さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

慢性膵炎の経緯はこちら。重症急性膵炎の闘病記はこちら
過去の入院・検査記録はこちら。お薬の履歴はこちら
膵臓に関する記事は、あくまで素人の作った内容です。
間違いが含まれている可能性はありますので、あくまで自己責任ということで情報を利用してください。

ご意見のある方はayushirokun☆hotmail.comへ、☆を@に変えてメール送信してください。
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5月も終わり

2010年05月31日 23時59分00秒 | たわごと
父の病院を往復する日々が続いてます。

父の主治医に採血データを見ながら
「ナトリウムとクロールが低値だから電解質のバランス崩れてますよね?」
とか
「CRPは下がってきているのに、白血球の高値が続いてるのは何故ですか?」
とか質問する、嫌な患者家族をやってます。

父の採血結果は見事にHとLだらけなので
たまにしか遭遇しない主治医の回診だけでは謎が解決しません。
今、不思議なのは好中球がすごく高くて、リンパ球が低いこと。
炎症があるとリンパ球が上がると思ってたんだけど、違ったのかな。

先週の金曜日には白血球が20000を越えてたもので、
母と
「白血球分けて欲しいなぁ。」
なんて呟きました。
母は肝臓の病気の影響で白血球は常に2000台後半、
私も2000台は珍しくありません。
だから桁が一つ違います。

父は私が病院にいると、
「お母さんは?お母さんは?」
とうるさいうるさい。
だから
「そんなにお母さんが好きなら、好きと本人に言いなさい。」
と言ってやりましたが、素直に従いません。(爆)
まったく。
娘の付き添いが不満だとは失礼なお父様だこと

なんだかんだと毎日時間が過ぎていき、
ゆっくりPCを見ている暇がありません。
そんな中、PCが昨日突然立ち上がらなくなりました。

弟に電話して状況を説明してみたけど、
ハードディスクが壊れてるのか、そうじゃないのかは見てみないとわからないらしい。

最近は携帯で何でも出来るし、
長期入院の副産物でPCがなくても生きていける体(笑)にはなってます。
姉のPCで調べものぐらいは出来るし、なくてもいいかなぁ?
いや、待て待て。
PCがないとプルプル動画が見られないよん。
私の癒しだもの、やはり必要。

週末には弟が帰ってくるらしいから、相談してみます。

さて。
今日は少し時間に余裕があったので、眼科にいってコンタクトを購入してきました。
白内障wもドライアイも変化はないようでひと安心。
今、通ってる眼科はちょっと遠くて不便です。
でも、シェーグレンのことをちゃんと相談できるDrが見つかるかどうかわからず
不便でも変える気にはなりません。
Drとの相性って大事ですもんね。

イチゴのクラフティ

2010年05月28日 22時26分17秒 | 食べ物のこと
我が家で取れたイチゴが

 ↓  ↓  ↓



義妹ちゃんの手によって、
イチゴのクラフティになりました。

 ↓  ↓  ↓



クラフティってのは本来生クリームがどっさり入っている(らしい)のですが
私仕様に生クリームは抜いて
低脂肪乳と卵で作ってくれたそうです。

先日、冷凍おかずをたくさん持ってきてくれた時に
これも作ってきてくれたの。
冷凍されているものを冷蔵庫で自然解凍していただきました。
(写真はまだ少し凍っていた時に撮りました。)

おいしー。
もちろん、祟りナシ。
私にとって洋菓子=買うモノだったので
膵炎になって以来すっかり縁遠くなっていますが
低脂質に作ると食べられるんですよね。
弟んちに遊びにいくと、いつも義妹ちゃんが
私でも食べられる洋菓子をごちそうしてくれます。

以前、友達にいただいた低脂質シフォンもおいしかったの。
写真をアップしそこねていたので、今日ご紹介。

黒糖のシフォンケーキ。



ありがとう。
皆様の愛で生きてます。

ベジミート

2010年05月27日 11時40分04秒 | 膵炎の食事
『畑の牛肉頂きます』
・・・なーんてCMが昔ありましたけど、
ホントに「畑の肉」という食品が売ってます。

オーサワ「畑の肉」

  ↓  ↓  ↓



原材料は小麦蛋白、大豆蛋白、菜種油、小麦澱粉、本醸造醤油、天塩、酵母エキス、メープルシュガー、昆布末となっています。

私が膵炎になってから、母が買った模様ですが
使われずに大事に大事にしまわれてました。
いくらカンヅメでもいい加減使ってあげなくちゃね、
ということで、これを使って料理してみました。
ちなみに賞味期限は2年らしい。。。
越えてる気がするけど気にしない、気にしない。

挽肉と同じように使えると書いてあったので
ハンバーグを作ってみることに。
タマネギをいためて、低脂肪乳とパン粉をツナギにして
しめじもきざんで入れて・・・。
で、捏ねようとしたら、ここで問題発覚!
畑の肉は肉ではないので(当たり前)
どんなに捏ねても粘り気がでないのです。
なので、牛乳につけたパン粉ではなく
小麦粉を入れて固めるのが正しい方法だった模様。
しかし、すでに後のまつり。(笑)

固まらない畑の肉バーグもどきをなんとか掴んで
テフロン加工のフライパンでじゅーっ。
ソースはケチャップとソースを混ぜたものをかけました。

できあがり。
ちょっと固まりが悪いけど、
一見すると普通のハンバーグっぽい。
しかし、食べると。
なんだこりゃ???
肉の食感がない。(これまた当たり前)
ツナギを間違えたせいか、どうも歯ごたえがなくてドロドロした感じ。
しかも、なんか独特の匂いがあるのよね。
うーむ・・・こりゃ失敗作だわ。

ハンバーグもどきは夕食のおかずだったので
「一口食べて捨ててくれたらいいよ。」
と言ったのですが、家族の反応は意外とOKでした。
「ハンバーグだと思わなければ食べられないことはないよ。」
だそうで。

この「畑の肉」は原材料に大豆と菜種油が入っているので、
脂質は一缶で8.3gと多め。
これなら鶏の胸肉を自力で挽肉にするほうが安全ですね。
それに大豆は私の天敵なので
もしかしたら牛より危険かもしれないと思い
私はごくごく控えめに食べました。
少量にしたせいか祟りはなかったです。

結論としては、ハンバーグは肉で作ろう!
ってこと。
モドキは所詮モドキでしかありません。(笑)

入院というものは

2010年05月26日 21時05分49秒 | たわごと
今回、父の入院を通じてようやく気づいたことがあります。
今まで何度となく入院したし
痛い目や苦しい目にも色々あってきました。
自分ではそれなりに大変な経験をしていると思っていました。
でも、本当に大変なのは当人よりも家族のほうなのですね。
本人は痛い、苦しいと言って自分のことだけ考えてたらいいのです。
自分のことなのだから辛いことに耐えるのは当たり前だし、
自分の闘病に自分の時間を使っているだけのこと。
でも、家族は違います。
自分の時間を犠牲にして看病に来てくれているのです。
重症急性膵炎でICU送りになるまでの3日間や
モルヒネ中毒になって嘔吐発作のひどかった数日間
姉と母は交互にずっと付いていてくれました。
私ってばどれだけ家族の時間奪っていたのかしら。
しかも、私は3ヶ月、2ヶ月、3ヶ月
・・・と長期入院が3回も。
父のおかげで改めて家族のありがたさを感じることが出来ました。

父は相変わらず大量に酸素は投与されてはいるものの
日中は鼻マスクに代えても大丈夫で
一昨日からミキサー食という
どろどろの食事が出るようになりました。
おかずを煮汁と一緒にミキサーに掛けて、
とろみをつけているのです。
お椀のふたをあけるとドロドロのものが大量に入ってます。
私の水定食よりよっぽどまずそうです。(笑)
でも、父は「メシメシ」とうるさかっただけに
食べられることがとにかく嬉しいみたいです。
今朝、9時前に病院に行ったら
朝食終わったところだというのに
「昼メシは何時や?」
と言うのにはまいりました。(笑)
(さすが、私の父?)

今は朝の9時ぐらいから夜7時ぐらいまでを
母と交代で(というよりは母が大部分)付き添いしています。
父も病院や看護師さんに多少なりとも慣れてきたらしく
ようやく点滴を抜くこともなくなりました。
何よりご飯がでるので、入院の張りがでたようです。

私自身の体調もそこそこ落ち着いてます。
退院当初の無理矢理エンジンをかけている状態から
少し緩めモードに切り換えました。
なんとなくペースがつかめてきた感じがします。

肺は膵臓と同じく非可逆性の臓器だそうで
壊れた細胞は元に戻らないのだとか。
父の胸部CTを見ると、すりガラスのように肺が曇っています。
間質性肺炎という病気は
これまた膵臓と同じで、肺が繊維化して硬くなり
やがては呼吸が出来なくなっていくそうです。
父の残り時間がどれぐらいあるのかはわかりませんが
本人も家族も納得できるように時間を過ごせたらいいなと思ってます。

さて。
今日は久々に時間があったので
PCでプルさまの動画を見て癒されました。
若かりし頃のプルさま、素敵
「1999年NHK杯のFP」


復調

2010年05月23日 16時13分53秒 | たわごと
やはり殿の判断は正しかったです。
4日連続の点滴で着実に復調してきました。
木曜日の診察を見送って月曜日まで我慢していたら
今頃あわや捕獲!?だったかもしれません。
無理と我慢はホドホドに、ですね。

さて、本日は父の誕生日です。
生きて誕生日を迎えられて良かった~とシミジミ。
金曜日の採血ではようやく改善が見られ
酸素も鼻マスクに変わりました。
酸素状態は安定しています。
CTでは白い部分がむしろ増えているように映っているので
機能しない肺に体が慣れたってことなのでしょうかね。
人間の体には状況に適応しようとする能力があるんだわ。

昨日、10日ぶりにとろみをつけた水を飲んでみたところ、大丈夫でした。
飲食ってその瞬間に息が止まるのでハイリスクだそう。
最初のハードルをクリアし、
今日は少しだけリンゴジュースを飲ませて貰って、
「おいしいおいしい」と大喜びでした。
誕生日にジュースが飲めたらいいなあと密かに思っていたので良かったです。
主治医曰く
「急性期を過ぎたので、今後は急変ということはなく徐々に悪くなっていきます。」
とのこと。
ひとまず、悪いなりにも安定してくれているようです。

父の主治医は入院初日に
「土曜日は休みですけど、一応出てきます。日曜日は来ません。」
と宣言(?)されたとおり、日曜日は回診に来られません。
父の病院ではチーム制ではないので、
主治医が休まれると誰もDrは来られません。

私の主治医は若いDrが増えた今でこそ日曜日に休まれるようになりましたが
ほんの2~3年前まで日曜日でも毎日顔出されてました。
お休みを取られるようになっても
担当医が交代で顔出しされることが多かったので
父の病院にどうも慣れません。

昨日、今日と殿病院の救外に点滴に行ったら
両日とも入院時に診てくださっていた若いDrの姿を見かけました。
この違いは病院の方針?
ちなみに父の病院には呼吸器内科だけでDrが15~6人はいるので、
人手不足が理由とは考えづらいです。

勿論、Drにも休みは必要。
24時間、365日休みナシに働くなんて無理です。
でも、代わりのDrがフォローにまわるシステムにはならないのかな。
殿病院がおかしいのか、
父の病院がおかしいのか
判断に苦しみますわ。。。

救いの手

2010年05月22日 23時41分10秒 | たわごと
週末なので、弟夫婦が父のお見舞いに帰省してきました。
義妹ちゃんからびっくり嬉しいおみやげつきです。
なんと色んなおかずを冷凍にして持ってきてくれました。
冷凍庫がいっぱいになっちゃうぐらい。
すごい嬉しいです。
ありがとう!助かります

水曜日あたりはもうどうしようかと思うぐらいヨレヨレでした。
あのままだと共倒れだったかも。
でも、フサンの点滴と強制的に3時間近く寝かされることで確実に復活してます。
(昨日、わざわざ回診に来てくださった殿のおかげ)

姉は姉で忙しい時期なのに同僚の人が仕事を交代でかわってくれて休みが取れています。
そして、今日は弟夫婦のバックアップ。

色んなところから救いの手が差しのべられます。

本当にありがたいです。
感謝、感謝。
そして、色んな励ましの言葉をくださる方々にも勇気づけられています。

コメレスはおいおいにしますので、お待ちくださいね。

ツッコミどころ

2010年05月21日 23時32分57秒 | 慢性膵炎の通院
今日も点滴に来るように言われていたので
朝、母を父の病院で落とし、私はそのまま殿病院へ。

点滴処置のオーダーは既に入っています。
だから初診のドクターの顔だけ拝めば良いはず。。。
ところが。
「体調はどうですか?」
から始まり、痛み方や場所やいつから続いているのか、
さらには入院期間まで聞かれて???
トドメに
「じゃあ採血しましょう」
とまで言われてしまいました。
あ「昨日やりましたが・・・?」
Dr「えっ?あ、オーダー入ってたんや。」
と、ちょっと噛み合わない会話をしてしまいました。

電子カルテを開くと
殿からの「当直医、当番医各位へ」
と赤ででかでかと書かれた画面が飛び出すので、
そのせいで勘違いされたのかしら。

そんなこんなで診察を終えて処置室へ。
朝からすごく体がだるくて少し動くのも億劫だったのに
点滴が半分ぐらい入ったらなんだか楽になってきました。
ブドウ糖のおかげで頭がはっきりしたのかな。

さて。
点滴の最中に聞きなれた声がしました。
声の主は殿
どうやら処置室にいる患者さんの診察に来られた模様。
せっかくなので少し話をしたいところだけど、
私のベッドは一番奥だから無理だわねと思ってたら、
殿のほうから来てくださいました。

昨日の診察で、
「土日は点滴どうする?」
と尋ねられたのですが、こんな事情だしで、
「しなくても大丈夫です。」
と答えていたのです。
なのに、またもや
「土日どうする?」

うーむ。
これは殿の見解ではした方がよいってことね?
確かに点滴は4日間ぐらい連投しないと効果が薄いしなぁ。
家族からは土日も行っておきなさい!と言われてたので、土日点滴決定。

で、本題はここから。(笑)
私の隣のベッドに寝ていた年配の男性も殿の患者さんで
私のあとに診察に廻られてました。

殿に
「粉薬を飲むとむせてしまって飲めないんです。」
と訴える患者さん。
どうやら食道の病気のようです。
殿「水も飲めないんですか?」
そうです、と答えてます。
殿「水も飲めないなら点滴1本追加しておきますからね。」

と言われて、立ち去られました。
その後、現れた奥さんと患者さんの会話。

「点滴もう1本追加らしいねん。やから昼はここでやな。パンでも買ってきて。」

水どころか食べられるやんっ
とツッコミを入れたワタクシ。
殿にあの患者さんはパン食べられてたから大丈夫ですよ、
と告げ口したほうがいいのかちょっと迷いましたわ。
医者と患者の意志疎通って難しいですね。(笑)

脳の誤作動ではなく。。。

2010年05月20日 18時23分00秒 | 慢性膵炎の通院
なんで今日は日中に日記がアップ出来ているのかというと
体調の悪さから自宅へ強制送還(笑)されたからです。

退院以来痛みはずーっとあったものの
そんなこと言ってる場合じゃないしと無視していました。
しかし、昨夜さすがに疲労困憊でぐったりしていたら
姉から
半日休みが取れたので私が付いているから病院に行ってきなさい
と指令が出ました。

ちょうど今日は殿の外来日です。
昨夜は痛かったものの、今朝には治まっていたし、
病院に行くほどではないようなと多少躊躇いつつ
救外や主治医以外の診察日に行くよりは早め受診のがいいのかしらね。

いつもながら気を遣って下さる看護師さんのおかげで
さほど待たずに診察を受けられました。
触診されたら、めっちゃくちゃ痛い。
今回は脳の誤作動じゃなさそ。。。
採血とフサンの点滴がでました。

ここのところの疲労も手伝って、珍しく点滴中に爆睡。
点滴が終わったのが1時前でした。
殿外来は午前中だけなので、
処置室に来られると思ったのに姿が見えず。
どうやら外来はもう終了しているみたい。
午後からは別のDrが診察室を使うし
はて、採血結果はどうするんだろう?
と思いながら待つこと20分。
看護師さんが
「あれ?あゆさん。先生処置室行かれてましたよ?」
絶妙(?)のタイミングですれ違いが起こってしまった模様。

結局、殿がもう一度どこかからお出ましになられました。
痛いのは気のせいかと思っていたら
アミラーゼ221と久々に私にしては高い数値を出してしまいました。

他にも
白血球2300
赤血球351
ヘモグロビン9.3
ヘマトクリット28.0
TP 6.4
A/G 1.9
TG 48
と色々と異常が。
きっと疲れが原因ですなあ。。。

明日は母に予定があるので
点滴は今日だけで終わろうと思っていたのに
さすがに明日も来るようにと言われました。

今回はどうやら
「痛くないのに痛いような気がしている」
のではなく
「痛いのに痛くないように思いこんでいる」
の間違いだったみたい。

ある程度、気力で痛みは押さえられるということらしい。
うーむ、じゃ普段は気合いが足りない?
(そういう問題じゃないか。

ドタバタその3

2010年05月20日 17時32分37秒 | たわごと
父が入院して今日で9日目。
セレネースを投与すると日中に眠ってばかりいるので
昨夜から投与は見送られました。
「明日、9時に来ます」
というメモを枕元に残していたのですが
それを見て「迎えに来る」と勘違いしたのか
9時前にまたもや点滴を自己抜去。

初日の夜に自分で抜いてしまって以来、
手ではなく足に点滴されてます。
それも、両足から。
なかなかルートが取れない時によく看護師さんと冗談で
「足をさしだしましょうか?」
なんて笑っていたら、まさか自分の父で足の点滴を見ることになろうとは。
今後抜いたら絶対に痛いと思われる血管しか残っていないそう。
今日は今度こそ抜かないようにと、
点滴の上を包帯でグルグル巻きにされてました。

さて。
点滴抜去はともかくとして
セレネースの投与がなくなったおかげで今日は随分意識がはっきりしていました。
一昨日、強制的に酸素を送り込む人工呼吸器から
普通の酸素マスクに変わりました。
上述の人工呼吸器は自分のペースで呼吸できないので、
意識がある状態で付けられるととても苦しいそうです。
なので、取り外して貰ったら随分スッキリしていました。
「今後、酸素状態が悪化したら再び取り付けることになるかもしれませんがどうされますか?」
と主治医に聞かれました。
見るからに苦しそうだったので可哀想だし、
この呼吸器を付けても肺が白くなるのを止めることはできないとのことだったので
今後はもう付けないという結論になりました。
一応、父にも聞いてみたところ
「もう付けたくない」と言ってました。

今日は、意識がはっきりしているせいか
「帰る、帰る」を連発。
「帰りたかったら、先生にお願いせなあかんわ。」
と言ったら、ちゃんと(?)主治医に
「帰りたい」
と言うではありませんか。
とーちゃん、よくやった。(笑)

退院出来るとしても入院は2~3ヶ月必要だとは言われていますが
家に一度でも帰れたらいいのにと思います。

ドタバタその2

2010年05月20日 00時28分27秒 | たわごと
父危篤、というわけで、姉は出張から急遽帰宅。
入院初日の夜から母と交代で病院泊まり込みとなりました。
本人が何故病院にいるのかが理解できないため
家族がいないと不穏になってしまいます。
なので24時間付き添い体制。
私は父の事情から、ややフライング気味に退院を決めました。
退院日もそのまま病院へ。

父の状態は2日目にはレントゲン上で改善が見られたものの、
その後は採血も画像も横ばい状態。
ただ、悪いなりにも病状は落ち着いていたため、
5日目=16日(日)の夜からは家族の体力面の問題を考え
泊まり込みはやめました。
しかし、泊まり込みをやめた途端、父は再び点滴を全部抜いてしまいました。
そのため、セレネースを投与されて強制的に眠らされました。
翌朝病院に行くと、コンコンと眠り続け。。。
寝るのは夜にしてくだされ。

病院からは1人になると不穏になるようなので泊まって欲しい
というニュアンスで言われましたが
(病院のHPには完全看護なので付き添いは必要ありませんと明記あり)
月曜日の夜はセレネース投与で様子を見てもらうことに。
幸い、早めのセレネース投与で気持ちよく撃沈してくれました。

私が退院したのが土曜日。
姉が仕事を休んでいたのがこの週末まで。
従って、月曜日から母と私の二人体制が始まりました。
朝7時過ぎに母を送って病院へ。
家に戻ってもろもろの家事をして母のお弁当を作り、昼前に病院へ。
しばらく病院にいて帰宅。
夕方また病院へ。
1日3回ぐらい、病院と家とを往復。
朝から消灯時間まで付き添い、家でご飯を食べることもできない母を思えば
私も頑張らなきゃ、代わってあげなくちゃと思うけど、体がついてきません。

痛くてなかなか食べられないし、
夜は痛みでボルタレン連発。
微熱は出たまま、巨大口内炎も出来てきました。
考えてみれば退院した日から、夜以外は横になっていないから無理がたたってるのは明白。
まだ実質3日目だけど、すでに疲労困憊です。

父は入院以来絶飲絶食なのですが、
「メシはいつや?」
「今日、帰れるん?」
とばかり聞いてきます。

酸素マスクをはずせない状態だし、初日に水を飲んだだけで酸素量が70%まで落ちたので
今の父にとって飲食は命にかかわるハイリスクなことです。
そりゃ、帰りたいよね。
ご飯も食べたいでしょ。
こんな病院で管に繋がれて死にたくない、と私でも思います。

我が家では以前より
「延命のためだけの治療はしない」
と決めてました。
ですから、初日に気管切開の意思はないことは伝えています。

今日はCT検査がありました。
レントゲンでは横ばいにみえたけれどCT上は悪化しており
採血もステロイドの投与で順調に下がっていたCRPが再び上昇傾向にあると。
感染の可能性もあるし、予断を許さない状況に変わりはないそうです。
もう治療法はないようなものだし、
父の体力がどこまで持つかにかかっているらしい。
助からないのであれば苦しい治療はやめてあげてください
、という家族の意見を伝えてきました。

父が希望していることが、何かひとつでも少しでも叶えてあげたらいいのですが。

父はあれだけ不安がっていたのに、今夜は
「もう帰っていいで。」
と言い出したそうで。

そう言われたら言われたで、ほっとすると同時に不安になるのが不思議ですね。