海に吹く風

海の大好きな私
ここで皆さんとお話しましょう

日々思うこと、短歌についても書いていきます

六月

2010-07-28 23:55:21 | 短歌

六月の雨降りやまず公園の枇杷は小さきままに寄り添ふ

六月の手品師のやう紫蘇の葉と梅酢が作る一瞬の赤

雨とともに流せしものを問ふなかれ紫陽花の青は弔ひの色

飽きることなく描かれたり虹色に光る水面のモネの睡蓮

片隅に生きたる人の名のごとく勿忘草はあはき青色

部屋に住む人の息まで吸ひて伸ぶベランダ覆ふのうぜんかづらは
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絹のブラウス

2010-07-25 12:52:44 | 短歌

 まとひつく絹のブラウスそのままに春の胸乳を弾ませてゆく

絹の素材の服や着物は官能的である。
それは見る人にとってもそうだろうが、なにより着る本人にとって官能的である。
たとえばミニスカートは見る人にとっては官能的あるいは刺激的かもしれないが、本人にとって官能的だろうか?
そうではない気がする。

絹はしなやかに滑りやすい生地なのに、一方で肌に纏いつくような感覚がある・・・この部分がとても官能的なのだ。
誰かに密着されているような、愛撫されている感覚・・絹にしかないものなのだ。

風に向かって歩くと絹のブラウスが胸にまとわりつく、その感覚をそのままに春の驕りの若い女性が町をゆく。
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空蝉

2010-07-24 08:25:48 | 短歌

 思い出を抱へるごとく空蝉は生れしかたちのままいつまでも

 楡の木の幹にとどまる空蝉が永久に見つめる届かない空
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蝉の羽化

2010-07-24 05:59:52 | 日記


初めて蝉の声を聞いたのは19日だが、我が家の庭で蝉の抜け殻を見たのはその次の日から。
蝉の羽化を観察したくなる時期だ。
22日の夜庭に出るとすでに殻から出て羽を乾かしている段階の蝉を見つけた。
羽は薄緑である。
昨日はどう間違ったか午後5時半ごろにローズマリーの茂みにとまっている蝉を見つけた。
やはり薄緑の羽の段階。
午後8時半ごろ土から這い出してウロウロととまる場所をもとめて動いている幼虫を発見。
9時過ぎにどこかにとまっているだろうと懐中電灯で探したが見つけられなかった。
物陰に入ってしまったのか。
何回も庭に出るわけに行かないので、蝉が殻を破って除々に真っ白な身体をそり返すシーンに遭遇することはめったにない。
それに神秘的ではあるが灯りに照らされた白い身体は正直気持ち悪い感じだ。

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イワシの蒲焼

2010-07-22 16:23:23 | 日記

昨日イワシの蒲焼のレシピをネットで調べて作ってみたらおいしかった!
こんな簡単なメニューを今までちゃんと作っていなくてベテラン主婦ともいえないなぁ・・
まあ、これは家人の好みに合わせて魚料理は今まで余り作らなかったこともある。
しかし今は必要に迫られて節約メニュの開発中・・しかもイワシは身体にいい。

3枚に下ろしたイワシに下味をつけておき、片栗粉をつけてこんがり焼いてタレに絡めるだけ。
イワシが新しかったせいもあるだろうが、目をつぶって食べればウナギに近い味
これを丼にするとウナギ丼もどき・・まるで長屋の花見

もうすぐ土用のウナギの日が来る。
今年はどうしよう?
ウナギは国産を食べたい・
しかし国産と偽って中国産が売られたと聞くと嫌になる。
おいしいウナギ・・勿論本当は好き!
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初蝉

2010-07-19 07:07:24 | 日記

今朝蝉の声が聞こえた。
例年より早いのだろうか?
庭の蝉の羽化を観察する季節がやってきた。
夜9時ごろ懐中電灯を持って庭に出て蝉を探してみる。
殻から出るときの真っ白な蝉はちょっと気持ち悪いが。。
薄緑の羽が伸びてじっとしている時の蝉は美しい。
地上に出たらはかない命だけど、その前に何年も地中で生きていたのね。
空蝉はいとおしくて冬になってもそのままにしてしまう。
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法華寺

2010-07-16 13:03:40 | 短歌


昨日光明皇后をモデルにした仏像があったはずとそれのイメージの歌を考えていた。
最初に浮かんできたのは吉祥天女。
しかしこれは調べてみると光明皇后のお姿を映したといわれる吉祥天女は仏像ではなく薬師寺の吉祥天女図だった。

光明皇后を映したとされるのは法華寺の十一面観音像である。
私はまだこの仏像を見たことがなかった。
写真で見ると光背が特徴的な高さ1M程の仏像である。
また足の形が今にも動きそうに見える、これも珍しい。
法華寺は光明皇后が作った尼寺。
安産の犬のお守りで有名。

この隣には海龍王寺があり、これも光明皇后が建てた。
遣唐使の無事を祈る寺である。
ここにも十一面観音像がある。

会津八一はどちらの寺にも歌を残している。

 ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に あひ みる ・
ごとく あかき くちびる (法華寺)

 しぐれ の あめ いたく な ふり そ こんだう の
                 はしら の まそほ かべ に ながれむ

 ふるてら の はしら に のこる たびびと の 
               な を よみ ゆけど しる ひと も なし (海龍王寺)


どちらの十一面観音も特別公開が春秋にある。
今は有名になってしまったのでかなり混むようだ。
しかし秋に入ってみたい・・法華寺辺りはどうしてか行かずに残ってしまったエリアだ。

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聖林寺

2010-07-15 07:58:06 | 短歌

 あめそそぐやまのみてらにゆくりなくあひたてまつるやましなのみこ

 さくはなのとわににほへるみほとけをまもりてひとのおいにけらしも

昨日、水彩画の前にジュンク堂で本を読んでいた。
会津八一の評論。
仏像がテーマの連作を以前作っていて、それに2首ほど加えたいのでイメージ作りにふとこの本に手が伸びたのだった。
会津八一といえば仏像の歌を多く詠んだことで有名・・
友人と行ったなら桜井の聖林寺の歌もあったので載せてみる。
その時人は少なく十一面観音が安置されているお堂には私と友人だけ。
退出しようとすると雨が降ってきたので今しばらくお堂にとどまった。
一首目はそのときのことを思い出してしまう。
会津八一が訪れてから長い月日がたったが、聖林寺は今でも観光化されず静かな佇まいをしている。


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橋本多佳子

2010-07-12 20:13:01 | 俳句

別の記事にコメントをいただいて橋本多佳子の句を紹介していただいた。
そこからの連想で。
私は俳句についてはほとんど知らないが、橋本多佳子のこの句には強烈な印象を受けた。

 乳母車夏の怒濤によこむきに

多佳子によれば小田原の御幸が浜で作られた句で、つい娘と話に夢中になっていて気がつくと孫を乗せた乳母車が浜におきざりになっていた・・そこから出来た句だという。

この句の要は「よこむきに」だろう。
夏の海岸から少し離れたところに乳母車が横向きに置かれている。
母親の、怒濤(どとう)に対して子供を守ろうとする本能的な身構えが「よこむきに」に表われている・・というのが一般的な解釈だろう。。

しかし私はまた別のイメージを受けてしまう。
若い女が海岸に平行な道を黙々と乳母車を押して歩いている。
海は怒涛のごとく荒れている。
多佳子の持つ激しさがこの句にも表れていて、作者の詠った意味とは違うイメージを抱いてしまうのだ。
怒涛の海を自らの激しさとして背に追いながらひたすら乳母車を押して前へ進む女。
その乳母車の中には赤子は居ない。

どうしてこんなイメージを抱くのだろう?

ある年早朝に強風警報が出ていて数時間外房線が停まっていたあと、復旧したJRに乗り継いで九十九里浜に行ったことがあった。
その時の海の荒れ具合はすざまじく、まさに怒涛・・それよりもひどく、数え切れない龍がのた打ち回っているようだった。
怖くてかなりの距離があっても砂浜までは行けず、その前の道のところから海を眺めていた。
多佳子のこの句を読むとその海を思い出す。
この句の中に私自身が入り込んでしまうようだ。。
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合歓の花

2010-07-12 16:40:35 | 短歌


やがて来る闇見ぬやうに目を伏せて合歓の睫毛のほの赤き宵

合歓の花が満開と書こうと思っていたらこの数日の雨で盛りを過ぎてしまった。
合歓の花は不思議な花だ。
薄紅の花のように見えるのはあれれは花蘂?
目を伏せた嫋々たる美女を連想して西施に喩えた芭蕉の句がもっともだと思う。
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