ええと、アイドルマスターに関しては、PS4の最新アイマスゲーム、スターリットシーズンを目一杯、応援しているつもりなので、これでご容赦下さい。ソシャゲを含むスマホ8アプリに関しては通勤途中の隙間時間にこなしています。正直に言うと最近は無課金勢に近いのですが他の所でしっかり応援していますので何卒よろしくお願いいたします。
数学セミナーという一般向けの月刊数学雑誌が60周年を迎えたそうで、関係者による思い出話の特集号になっています。数セミがどのような雑誌であるかは、この2022年5月号の49ページの定期購読のお勧めページのキャッチコピーが秀逸です。おそらく公式webサイトにも掲載されていると思います。キーワードは数学の細分化と学際化です。
細分化の方は分業が進んだと言うことで、いわゆる専門家と称する人々が主流となってきている、ということ。学際と言う言葉は例えば数学と物理学の交流などの意味で、応用分野との繋がりも指します。
こうなってしまうと全体像を捉えるのは容易ではなく、多方面から、いわゆるいろんな角度で検討せざるを得ません。と言うのも読者の方も専門家になってしまっているからです。
悪く言えば数打ちゃ当たる、ですが、いろんな側面から見るのは私自身の経験としても思わず役立ちます。具体的に言うと、分子モデルが今も売られているのも、組み立てていろんな角度から見ると思わぬ形が見られるからだ、と思います。ベストの角度からの眺めは教科書に載っていますが、すべての方向を掲載することはできません。理屈を付けるのなら、群論の訓練の一つになっていると思います。
その数セミの特集では著者に自由に書かせたみたいで、丁寧に読めばいろいろ読み取れると思うものの、私はざっと見したので専門家が何か言っている、の印象となりました。なので面白かったのは表紙に名前が出ている初期の編集長と創刊に関わった数学者の一松信先生の記事です。
お二人とも、このような商業ベースの数学雑誌は世界的にも珍しいとコメントしています。編集長の方は数楽人として、一松先生の方は江戸時代の和算に例えていて、具体的には書かれていませんが、いわゆるアマチュア数学者の活躍に一定の評価を与えているようです。この分類では私も数楽人になってしまいますが、末端の応用とはいえ、それで飯を食っているのですからアマチュアとは言い切れないと思います。いや、純粋に趣味の方々を批判している訳では無いです。
その1960年当時の数学とその周り、とくに産業界との関わりが見たかったのですが、まあそこは別料金と言うことでパスみたいです。一松先生の記事にはやはりというかコンピュータのキーワードが出ていて、当時は大きさも値段も怪物のような姿の万能計算マシンと格闘した姿が連想されます。
が、すぐに終わってしまい、一世を風靡したマーチン・ガードナー氏の「数学ゲーム」の話題に入りました。雑誌は日経サイエンスですが、訳者は他ならぬ一松先生です。
いわゆる病的な曲線などは今はあまり話題になりません。しかし、当時は割と真剣な話題で、書かれている「理想的な選挙方式は存在しない」の記述は、今は具体的に何を指すのか分かる人がいるのやいないのやら。
言いたいことがありすぎて収拾が付かなくなったのか、その記事は突然終了してしまいました。
数学セミナーという一般向けの月刊数学雑誌が60周年を迎えたそうで、関係者による思い出話の特集号になっています。数セミがどのような雑誌であるかは、この2022年5月号の49ページの定期購読のお勧めページのキャッチコピーが秀逸です。おそらく公式webサイトにも掲載されていると思います。キーワードは数学の細分化と学際化です。
細分化の方は分業が進んだと言うことで、いわゆる専門家と称する人々が主流となってきている、ということ。学際と言う言葉は例えば数学と物理学の交流などの意味で、応用分野との繋がりも指します。
こうなってしまうと全体像を捉えるのは容易ではなく、多方面から、いわゆるいろんな角度で検討せざるを得ません。と言うのも読者の方も専門家になってしまっているからです。
悪く言えば数打ちゃ当たる、ですが、いろんな側面から見るのは私自身の経験としても思わず役立ちます。具体的に言うと、分子モデルが今も売られているのも、組み立てていろんな角度から見ると思わぬ形が見られるからだ、と思います。ベストの角度からの眺めは教科書に載っていますが、すべての方向を掲載することはできません。理屈を付けるのなら、群論の訓練の一つになっていると思います。
その数セミの特集では著者に自由に書かせたみたいで、丁寧に読めばいろいろ読み取れると思うものの、私はざっと見したので専門家が何か言っている、の印象となりました。なので面白かったのは表紙に名前が出ている初期の編集長と創刊に関わった数学者の一松信先生の記事です。
お二人とも、このような商業ベースの数学雑誌は世界的にも珍しいとコメントしています。編集長の方は数楽人として、一松先生の方は江戸時代の和算に例えていて、具体的には書かれていませんが、いわゆるアマチュア数学者の活躍に一定の評価を与えているようです。この分類では私も数楽人になってしまいますが、末端の応用とはいえ、それで飯を食っているのですからアマチュアとは言い切れないと思います。いや、純粋に趣味の方々を批判している訳では無いです。
その1960年当時の数学とその周り、とくに産業界との関わりが見たかったのですが、まあそこは別料金と言うことでパスみたいです。一松先生の記事にはやはりというかコンピュータのキーワードが出ていて、当時は大きさも値段も怪物のような姿の万能計算マシンと格闘した姿が連想されます。
が、すぐに終わってしまい、一世を風靡したマーチン・ガードナー氏の「数学ゲーム」の話題に入りました。雑誌は日経サイエンスですが、訳者は他ならぬ一松先生です。
いわゆる病的な曲線などは今はあまり話題になりません。しかし、当時は割と真剣な話題で、書かれている「理想的な選挙方式は存在しない」の記述は、今は具体的に何を指すのか分かる人がいるのやいないのやら。
言いたいことがありすぎて収拾が付かなくなったのか、その記事は突然終了してしまいました。