海に吹く風

海の大好きな私
ここで皆さんとお話しましょう

日々思うこと、短歌についても書いていきます

水彩画同好会

2019-08-31 08:00:33 | 短歌

搬入の終はりしのちの女子会の話題は葬儀・墓守りのこと

もう少し前向きの話したかつた今度は私が話題を振らう

先生も弟子も同じく年取りぬ二十五年の歳月が過ぎ


私と私より1歳下の人が若手だから、平均年齢はかなり高齢である。
25年前から教室はあり、最初からいる人が80代前半。
最近認知症になって脱落した男性もいる。
女子会の話題は同好会の運営のことや料理のことが多い。
たまたま搬出のあとの話題は葬式や墓のこと。
これも情報交換としてはいいけれど楽しい話題じゃないね。
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月下美人2

2019-08-28 08:30:45 | 短歌

純白の体を闇にひらきつつ月下美人は芳き香を放つ

月下美人は葉(本当は茎)にコメ粒ほどの花芽がつき、茎がどんどん伸びてある時蛇が鎌首を持ち上げるように上を向き、ある日蕾が白くぐんぐん膨らみ、蕾の中心部に穴が開きその穴が段々と大きくなり開いてゆく。
咲き終わった次の朝の垂れ下がっている様はまるで快楽のあとの〇〇のようであり、薔薇のようにうっとりと甘い香りではなく獣めいた香りの混じる芳香と言い、なんと言うエロティックな花なのだろうと思う。

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2019-08-25 07:53:06 | 短歌


やすやすと別れも告げずゆく雲よ私はじっと樹のように立つ
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高校野球

2019-08-22 18:47:17 | 短歌

ホームラン打たれた投手の目の先に入道雲と真っ青な空

星稜対履正社は3:5で履正社が勝ち、初優勝した。
履正社は今大会屈指の奥川投手からスリーランホームランを打った。
はじめての失点であった。
これが大きかった。

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江戸川乱歩

2019-08-21 08:23:50 | 短歌



屋根裏の怪人みしと音を立て盗み見るらむわがみそかごと

やはらかき君の体を抱きしめて人間椅子の我とこしへに

よこしまな恋に焦がれて謎の美女腕に刺青の黒蜥蜴這ふ

縛めを解かれて走る陰獣は女の顔になり街に消ゆ

人殺しだけはしないと嘯きて二十面相闇夜に笑ふ



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自販機

2019-08-18 08:00:18 | 短歌

自販機が売地の中に置かれたり更地となりてしばらくののち

自販機が置かれし更地の近くには新築中の現場が二つ


近所の土地が2分割して売りに出された。
その奥の方の土地が売れたころだろう、残った方の敷地の端に自販機が置かれた。
こんな住宅街のど真ん中に置いても売れるのだろうかと思ったが、その土地の奥の現場とすぐ近くの別の現場の職人さんたちがよく利用していた。
奥の土地にモダンな豪邸が完成したころ自販機は撤去された。
その前に近所の豪邸も建築が終わっていた。

私の住んでいるところはバブルのころ土地価格が高騰したので、今新しく家を建てる人は自営業の社長みたいな人ばかり。
だから豪邸が建つ。
近所で豪邸が建っていく過程を観察するのはとても興味深い。
そのモダンな豪邸の持ち主は最近見かけるとまだ30代前半のようでびっくりした。
親がよほどお金持ちなのね。、

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終戦記念日

2019-08-15 10:08:19 | 日記

このブログを作ったのはネットで知り合った人たち或いは不特定多数の方に私の歌を読んでもらいたかったから。
いわばネットの歌集。
それでたまに感性を刺激する一人旅のこと以外は日常のことや心に思うことは書かないことにした。
しかし今日は終戦記念日・・心に浮かんだ戦争にまつわることを書いてみようと思う。
私の父は商社に勤め戦争中はマレーシアにいた。
現地で招集されたが、軍に関係する仕事をしているというので免除された。
戦後帰ってみると・・・妻と二人の子供は静岡の空襲のあとの大火で亡くなっていた。
そしてしばらくして私の母と再婚し私が生まれた。
父が先妻と子供たちのことを語ることは一切なかった。
私が12歳のころだった。
父と二人で生駒山縦走のハイキングに出かけた。
目的地近くで父の知人に出会った。
その人が私を見て「二番目の奥さんの子供さん?」と聞いたのだった。
父は「ええ」と短く答え、私に最初の奥さんと子供が戦争で亡くなったことを短く説明した。
あとにも先にも父がこの方たちの事を話したのはこの時一回切り。
私たちへの遠慮と言うより、悲しみが深すぎて私たちにはわからないことだから言わなかったのだと思う。
それ以来私は3人のことが戦争で死ななければ私は生まれて来なかったことを意識するようになった。
生まれてきたことは私の罪ではないが、人は原罪みたいなのを持っているのかなと思った。

父の先妻は父が不在だから戦時中実家に帰っていて亡くなった。
その時祖母(父の母)は「(姑と暮らさず実家にいたから)罰が当たったのだ」と言い放ったそうだ・
なんという冷酷な言葉だろう、同居していて血のつながった祖母だが私はこれを聞いて祖母を憎んだ。
まして先妻の兄弟の方たちの嘆きと憎しみは。。
兄弟の方が「姉さんはあの姑がいなかったら死ななくて済んだはずだ」と言っていたと漏れ聞いた。
祖母はきつい姑だった、母もずいぶんいじめられ泣いていた。
先妻だって父が不在の時くらい実家へ帰りたかったはずだ。

あれは先妻の17回忌だったのだろう、私たちも参列した。
祖母はもう亡くなっていた。
本来うちでやるべき法事を先妻の実家でしていること自体、身内の方たちの祖母への怒りが見える。
お経の途中で先妻の身内の方たちが激しく泣き始めた
私と母はここにいるべきでない気がして、身の置き所がなかった。
その方たちの悲しみを私たちは共有することはできないからだ。

年に2回お墓参りに行くと墓石の後ろに29歳9歳5歳の名前が同じ日の命日で刻まれている。
しみじみと悲しい。
18年前母が亡くなってからお墓参りに行くようになり、いつだったか住職さんが「先妻さんの兄弟の方がいらっしゃって、「もうすぐ命日だから供養してください」と頼んでいかれました」と聞いた。
私が墓参りしたとき少し前からお花が供えられているときがある
きっと先妻の身内の方が来ていらっしゃるのではと思う。
ご兄弟は高齢でもしかしてその子供が気持ちを受け継いできていらっしゃるのかもしれない。
戦後何年経とうと戦争で家族を亡くした悲しみは消えない。
そのあとで生まれてきた私たちはその方たちの犠牲の上に成り立っている今の平和を維持していかなければならない。


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オハグロトンボ2

2019-08-13 08:08:48 | 読書
歩道橋にて
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オハグロトンボ

2019-08-13 07:58:43 | 短歌

小きもの小さき世界に遊びたり梅花藻の上にオハグロトンボ

湧き水がはぐくむ暮らし梅花藻の揺れる水面に西瓜も揺れる

最初に醒ケ井に行った時だった。
観光スポットの地蔵側の下流でメイン道路から外れたところの川辺に降りて行ってみると突然オハグロトンボが飛んできた。
とても小さいトンボでその墨染色の羽根といい蛍光色の青の胴体といい、この世のものと思われない。
誰かの魂を宿して時間の歪みから現れたかのようだ。
それから毎年オハグロトンボを捜すようになった。
次の年は友人と一緒に行ってやっぱり同じ場所で見つけた。
その後はなかなか巡り会わなかったが3年前醒ケ井駅の歩道橋の廊下にいた!
なかなか立ち去りにくかった
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信太山伝説

2019-08-11 08:05:48 | 日記

「葛の葉」と「うらみ」から以下の伝説を思い出した。


「村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白し、さらに次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。
恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。」ウキベキアより

私は子供のころ堺市の南に住んでいたのでよく遊びに行くような所ではなかったが、信太山の存在は身近なものだった。
伝説のことも知っていた。

 恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

この和歌に「葛の葉」と縁語の「うらみ」が使われている。
信太巻きと言う料理名はこの信太山の伝説から取ったものである。


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