私の職場で実施した新型コロナウイルス感染症のPCR検査の回答が来ません。何も起こってないところを見ると、おそらく陰性だったみたいです。
本日も一日出張。本日行った事業所も、細かいところまで小綺麗になっていました。余裕ありの感じがします。会社自体は普通の緊張感と思います。
コロナ関連で仕事上の行動制限はありません。以前と同じく法律で定められた部分を見るだけです。コースは先方が決めたものを、例年通りにそのまま受け入れます。別のところ見ても業種が全く違うから何も分からないし。
で、昼食はその近辺のファミレスに行きます。もろに昼食時ですからごった返しています。緊急事態宣言ってあったかな、の感じ。昼間ですからいわゆる3密にはなりません。だからこうなのか。私の職場からすぐ見える大きめの病院も、すくなとも外見は特に変わった感じはしません。
データベースとは何かの話に突入したいと思います。ただし、私は多分極度の階層型データベースの信者で、現在主流のRDB、リレーショナルデータベースに関してはなぜこんなものがずっと流行しているのかいささか疑問なので、つまり業界主流の意見で無いことはあらかじめ警告しておきます。この通り言ってデータベースの資格試験に落選しても当方は一切の責任を取りませんのであしからず。私自身の仕事に役立っている、これが唯一の根拠です。
データベースとは何か。とは言っても、私の意見では1960年代に確立したアイデアなので、素朴な形態はまったく難しくありません。文字通りデータの基地です。
つまりネットワーク上にデータセンターがあって、そこで事業所で扱うデータを一括管理します。なあに、簡単なこと。社員のAさんが書き込んだ情報を他の社員のBさんが参照できる、これが基本。言い換えると、現在のコンピュータでは当たり前に見えるこの動作を軽く考えてはいけません。
と言うことは、まずネットワークが必須です。そしてデータは集中管理ですからいわゆる中央集権システムで、分散型システムとは矛盾します。これは私のかつての上司の一人が明言していました。
では、いわゆるオンラインシステムとどこが違うのか。その後行った所で別の先輩が、あんた混同してるんじゃ無い?、とか言われて答えに窮したことがあります。だからここで説明するわけ。
あれこれ言う前に、私の実体験を説明した方が手っ取り早いでしょう。
時は1970年。私は中学生だったはずです。我が国(日本)は必死で世界に追いつこうとし、まあ、経済的には高度成長を経て一定の成果が出たので、日本万国博覧会(EXPO 70)などを実施して、東京オリンピック(1964年)は少し前の話で新幹線や名神・東名高速道路は順調に稼働していて、当時は私は関西にいましたから、父がその新幹線で東京に出張して、東京土産として東京タワー(鉄骨の方)の置物を買ってきたりして、自家用車はまだ無かったですけど、一応都会ですから市内の移動は公共交通機関で十分(これは現在と同じ)。今のような都市部の高速道路はありません。
やっとこさ電子卓上計算機が普通の事務所でも買える価格(10万円未満)となり、しかしソロバンと平行稼働していました。たしかNHKの教養講座では計算尺(けいさんじゃく)の講義があったか。大企業には大型コンピュータが続々と投入され、そんなに役立つならと少し規模の小さな企業に日立や東芝や沖電気などのメーカーがミニコンレベルの計算機をセールスしていた時代です。
これからは電子計算機の知識が必須だ、ということで、伝説のNHK教養講座FORTRAN入門と応用が放送されました。そこでデモンストレーションとして使われたのがDEMOSと呼ばれるNTTの事業所用計算機サービスです。テレビスタジオに4台のテレタイプ(和製)が設置されて、当時はビデオテープは貴重でしたから実時間の放映で実際に電子計算機が応答しているのがナウかったです。
多感で生意気だった私も、ミュー型ゲルマラジオから入門して、近所のプラモデル販売店でなぜか真空管とか抵抗素子を売っていましたから、ラジオの製作と言う雑誌に載っていた回路を組み立てたり、その後電子ブロックの姉妹品で1~2石(石は単体トランジスタのことだが、後にモノリシックIC (LSIを含む)のことも指す)の低周波・高周波の電子回路を組んでふむふむと理解したつもりになって。
さて次の目標は、の時にTTLなどの論理ICが電気街で売られていましたから、トランジスタ技術などの記事を見て、アナログのOPアンプとともに自作回路を組んで。
…、しばらく思い出話が続くと思います。