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海に吹く風

海の大好きな私
ここで皆さんとお話しましょう

日々思うこと、短歌についても書いていきます

蜩ノ記

2019-12-26 15:51:03 | 読書


作者 葉室麟 直木賞受賞の作品。
ドラマ化、映画化された。
葉室麟は遅咲きの作家で54歳で文壇デビュー、2012年直木賞を受賞、多くの作品を残したが2017年66歳で亡くなった。

あらすじ(Wikipediaより引用)
「豊後 羽根(うね)藩。
城内で刃傷騒ぎを起こした檀野庄三郎(だんの しょうざぶろう)は、家老・中根兵右衛門の温情で切腹を免れたものの、僻村にいるとある男の監視を命じられる。その男とは、7年前に藩主の側室との不義密通の罪で10年後の切腹と家譜の編纂を命じられ、向山村に幽閉されている戸田秋谷(とだ しゅうこく)だった。

秋谷の切腹の期日まで寝食を共にし、家譜の編纂を手伝いながら秋谷の誠実な人柄を目の当たりにするうちに、庄三郎は秋谷に敬愛の念を抱き、次第に秋谷の無実を確信するようになる。やがて庄三郎は、秋谷が切腹を命じられる原因となった側室襲撃事件の裏に隠された、もう1人の側室の出自に関する重大な疑惑に辿り着く。」

私は映画は見ていない。
葉室麟の小説を読むきっかけはNHKドラマ『蛍草』を見て初めてその名を知り、興味を持ったから
これも過酷な運命の中で清廉に生きる少女とその奉公先のやはり素晴らしく清廉な主人の物語
主演の清原果耶が17歳なのに演技が素晴らしかった!
図書舘で借りた二つ目の本が『蜩ノ記』だった。
やはり一番の出来ではないだろうか。
最後の章で涙が浮かんできた。
小説を読んで泣いたのは初めてかもしれない。
過酷な運命を背負いながら自分の清廉な生き方を貫く人物は小説の中にしかいない、本当の江戸時代は現代と同じくどろどろとしたかっこ悪いものではなかったか、武士道の観念も時代劇が作りだした理想の形にすぎないのではと思いつつつ感動した。
ただ彼の小説はいつも同じような状況・同じような清廉な人物が出てきて彼の小説ばかり読むとワンパターンと感じるかもしれない。
。  
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バンの雛2 

2019-09-05 11:16:40 | 読書
孵化間もないころ。
とにかくかわいい
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オハグロトンボ2

2019-08-13 08:08:48 | 読書
歩道橋にて
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『千すじの黒髪』

2019-01-27 20:57:12 | 読書

180ページあたりまで読み進み、いよいよ晶子が浜寺で鉄幹と山川登美子に初めて会うシーンになった。
このあたりになると田辺聖子の筆はさえわたり、晶子への思いがあふれているせいか、田辺聖子に晶子が乗り移ったかのような臨場感あふれる描写である。
どこかへ出かけるのも親の厳しい監督の元でしか出来ず、親の選んだ人と結婚してはじめて相手の顔を見るのが結婚式と言うのは当たり前だった時代の明治中期の未婚の女性が外で男性たちと会って歓談したり、一緒に会食したり、そぞろ歩きをするなど滅多にないことだっただろう。
鉄幹28歳、山川登美子22歳、晶子23歳・
師弟の関係と言っても青春まっだだ中の男女。
今の女性のように男性と話をする機会のほとんどなかった、しかも歌を作るロマンティックな女性・・・たちまち恋に落ちるのもうなずける。

ところで3人が初めて会った浜寺は古くは高師浜と言われ青松白砂の景勝地。
明治のころは別荘が多くたち、旅館もあった。
私は近くで育ったので、三人が浜寺の海辺の松林をそぞろ歩きする様子をありありと目に浮かべることができる。
浜寺の海岸は戦後進駐軍に接収され、松林は進駐軍の家族の住宅地になった。
浜辺は立ち入り禁止であった。
それが返還され、臨海工業地帯ができて海が埋め立てられるまで、わずかな期間であった。
それでも私は浜寺の海を忘れない。

また次の日、三人が住吉大社に行くシーンも眼に浮かぶ。
ここだけは明治のころと変わらないな。
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夜の梅

2019-01-24 19:25:23 | 読書

今田辺聖子の『千すじの黒髪』を読んでいる。
80ページくらい、まだ鉄幹とは会っていないころ。
小説を書いた田辺聖子の情熱のせいだろうか、段々小説の中の与謝野晶子が私自身であって、小説の中に私が生きているような錯覚を覚えて来る。
外目には内気に見えて実はあふれるばかりの情熱を秘めていて、それが短歌によってほとばしりでると言うところに共通のものを感じるからだろうか。
また晶子の育った堺市の様子も子供の頃私もそこで育ったのでありありと思い浮かべることができるからかも。

晶子は堺にある羊羹で有名な駿河屋の娘である。
駿河屋はもともとは京都伏見で初代和歌山藩主になる徳川頼宣にお菓子を収めていたが、頼宣が和歌山城主になるに伴って和歌山に移った。
いくつもの分家ができた。
堺の駿河屋もその一つで晶子の祖父は本家の駿河屋に働いているとき『夜の梅』を考案した。
羊羹にちらほらと小豆の粒が入っている、それは夜の闇に浮かぶ梅のようと言う風雅な命名である。
今では虎屋の夜の梅の方が全国的には有名なようだ。
虎屋に残っている文書には300年前のお菓子の名前として夜の梅があるという。
しかし名前が記載されているだけで形作り方は書いていない。
この虎屋の夜の梅が現在あるもののようなものなら、虎屋が夜の梅の元祖となるのだが。
今夜の梅と言う羊羹を出しているのは総本家駿河屋・大阪駿河屋・虎屋など・・・お互い夜の梅の元祖とは争っていず共存している。

私は関西人なので夜の梅と言えば虎屋ではなくやっぱり駿河屋だ!
子供のころ上等なお菓子を買えるような家ではなかったが、お中元などで頂いた時の駿河屋の羊羹は大きな楽しみだった。
そして私は普通の羊羹より夜の梅が好きだった。
味は普通の羊羹と変わらないがやっぱりイメージが風雅。
俄然久しぶりに夜の梅が食べたくなった!
堺の駿河屋はもうなくなっている。
今あるのは総本家駿河屋・大阪駿河屋・・他にもあるのだろうが。
総本家は和歌山中心で大阪駿河屋の本店は北浜から南に行ったところにある。
暖かくなったら買いに行って来よう。
デパートに出店しているかも、調べてみよう。



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2018-06-05 19:06:37 | 読書


今、道浦母都子の「うた燦燦」を読んでいて、明日あたり読み終わる。
これは古今の歌の鑑賞・解説と言うよりその歌に触発された作者のエッセイのような気がする。

この本に書いてあった次の文章に釘付けになった。
そうその通り!私もまったく同じ感覚と考えを持っている。

「旅ははっきりとした目的が少ないほど、ぼーとする時間が多いほど、本来の旅に近づく。
近年盛んなスケジュールに縛られた寺社巡りなどは、ツアーと称する旅もどきで、本物の旅ではない。
自然や人間との偶然の出会いがさまざまの空間や思い出を開いてくれるのが、本来の旅の良さであり、日常を如何に脱し、日々の生活を引きずらないかが、その鍵ともいえる。」

私はこういう旅が好きで実践している、
歴史と古い建物が好きなので、城下町・街道筋の旧宿場町・海路の寄港地の港町へふらっと行く。
これは絶対一人旅でないといけない。
友人・知人と行く旅は結局おしゃべりする・・つまり他者とのコミニュケーションが目的で、上記の旅とは別物だ。
初めての町へ電車や路線バスに乗って訪ねる。
本数の少ないローカル線の無人駅で30分も1時間も列車の来るのを待っていたりする。
このぼーとしている時間が楽しい。
地元の人や同じような旅人と行きずりに出会って話をする。
それだけで感性が響きあう時もある。
小さい初めての出来事や発見が喜びである。
また車窓からの景色を見ているといろいろなことが見えてくる。
この地方はこんな農産物を作っているのだなとか。
田んぼや畑で働いている人がいる。
工場地帯が見えてくる。
それも地理的条件があってそこに存在するのだとか。
海の輝き、川の流れ、森の静けさ…すべてが私の感性を刺激する。

道浦母都子の歌集は手元にあるのは「花やすらい」だけ。
その中にこういう歌がある

 快速にただ乗りたくて遁走をくわだてたくて網干まで来つ

この歌を読んだ時も同じだ!と思った。
私も海が見たくなって新快速に飛び乗り赤穂御崎まで何回も行ったから。
束の間遁走をくわだてている気分だから。

網干は姫路と相生の間にある駅。
ここは新快速は止まらない。


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『私を離さないで』読了

2018-02-14 13:42:09 | 読書

昨日読み終わった。
この本は特に感想を書くが難しい。
まずは読み終わったことだけメモ的に書いてておく。
カズオ・イシグロの小説にはすっかり魅せられてしまった。
次の小説をすぐに読みたくなる。
明日は『私たちが孤児だったころ』『充たされざる者』あるいは『浮世の画家』を買いに梅田に出るつもり。
こんなに続いて同じ作家を読みたくなるのは赤江瀑(マイナーな耽美的・エロティックな泉鏡花的小説)を除けば若いころ例えばドフトエフスキーの小説を続いて読んだ時から以来の気がする。
読んでいないのになんだけれど志賀直哉のような古典的名作を読んでいる時のような風格を感じる。

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『日の名残り』 読了

2018-01-30 19:46:53 | 読書

昨日読み終わった。
いい小説だった。
淡々とイギリス貴族に仕えた老執事が追憶を語る形だが、イギリス社会の姿まで見えてくる。
老執事が数日間休暇を頂きドライブしてかつて女中頭だった女性に再就職の意志はないか確かめに行く旅での出来事と追憶が交錯する。
なんて巧みな構成なんだろう。
そして私は訳した文章しか読めないわけだが、端正な文体と静かな雰囲気に魅了される。
それはカズオ・イシグロのインタビューを見たときの印象と同じだ。
私は今まで刺激の強い小説を好んでいたのかもしれない。
カズオ・イシグロの小説は文学のレベルの高い小説だなと思う。
評論ができないほうなので、感じたことをうまく文章にできないのが残念だ。
今は『私を離さないで』を読み始めた。
これはTVドラマを先に見てしまい、テーマは衝撃的なものだっただけにどうしてもその映像に影響を受けてしまう。
ドラマを見ずに読むべきだった。
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『遠い山なみの光』『日の名残り』

2018-01-04 19:36:00 | 読書


私は芥川賞を受賞した作品やノーベル文学賞を受賞した作品をすぐ読んでみようとは思わない方だ。
しかし今回のカズオ・イシグロの作品は読んでみたいと思った。
ひとつはNHKの彼へのインタビュー番組を見て、彼の哲学者のような雰囲気と静かな語り口とその内容に惹かれたから。
彼のテーマは記憶あるいは思い出だと言う。
番組を見たのに、それをうまく説明できなくて残念だけど。

もうひとつ読みたいと思った理由はTV ドラマ『私を離さないで』の原作者であること。
衝撃的なテーマのドラマだった。
臓器提供のために生み出されたクローン人間の話。
カズオ・イシグロは極端な設定をすることで「生きるとはなにか?」と問うているのかもしれない。

まずは図書館の予約を調べたら2年待ち!
滅多に本は買わないが買うしかないと思った。
今日梅田に出たとき書店に寄った。
文庫本では皆揃っていた。
ハードカバーの大きい本が欲しかったのだが、仕方なく文庫本を買った。
文庫本は安いから1冊の予定が2冊買った。
『遠い山なみの光』『日の名残り』
『私を離さないで」は図書館の予約を入れている・・2年後。。

従来の文庫本よりは字は少しだけ大きいが、文庫本を読むのは私には辛い。
図書館の本と違って返却期限がないから無理をしない程度の少しづつ読んでいこう。
まずは『遠い山なみの光』


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カズオ・イシグロ

2017-11-12 10:56:02 | 読書


『中原の虹』を読み終わったらカズオ・イシグロの本を読もうと思っていた。
図書館の予約サイトを覗いたら・・・さすがノーベル賞受賞後・・・50人~100人待ち!
考えが甘かった。。
貸し出し期間は2週間で順調に行っても2年後!
一度諦めたが、昨日思いなおして「私を離さないで」だけ予約した。
本当は「遠い山なみの光」を先に読みたいのだが。
これは本を買ってみようか。
収納の関係上本は図書館で借りるようにしている、
買うのは何回も読み返す歌集だけ。
書庫でもあれば、お金のことはともかく買ってもいいのだが。。
本当は書庫が欲しいよう~
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