最近心理的になかなか出かけにくいのだが・・・本当はディサービスのある金曜日にと思ったけれど、その日は雨で気温も低い。
今日しかチャンスがないと朝早く思い立って行ってた。
前にも何回か行った私のお気に入りの場所・・奈良県大宇陀へ。
薬草園の裏山にへカタクリの花の群生があり今が季節だ。
去年はまだ咲きかけで反り返っているものは少なく花の色は白だったが、今年は満開の時期で綺麗な薄紫になっていた。
それから昨日NHKの桜中継で室生大野口の大野寺の小糸しだれ桜の中継で、大宇陀の最寄の駅の榛原の隣の駅なのでこちらも行ってみた。
ここは駅から歩いて5分。
300年の樹齢の枝垂れ桜が8分咲き、綺麗だった~
お寺のすぐそばを宇陀川が流れていて(大宇陀も流れている)対岸の崖に磨崖仏がある。
鎌倉時代のものだそうだ。
カタクリの花も藪椿の花も桜も楽しめた。
触れてみよと風にささやく山桜うすくれなゐの花芯さらして
桜の歌は難しい。
古今を問わず名歌はあって、何を詠っても模倣のように見えてしまう。
私も初期に歌った自分の歌さえ超えられない。
だからいつもこの季節になると同じ歌を載せたくなる。
いつかまた新しい桜の歌が詠えるように。。
アルコール漬けの胎児を漢方の店頭に見き夢にはあらず
心斎橋筋にS薬局と言う漢方の薬局があった。
今でもあるらしい。
名前を書けば年配の人は知っているだろう。
漢方の薬局の店頭には漢方の原料となる生薬の見本が並べられている場合が多い。
たとえば朝鮮人参・桂皮・葛根・・
それなら普通なのだが、しかしそれだけでも普段目にするものではないので不思議な気がした。
朝鮮人参はあのひげ根が気持ち悪い。
私が子供の頃細長いワイングラスにふたをしたような形のガラスケースには蛇(多分マムシ)や他の動物や怖いものがアルコール漬けにされてずらりと並んでいた。
私の記憶では・・その中に人間の胎児もあったと。。
それは本当だったのだろうか、もしかして私の幻想?
動物の胎児のアルコール漬けを人間のものと長い間に思い込んでしまった可能性はゼロではない。
つまりそれほど怖かったのだ。
心斎橋から難波へ帰る道でそれは否応もなく目に入る。
見ないでおこうと思いつつ見てしまうのだ。
あの標本たち・・・<死>を永久に閉じ込めて白日の下にさらしているような怖さだった。
心斎橋歩きしのちの楽しみは不二家で食べるチョコレートパフェ
母と行く不二家のパフェは遠き日の夢の世界のデザートなりき
あの頃・・(とぼかす)生クリームは普通には手に入りにくかった。
クリスマスケーキが生クリームではなくバタークリームが普通だった時代である。
そんな時心斎橋をぶらぶらしたあと(これを「心ブラ」と言う)母がたまに連れて行ってくれる不二家のパフェのおいしさと言ったら、今の高級スイーツに匹敵するものだった。
ホイップした生クリームがパフェの上に飾られている。
それをゆっくり味わって食べるのが子供の私にとって至上の幸福であった。
あの頃母の買い物と言えば難波から心斎橋まで歩いてまた戻ってくると言うパターンだった。
心斎橋筋には塩昆布の店・お茶の店・大阪寿司の店・呉服の店などが並び大人の街だった。今は経営的なこと、相続税のことなどで老舗は次々となくなり後に入るのはドラッグストアーや携帯電話の店などチェーン店ばかり。
ミナミはすっかり若者の街になってしまった。
私が大阪の北のほうへ引越ししてしまったからでももう40年。
難波辺りに行くことはなくなった。
不二家の記憶と、もう一つはまったく違う怖い記憶・・これだけを思い出す。
まつすぐに前を見てゐる黒い瞳はモノクロ写真の十二の私
心斎橋歩きしのちの楽しみは不二家で食べるチョコレートパフェ
母と行く不二家のパフェは遠き日の夢の世界のデザートなりき
叩かるるたびに大きくうべなひて笑顔絶やさぬペコちゃん人形
アルコール漬けの胎児を漢方の店頭に見き夢にはあらず
大人たちが黙して過ぐる難波駅傷痍軍人並びてゐたり
心斎橋歩きしのちの楽しみは不二家で食べるチョコレートパフェ
母と行く不二家のパフェは遠き日の夢の世界のデザートなりき
叩かるるたびに大きくうべなひて笑顔絶やさぬペコちゃん人形
アルコール漬けの胎児を漢方の店頭に見き夢にはあらず
大人たちが黙して過ぐる難波駅傷痍軍人並びてゐたり
発光する大蛇のやうに東京へゆつくり進むUターンラッシュ
これは正月明けのUターンラッシュの歌。
高速道路を走って夜東京へ帰る車の列・いつもの年末年始のTV映像。
緩やかなカーブを描いて車のライトが長い列を作ってゆっくりと動いている。
それはまるで発光する大蛇のようだと思った。
ふるさとで束の間人間らしさを取り戻した人間たちがまた都会へと戻って行く。
その集合体は地球をいつか滅ぼす怪物のようだ。、
真夜中に開く葡萄の瞳に映る諍いの後の白きテーブル
これは葡萄がテーマの連作の中の一首。
しかし25日の梨の歌との連作とも言える。
<諍い>があり、その日の真夜中の歌がこれで、次の日の朝の歌が25日の歌である。
勿論心象風景として。
梨を切り分けるナイフの先にある言葉飲み込む朝の食卓
最近日常を切り取る歌の多い新聞歌壇はさっぱり。
短歌専門誌のほうがまだ載る。
そのほうが幻想的な歌でも取ってもらえる。
この歌は新聞歌壇と同じ選者に取っていただいたので嬉しかった。
評
複雑ともいえる心理だがよくある光景ともいえる。
「ナイフの先にある言葉」を飲み込む辺りが表現の工夫であろう。
春の香をかすかに残しあんパンのくぼみに沈む桜花びら
あんパンを考案したのは東京の木村屋で、あんパンのへその下に桜の塩漬けを忍ばせたのも木村屋。
一度だけ銀座店で買ったことがある。
確かにおいしかったが、私は団子より花のほうだから東京へ行った貴重な時間でまたあんパンを買いに行くことはなかった。
いつも片道3時間かけて九十九里浜へ行くほうがよかった。