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さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

慢性膵炎の経緯はこちら。重症急性膵炎の闘病記はこちら
過去の入院・検査記録はこちら。お薬の履歴はこちら
膵臓に関する記事は、あくまで素人の作った内容です。
間違いが含まれている可能性はありますので、あくまで自己責任ということで情報を利用してください。

ご意見のある方はayushirokun☆hotmail.comへ、☆を@に変えてメール送信してください。
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脳の誤作動ではなく。。。

2010年05月20日 18時23分00秒 | 慢性膵炎の通院
なんで今日は日中に日記がアップ出来ているのかというと
体調の悪さから自宅へ強制送還(笑)されたからです。

退院以来痛みはずーっとあったものの
そんなこと言ってる場合じゃないしと無視していました。
しかし、昨夜さすがに疲労困憊でぐったりしていたら
姉から
半日休みが取れたので私が付いているから病院に行ってきなさい
と指令が出ました。

ちょうど今日は殿の外来日です。
昨夜は痛かったものの、今朝には治まっていたし、
病院に行くほどではないようなと多少躊躇いつつ
救外や主治医以外の診察日に行くよりは早め受診のがいいのかしらね。

いつもながら気を遣って下さる看護師さんのおかげで
さほど待たずに診察を受けられました。
触診されたら、めっちゃくちゃ痛い。
今回は脳の誤作動じゃなさそ。。。
採血とフサンの点滴がでました。

ここのところの疲労も手伝って、珍しく点滴中に爆睡。
点滴が終わったのが1時前でした。
殿外来は午前中だけなので、
処置室に来られると思ったのに姿が見えず。
どうやら外来はもう終了しているみたい。
午後からは別のDrが診察室を使うし
はて、採血結果はどうするんだろう?
と思いながら待つこと20分。
看護師さんが
「あれ?あゆさん。先生処置室行かれてましたよ?」
絶妙(?)のタイミングですれ違いが起こってしまった模様。

結局、殿がもう一度どこかからお出ましになられました。
痛いのは気のせいかと思っていたら
アミラーゼ221と久々に私にしては高い数値を出してしまいました。

他にも
白血球2300
赤血球351
ヘモグロビン9.3
ヘマトクリット28.0
TP 6.4
A/G 1.9
TG 48
と色々と異常が。
きっと疲れが原因ですなあ。。。

明日は母に予定があるので
点滴は今日だけで終わろうと思っていたのに
さすがに明日も来るようにと言われました。

今回はどうやら
「痛くないのに痛いような気がしている」
のではなく
「痛いのに痛くないように思いこんでいる」
の間違いだったみたい。

ある程度、気力で痛みは押さえられるということらしい。
うーむ、じゃ普段は気合いが足りない?
(そういう問題じゃないか。

ドタバタその3

2010年05月20日 17時32分37秒 | たわごと
父が入院して今日で9日目。
セレネースを投与すると日中に眠ってばかりいるので
昨夜から投与は見送られました。
「明日、9時に来ます」
というメモを枕元に残していたのですが
それを見て「迎えに来る」と勘違いしたのか
9時前にまたもや点滴を自己抜去。

初日の夜に自分で抜いてしまって以来、
手ではなく足に点滴されてます。
それも、両足から。
なかなかルートが取れない時によく看護師さんと冗談で
「足をさしだしましょうか?」
なんて笑っていたら、まさか自分の父で足の点滴を見ることになろうとは。
今後抜いたら絶対に痛いと思われる血管しか残っていないそう。
今日は今度こそ抜かないようにと、
点滴の上を包帯でグルグル巻きにされてました。

さて。
点滴抜去はともかくとして
セレネースの投与がなくなったおかげで今日は随分意識がはっきりしていました。
一昨日、強制的に酸素を送り込む人工呼吸器から
普通の酸素マスクに変わりました。
上述の人工呼吸器は自分のペースで呼吸できないので、
意識がある状態で付けられるととても苦しいそうです。
なので、取り外して貰ったら随分スッキリしていました。
「今後、酸素状態が悪化したら再び取り付けることになるかもしれませんがどうされますか?」
と主治医に聞かれました。
見るからに苦しそうだったので可哀想だし、
この呼吸器を付けても肺が白くなるのを止めることはできないとのことだったので
今後はもう付けないという結論になりました。
一応、父にも聞いてみたところ
「もう付けたくない」と言ってました。

今日は、意識がはっきりしているせいか
「帰る、帰る」を連発。
「帰りたかったら、先生にお願いせなあかんわ。」
と言ったら、ちゃんと(?)主治医に
「帰りたい」
と言うではありませんか。
とーちゃん、よくやった。(笑)

退院出来るとしても入院は2~3ヶ月必要だとは言われていますが
家に一度でも帰れたらいいのにと思います。

ドタバタその2

2010年05月20日 00時28分27秒 | たわごと
父危篤、というわけで、姉は出張から急遽帰宅。
入院初日の夜から母と交代で病院泊まり込みとなりました。
本人が何故病院にいるのかが理解できないため
家族がいないと不穏になってしまいます。
なので24時間付き添い体制。
私は父の事情から、ややフライング気味に退院を決めました。
退院日もそのまま病院へ。

父の状態は2日目にはレントゲン上で改善が見られたものの、
その後は採血も画像も横ばい状態。
ただ、悪いなりにも病状は落ち着いていたため、
5日目=16日(日)の夜からは家族の体力面の問題を考え
泊まり込みはやめました。
しかし、泊まり込みをやめた途端、父は再び点滴を全部抜いてしまいました。
そのため、セレネースを投与されて強制的に眠らされました。
翌朝病院に行くと、コンコンと眠り続け。。。
寝るのは夜にしてくだされ。

病院からは1人になると不穏になるようなので泊まって欲しい
というニュアンスで言われましたが
(病院のHPには完全看護なので付き添いは必要ありませんと明記あり)
月曜日の夜はセレネース投与で様子を見てもらうことに。
幸い、早めのセレネース投与で気持ちよく撃沈してくれました。

私が退院したのが土曜日。
姉が仕事を休んでいたのがこの週末まで。
従って、月曜日から母と私の二人体制が始まりました。
朝7時過ぎに母を送って病院へ。
家に戻ってもろもろの家事をして母のお弁当を作り、昼前に病院へ。
しばらく病院にいて帰宅。
夕方また病院へ。
1日3回ぐらい、病院と家とを往復。
朝から消灯時間まで付き添い、家でご飯を食べることもできない母を思えば
私も頑張らなきゃ、代わってあげなくちゃと思うけど、体がついてきません。

痛くてなかなか食べられないし、
夜は痛みでボルタレン連発。
微熱は出たまま、巨大口内炎も出来てきました。
考えてみれば退院した日から、夜以外は横になっていないから無理がたたってるのは明白。
まだ実質3日目だけど、すでに疲労困憊です。

父は入院以来絶飲絶食なのですが、
「メシはいつや?」
「今日、帰れるん?」
とばかり聞いてきます。

酸素マスクをはずせない状態だし、初日に水を飲んだだけで酸素量が70%まで落ちたので
今の父にとって飲食は命にかかわるハイリスクなことです。
そりゃ、帰りたいよね。
ご飯も食べたいでしょ。
こんな病院で管に繋がれて死にたくない、と私でも思います。

我が家では以前より
「延命のためだけの治療はしない」
と決めてました。
ですから、初日に気管切開の意思はないことは伝えています。

今日はCT検査がありました。
レントゲンでは横ばいにみえたけれどCT上は悪化しており
採血もステロイドの投与で順調に下がっていたCRPが再び上昇傾向にあると。
感染の可能性もあるし、予断を許さない状況に変わりはないそうです。
もう治療法はないようなものだし、
父の体力がどこまで持つかにかかっているらしい。
助からないのであれば苦しい治療はやめてあげてください
、という家族の意見を伝えてきました。

父が希望していることが、何かひとつでも少しでも叶えてあげたらいいのですが。

父はあれだけ不安がっていたのに、今夜は
「もう帰っていいで。」
と言い出したそうで。

そう言われたら言われたで、ほっとすると同時に不安になるのが不思議ですね。