ふたたびの春を還らぬ君なれば命尽くして桜花咲け
桜花いたくな散りそたまきはる淡き命に触るる今宵は
うつそみも桜散りたり墨染めの衣まとひて君送る日に
ふりそそぐ桜花びら振り分けて葬送の列野辺を歩みぬ
今日は母の命日。
いつもなら一つの花瓶にユリや菊の花を備えるだけなのだが今年は豪華だ。
いつもと同じ花瓶いはユリと芍薬に似た花・菊など
。
母が親しくしていた近所の方からは竹の子を持っていたお返しに庭に咲いていた椿や雪柳をいただいた。
椿は八重など種類が多い。
これを花瓶と仏壇の中の花入れに活けた、そこにはうちの庭の白雪けしも一緒に。
仏壇の前にはうちの庭で咲いたクリスマスローズ。
チューリップもいっぱい咲いたのでこれは別の花瓶に活けた。
小さい仏壇の横の小さい床の間が花でいっぱいになった。
絵の展覧会に大学時代の同窓生がグループで来てくれた。
普段は余り会っていない人たちである。
その中の一人が学生時代母から手作りの帽子をいただいたと言って、まだ母が生きていると思っていたのだろうお菓子を持ってきてくれた。
母は内職で帽子を作っていた、手先の器用な人で小さい手芸品を作って人にあげるのが好きだった。
作品は材料を廃物利用をした誰でも同じものが作れるもので、若い頃の私は余り関心を示さなかった。
今はそれが悔やまれる。
何十年前の母のまいた種がずっとその同窓生の中では生きていて、母の行為を覚えていてくれたのだから。
オリジナルな芸術作品でなくても母が小物を人に上げていたのは意味のあることだったのだろう。
母が亡くなって11年になるのだった。
いまだ母を看病した時の傷はいえない、多分一生治らない。
あの時何故もっと優しくできなかったのだろうと思う。
死に直面して母はどんなに心細かっただろうに、私は看病だけでなくほかのことの責任もをすべて処理しなければいけなかったから余裕がなかった。
こうやって母の思い出を語ってくれた同窓生がいて、それをきっかけに母の思い出が蘇ってくるのを私の心は拒否する・・あまりに苦しいから。
具体的な思い出を心に浮かべないようにしている代わりに、もう少し距離を置いた象徴的なことで母を偲ぶ。
お雛様を見ることも重要な代償行為だ。
お雛様と会話しながら、母との葛藤部分は取り除いて「優しい母」と言う部分だけと対峙する。