくださいました。
覚えていた採血データを伝えたところ
BNPの値から
「心不全の危険があるね。」
と言われました。
父の間質性肺炎は原因不明。
原因不明の間質性肺炎は難病指定になってます。
母のPBCといい、なんで我が家はこんなに難病に縁があるんだか。。。
(まだまだ続きます)