間引きとふ言葉を恐る鉢植ゑのコスモスの双葉に手を伸ばすとき
26日は夕方ハルカス美術館でしている葛飾北斎展へ行ってきました。
とても混んでいるので夕方が一番ましと聞いたので。
もともと北斎は好きですが、混んでいるからやめておこうと思っていたところ、NHKで特集番組をしていてそれを見たのです。
その番組によると、
あの有名な「冨獄三十六景の神奈川沖波裏図」の波濤の向うに富士山がみえる絵は大きい波の輪郭から波がしらの上の波そして波のしぶき、またその末端の粒に至るまで同じ円弧の図形の相似形で成り立っていて、それが見たときに永遠に波が立ち上がっては落ちる運動をしているように見え、奥の富士山のところまで吸い込まれるような構図になっている。
これは数学の理論にもあるそうで、自然界ではこのように相似の大小の形を内蔵しているものが多いそうです。
例えばシダ。
全体の葉は細長い三角形で一つ一つの枝の形も三角形、さらにそれを構成する最小の小さい枝も三角形なのです。
他にも科学の力を借りた分析で北斎がいかに絵を奥行きや質感を感じるために工夫したかを説明していました。
まさに天才ですね。
それから北斎の直筆・・信州の小布施の祭り屋台の天井の額2枚・・これは男波と女波の図ですが、やはり相似の円弧の波で成り立っていて中心はプルシャンブルーで、波は緑青と白でまるで中心に引き込まれる宇宙空間のよう。
金の額の花鳥図は娘のお映が描いたもの。
小布施までいつか見に行きたいと!思ったほどでしたがこれが今ハルカス美術館に来ていることを知り、絶対行きたくなったのです。
午後4時半に着くとチケット売り場は40人並んでいます。
思っていたよりは早く中へ入れました。
一番空いている時間帯と言っても結構な人。
一番の目的の屋台の天井図を見て、波裏図を見て・・
出品の数が多くすべて説明まで読んで順番に見ていたらいつまでかかるやら。
男波・女波図はTVの映像処理したものよりは色はややくすんでいたけれど、直筆を見た感動はなにものにも代えがたいです。
まさに宇宙です。
「冨獄三十六景の神奈川沖波裏図」は実物は小さいもいのですが波の円弧の相似形が迫力があります。。
また晩年の神の境地と副題がある作品たちにも感銘を受けました。
90歳近くのとき描いた富士山の右に龍が登っている絵。
これは龍は「もし百歳まで生きれたらたら本当の絵師になれるだろう」と言った北斎を象徴しているのではと言われています。
小さい龍なのに、さっと書いたように見える龍なのに只者ではありません。
美術館の外へ出たのは5時半過ぎ。
テラスへ出て大阪の夜景をちらっと見て家路につきました・
写真は男波図。
皆さんのところは被害はなかったですか?
うちは12時ごろやっと寝たら午前1時ごろガチャンというガラスの割れる音で目を覚ましました。
北側の部屋の窓から覗くと外に割れたガラスが散乱しています。
少しカーブしているような、ガレージの出口に取り付けたミラーが割れたのか?
それにしたらガラスの量が多い
硝子の落ちている場所からして次男の北側の部屋の窓が割れたのではないか。
もしそうだったら風が入ってきて余計大変なことに、見に行かなければ
実は次男の家とは私の予備室と内階段でつながっています。
そこを通って見に行くと窓が揺れています、割れたのだ!
次男は寝ていて気がつきません。
しかし北側の部屋は段ボールの箱で埋まって窓まで近づけないのです。
そこへ夫がやってきました。
私は慌てていたのでセコムの在宅モードを切るのを忘れたので警戒音声が出てしばらくするととセコムから確認の電話がかかってきました。
夫が無理無理窓に近づくと割れてはいず、数センチ窓が開いていたのです。
ではあのガラスは?
リビングにあったガラスのテーブルを捨てて円弧型になった部分だけきれいなので立てて植木の前に置いていたのです、それが風で飛ばされて階段に落ちて割れた。
夫はいつもそこまでしなくてもいいと思うくらい対策をするのに、そのガラスの存在を二人とも忘れていたのが失敗でした。
朝息子たちが出勤の時怪我したら大変。
危ないのですが、夫が外へ出て階段の端にだけガラスを寄せてすぐ引き返しました。
そして早朝からガラスの片づけです。
私はあとから細かいガラスを拾いました。
広範囲に落ちていて細かい粒になったものまで拾うのは大変。
葉と一緒になって分離できないのはふるいにかけたり・・すごい手間。
時間がかかりました。
他にもフェンスに取り付けていた目隠し用のネットが外れたり破れたり。
今日近所の公園へ行って見てびっくり!
ポプラの木は8本くらい倒れたり折れたり。
ヒマラヤスギも折れたり倒れたり、電話線に接しているものも。。
隣の駐車場には駐車していた車の上に倒れたヒマラヤ杉がかぶさっている。
私がいつも見に行くのミモザも上半分の幹や枝が折れて半分の大きさになっている!
半分になっても枯れないで。。
今日はお墓参りに静岡まで行ってきた。
墓地の近くに放置された二階建ての民家があり蔦が屋根まで這っている、
そこから種が飛んでくるのだろういくつかのお墓に蔦が生えてからまっている。
うちのお墓も!
はじめて気がついたときはショックだった。
まるであのカンボジアの廃墟に根が絡まっているみたいじゃない。
今までは年に1回墓参りだったが、これから春秋にしようと思った。
隣の墓石との狭い隙間から生えているし、墓石の裏で手が回らない。
幸い裏の墓の横の敷地が一つ空いているので、6月はそこによじ登り蔦を引っ張ったが根絶はできない。
今回行ったら蔦はうちのお墓の裏の墓石の方に絡まっていた。
それでも取っておかないとまた墓石に絡まるかもしれない。
憂鬱だ・・いつか私が行けなくなったらひどい状態になる。
今は日帰り旅の一種のようで楽しんでいるが。