海に吹く風

海の大好きな私
ここで皆さんとお話しましょう

日々思うこと、短歌についても書いていきます

毘沙門堂

2011-11-30 20:38:07 | 小さい旅
京都山科の毘沙門堂というところへ行ってきた。
何十年も京都へ紅葉を見に行っているのにここは知らなかった。
1年前覗いている短歌関係のブログの主がここへ行ってよかったと書いてあり写真の紅葉がとても素敵だった。
それで今年できたら行きたいなと思っていた。

山科駅から山へ向って15分、人も少なく山に自生している紅葉の趣で自然な感じがよかった。
空気まで違うような。

山科から地下鉄に乗れば2駅で永観堂の最寄駅の蹴上げ駅だと地図で知ってここも行くことにした。
蹴上げ駅を降り地上に出てしばらく歩くと南禅寺前・・すごい人で、ウンザリ。
観光バスは続々到着。
湯豆腐の奥丹は行列といった具合。
永観堂はせっかくだから拝観料を払って中に入った。
以前は庭だけと堂内と拝観料が別でしたが今はセットでしか売っていなくてかなりのお値段。。
庭園だけ入場できないのですかと聞いている人が何人かいた。
永観堂の建物の奥の紅葉はあまりきれいではなかった。
今から20年も前だろうか、ここの臥龍廊の階段を登っていくところの紅葉が真っ赤で息の呑むほど美しかったのが今でも忘れられない。
しかしそれ以来同じような紅葉は見ていない。
また同じ時期に見た高山寺の紅葉の素晴らしさを忘れられない。

あの頃とは気候の条件が変わってしまったのではないだろうか。
どこでも昔ほど綺麗ではない。
永観堂ももう行くことはないだろうな。拝観料が高すぎる。


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俵万智

2011-11-29 20:15:18 | 歌評
『短歌』12月号は俵万智特集。
対談というかインタビューがあり 、インタビュアーはやはり歌人の松村百合子。
この対談ではじめて知ったのだが、俵万智は今は沖縄の石垣島に住んでいるらしい。
松村百合子も石垣島に今は住んでいるのでのそれでインタビュアーに選ばれたのだろう。
あの大震災のとき俵万智は東京に居て子供は仙台に母とともにいた。
数日後山形からやっと仙台にたどり着き子供と対面すると俵万智はすぐに山形に移動した。
子供を放射能から守るためである。
放射能の心配の少ない、ない地域へと移動するために俵万智はあらゆる手段を尽くす。
やっと飛行機のチケットが取れ乗り継ぎで沖縄までの便が取れ、親子は沖縄に一時避難した。
それが沖縄で定住することになったという流れである

「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」

他にも福島から一番遠い沖縄に避難してきた母子は多かった。
子を思う母としての心情はわかる。
ましてやシングルマザーである俵万智は子に対する思い入れがより強いのだろう。
自分とひとり子しか居ない。

上記の歌を読んで河野裕子のこの歌を思い出した。

「良妻であること何でわるかろか日向の赤まま扱きて歩む」

スタンスが同じなのである。
女性論や原発問題の社会的な視野でなく、一個人(自己限定)の大切な家族への気持ちに忠実な行動への全肯定。
俵万智も河野裕子もこの歌を作る前に自己限定の世界にいてそのことに批評を浴びており、それに対する答えの歌といえる
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十月

2011-11-27 15:07:48 | 短歌

ランドセルの子の影淡く伸びる秋泡立ち草の黄の揺れいる

秋空のこんなよき日はハタキかけマイナス思考の埃を払う

もがれたる無花果ににじむ白き汁 許すと言えぬ秋の過ぎゆく

バーゲンのワゴンの前を行き過ぎる人にまとわる秋の木漏れ日

錆付いたブランコの横あたらしいベンチがひとつ誰もいないよ

十月の月の光の色をしたアロエの果肉二の腕に貼る
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アポカド

2011-11-25 15:46:13 | 短歌


森奥の泉の底の色したるアポカドの実を匙でくりぬく
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白アスパラ

2011-11-25 15:05:03 | 短歌

疲れたる役者のごとく缶詰の白アスパラは顔を出したり
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ダチュラ2

2011-11-24 08:43:21 | 日記
ダチュラの写真を探していて解かったことがあった。
ダチュラと呼ばれるものには二つあって、
ひとつはチョウセンアサガオ属(-ぞく、学名:Datura)で、ナス科に属する一年草または多年草で、有毒植物である。
極東では曼陀羅華と呼ばれ、鎮静麻酔薬として使われていたこともある。
あの華岡青洲が全身麻酔の薬として使ったのがこの植物である。

もうひとつは園芸種で近種のナス科キダチチョウセンアサガオ属を指す場合がある。
こちらのほうが一般的かもしれない。

チョウセンアサガオの花は上向きに咲き、キダチチョウセンアサガオの花は下向きに咲く、
こちらがエンゼルトランペットと呼ばれるもの。
チョウセンアサガオほどではないがアルカロイドの毒を含んでいる。
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ダチュラ

2011-11-23 20:10:13 | 短歌

転向を受け入れるかと聞いて来る逆さに吊られたダチュラの花が

あるネット歌会に出した歌。
転向という言葉が強いので、「逆さに吊られた」→「強制あるいは拷問などによる転向」という連想はわかっていただけたようだ。
転向というと戦前の特高による拷問での転向や、戦後のイデオロギー闘争の中での転向を連想すると思う。
しかし私はダチュラの花を見て逆さ吊りの拷問にかけられ棄教したフェレイラ神父を連想して転向という言葉が浮かんだ。
遠藤周作の『沈黙』のモチーフとなった人物。
この歌でフェレイラ神父を連想する人がいたとしたら、かなり日本史に興味のある人で、これは無理だろうと思っていた。
ダチュラの花を知ったのは割と最近だが、綺麗な花とはまったく思えず、逆さにだらんと垂れている様子は逆さ吊りとか、もっと不気味に絞首刑にされた死体まで想像しちゃって(特にしぼんだあと)・・私の感じ方がおかしいのかしら?
とにかく不気味さを感じる花なので、それで生まれてきた歌です。
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桜の園

2011-11-21 15:35:05 | 短歌

滅びゆくものみな赤く染まりたり桜の園に秋の陽の差す
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歌が生まれる

2011-11-20 13:08:39 | 日記
現実の重さに押しつぶされて歌を詠う感性なんて枯れ果てて、このままずっと詠えないではと思ったこともあった。
私は想像力で詠うほうだからつくづく歌は余裕のある時詠うものだと思った。
悲しい時苦しい時に歌が浮かぶ時もあるだろうけど、それは悲しみ苦しみの種類にもよる・・と解かった。
それでも時の流れというのはありがたいもので少しづつは歌が浮かぶようになった。
もともとが寡作で短歌モードになれる日が週1くらいでそのとき数首浮かぶだけといったペース。
しかし今はイメージを作れるテーマが一つ見つかって、短期間の内に歌が浮かぶのが嬉しい。
連作はめったにできないから提出用に大事に暖めておこう。
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猫の島

2011-11-18 10:36:57 | 短歌

野良猫もここでは立派な観光源シャーター音が島にあふれる

島中にのら猫がいて、それが可愛いというので若い女子がカメラ片手に押し寄せているというTV報道を見たのはいつだったか。
島の名前も忘れてしまった。
確か瀬戸内海の島だった気がするが・・検索してもわからなかった。
瀬戸内海の小さい島で猫がたくさんいる島はいくつもあるようだ。
全国的に一番有名な猫の島は東北石巻の田代島。
しかしここでは観光客のため野良猫に餌付けしたり、猫がメタボになったり増えすぎたりと弊害もあるようだ。
このたびの大震災で猫が山に逃げてしまい、以前ほどは数が居ないらしい。
野生の動物を観光源にするのはいろいろと問題を含んでいる。
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