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さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

母が亡くなりました

2025年06月10日 22時55分00秒 | たわごと

gooブログでの最後の記事になるかもしれません。

先月末、母が亡くなりました。

白血球200の時には、退院できたら奇跡と思いましたが、

血液内科の主治医の尽力のおかげでなんとか回復し、

5月中旬に退院できました。

退院時には、もうこれ以上できることはないので

あとは家で自由に過ごしてくださいという内容を

「退院カンファレンス」という名目で

病院スタッフ10名ぐらいに囲まれて1時間半ぐらいありました。

最近はこういうことをやらなければならないのでしょうかね。

もうすぐ死にますよ、と婉曲に何度も言われて、母は涙をぬぐってました。

とはいえ、母の場合、

何度も何度も余命宣告をされながら生き延びてきたので

そうはいっても数カ月は生きてくれると思ってました。

 

姉が介護休暇を取って、母を家でみることになりましたが、

気丈な母は1週間で姉に仕事に復帰してもらうつもりで

当初は自力でトイレにもいき、食事も一緒に取れていました。

だんだん回復してくれるのかと思っていたら

1週間後から急に悪化し、食事がとれなくなり、

歩けなくなり・・・と急速に悪化し、

二人がかりでないとトイレにいけないのに

ふらふらになりながら、ポータブルトイレには自力でいって

オムツになったのは最後の1日のみ。

それも「今からするからオムツかえて」と言ってしてくれました。

亡くなる前日は少し落ち着いてみえたので、私は仕事にいっていたのですが

急にシバリングがきて、40度の発熱。

敗血症か感染症か。

どっちにしても助かりません。

オムツ交換等で体を移動させるときには反射的に「痛い」と言っていたけれど、

それ以外の時には痛いとも苦しいとも言わず、

ひたすら我慢して、子供に心配をかけないようにしていたようです。

急に悪化した翌日に少し落ち着くという日が二度あり、

その間に親戚、友達にすべて挨拶をすませ

死に装束も葬儀のやり方も相続も事前に全部伝えて、

「葬儀場を自分で下見にいけなかったのだけが心残り」というぐらい

すべての始末は自分でつけて、

子ども三人に見守られた最期でした。

いつも忙しい弟が奇跡的に時間的余裕のある時で

きちんと時期を選んで旅立ったようです。

母の遺言で死に装束は訪問着、

棺は赤いバラをいっぱい敷き詰めました。

母が亡くなった日の訪問看護の方がなんと着付けのできるかたで

帯まできれいにしめてくださいました。

最後まで完璧な母で、不肖の娘と息子は喪失感が半端ありません。

 

危篤になったときにお別れに来た母の友人がみんな口をそろえて

「あなたがいなくなったらどうするの!?」

といい、

葬儀後は形式的におまいりにくる(ことが多い)親族のお嫁さん方も

みなさん号泣してくださり、

私の友人も姉の友人も一緒に泣いてくれて、

母の偉大さを亡くなるときにまた思い知りました。

 

コロナでだいぶ簡略化されましたが

私の一族では七日参りはきちんとやるので

四十九日の間はなんだかんだとバタバタ過ごしています。

叔母が私たちを心配して、四十九日の間は

基本的に毎日、お経をあげに来てくれています。

四十九日が終わったらすぐに初盆になるので

9月頃にまた淋しくなるのかもしれません。

 

家にいるとどうしても考えてしまうので

仕事にいっているほうが気が晴れますね。

いつもなら毎月2日ぐらい観劇予定が入っているのに

どういうわけか1カ月半ほど全く予定がなく、

私も私で無意識に準備していたのかもしれないです。

生あるものはいつか死を迎えるし、

親が先に逝くのは当たり前のことなのですが、

それでもやっぱり淋しいこと、この上なしでございます。


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