雪の舞う瓦礫の町を水仙の花束胸に歩み行く人
震災で家や仕事を失い、家族を失って悲しみにくれる人に心を届けるあるいは励ます共感する手段として歌(短歌ではない)やなでしこジャパンのようにスポーツで頑張ることや一緒にスポーツをすることなどが有効な手段だとTV報道を見ていて気がついた。
これに比べて短歌はどうだろうか?
歌やスポーツは一般的なものでありそれから何かを感じる素地が出来ており、メッセージを伝えたり気持ちを共有しやすい
個人の鎮魂の思いや被災者を励ます歌を詠うことができても短歌は一部の人の趣味であるために、それを読んだ被災者の方々が共感するのは難しいなと感じた。
勿論じっくり読んでいただけば真情を詠った気持ちは伝わるが、まず一般の方が短歌に触れる機会が少ない。
被災地に慰問に行って歌を歌ったり楽器を演奏して被災者の心を慰めることは出来るが、現地で心を込めて詠いましたと短歌を披露しても駄目だろう。
自作の詩を読み上げたら、気持ちが伝わるかもしれない。
何故短歌は駄目なのだろう?
詩に比べると短すぎる詩形だからかもしれない。
震災の被災者の方々に対して、短歌は何かが出来るのかそれが問われた1年だった気がする。
私の身に起こったことが大きすぎて鎮魂の歌がなかなか詠えなかった。
この1首のみ。
慰問に訪れた皇后陛下に壊れた家の敷地から摘んできた水仙の花束を渡した人がいた。
それからの着想。