本日は臨時の仕事が入ってしまって、やや帰宅が遅くなり、整数論の調べ物は少しだけ延期しました。その代わり昼食時に行ったショッピングモールの大型書店で一般向け科学啓蒙書の新刊の新書を購入。多分、ノーベル物理学賞に関係するから、の企画だと思います。
量子力学の話で、しかし、読み始めたのは良いのですが最初の方はずいぶん昔に聞いたような話なので途中からだらだら読みになりました。なので本当は注目すべき議論をすっ飛ばしているかもしれないので書名は伏せさせていただきます。
以下、私の自由な感想なので、いつも以上に引用注意です。
いわゆる多世界解釈の話です。対立するのがコペンハーゲン解釈。私の考えでは相互作用の所を前者は決定論的に、後者は非決定論的に解釈した、の違いだけだと思います。
全然別の本で南部陽一郎氏が晩年に流体力学に注目していたとの記述があって、だから連想したのは以下の通り。
つまり、入り口と出口がある迷路内をすり抜けるのを想像します。ウィザードリーのように20×20区画の迷路を想像して下さい。これがビルのそれぞれの階で、ものすごい豪雨があって屋上の扉を閉め忘れたものだから、通路は木片くらいは流れるくらいの水かさがあります。
まず、階上からの入り口は一箇所で、出口も一箇所で、迷路は木構造、つまりループ無し、つまり右手法とか左手法で全区画を回れる構造の場合。当然、水は階上からの入り口から階下への出口に流れるでしょう。さて、水流は全区画を認識していると言えるのか。
あまりにばかばかしいと思えるでしょうけど、私からすると量子力学の解釈問題はこんな感じです。水流だけだと光子というか電磁波というか、で、小舟を持ち込むと電子の動きになります。電子だけ見るとあたかも迷路全体が分かっているかのように分岐点を正しく選んで階下に流れて行くでしょう。で、本当に小舟が迷路全体を認識しています?。
マクロの世界と量子力学の世界が異なるのは、後者ではいわゆるエンタングルメントのために極端に情報量が少なくなっている、それだけだと思います。しかし、現象の解釈はなかなか難しく、上述の素朴な解釈はかえって混乱を持ち込むだけかもしれません。話半分と理解して下さるようお願いします。