海に吹く風

海の大好きな私
ここで皆さんとお話しましょう

日々思うこと、短歌についても書いていきます

八月尽

2010-08-31 14:36:46 | 日記

今日で8月が終る。
9月になるとまだ暑くてもまもなく涼しくなるとほっとするのだが・・今年は暑さは収まる気配はない。
明日から5日間37度の予報!
こんなのの初めてだ。

出かける用事は最低限にして首をすくめて暑さが収まるのを待つしかない。
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キッチン

2010-08-29 08:49:48 | 短歌

幸せのしるしみたいにキッチンの窓辺に並ぶミント・オレガノ

窓のあるセミオープンのキッチンが理想だったの若葉が光る

窓際で透かしてみてもその中にひよこはいません朝取り卵

過ぎたことは振り返らない キッチンで秋鮭に塩多いめに振る

白玉を水に放てば耳たぶの形に沈むはつなつの朝

曖昧な答えはとうに聞き飽きた氷砂糖をかりり噛む夜
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抜海駅

2010-08-28 12:52:26 | 日記

北海道宗谷本線の稚内の2つ手前に抜海(ばっかい)駅がある。
最北端の無人駅・・木造駅舎である。
最近の秘境駅ブームもあり、ここを訪れる旅人が多いという。
『な~んにもない駅』というのがキャッチフレーズになっている。
訪れる旅人たちは口をそろえて「何もない、だからいい」という。
何もないといいながら旅人たちは何かを求めてここに来る。
それは心の癒しや、明日を生きるための元気かもしれない。
駅の周辺には何もない・・しかし少し歩けば原生花園があり20分歩けば日本海に出てその視線の向こうには利尻島。
利尻富士と言われる流麗な山そのものの形をした島が幻のように浮かんでいる。
駅にはノートがあり、旅人たちがそれぞれの思いをつづっている。

おとといNHKでここを取り上げた番組があった。
取材をした人・・仮にAさん、Bさんと呼ぶ。

Aさん
福島県からはるばる列車を乗り継ぎ年に6回もここへ来ている。
13年前結婚したが奥さんは産後うつ病になり、まだ治療中。
Aさんは家事育児の多くを分担しながら早朝からの仕事もこなしてきた。
弱音は誰にもはかなかった。
そのAさんが唯一心を癒し元気を取り戻せる場所がここ。
列車が抜海駅に近づくとAさんの顔が輝き始める。
「もうすぐですよ。アドレナリンがわぁ~と沸いてきます」
(わかるな~この気持ち。
私も衝動的に新幹線に飛び乗り何度瀬戸内海の小島を見に行ったことか。。
忠海駅に降り、港の堤防に座ってただぼーと大久野島を眺めていた。。
<余談>昨日の夕方NHKのニュースで大久野の島の映像が出てきた。
懐かしかった)
Aさんはお気に入りの丘に登り、日本海をただ眺めている。
あるいは海岸まで歩いて利尻島を眺める。
夕暮れ・・紫にけぶった利尻富士は蜃気楼のように美しかった。

Bさん
Bさんは春にリストラにあり、秋には再就職が決まった。
その間を利用して全国をバイクで旅をした。
最後に落ち着いたのが利尻島。
そこのラーメン屋でアルバイトをしている。
そこである女性と知り合い付き合うようになった。
まだ付き合って間もない頃二人で抜海駅に来てノートにそのときの気持ちをつづった。
今日は一人で来てホームを行ったりきたりしながら物思いにふけっている。
その女性には6歳の娘がいる。
結婚したいが再就職先に連れて行くのは出来ない。
仕事を捨てて利尻島にとどまるか、別れて仕事につくか・・・Bさんは気持ちを決めるため抜海に来た。
後日・・・Bさん、女性とその娘が3人そろって抜海駅を訪れた。
Bさんは利尻島にとどまる決心をして結婚を申し込んだ。
警察官になるため猛勉強中だという。

駅は例えれば人生の分岐点、人と人が出会ったり別れたりする場所・・そこにはドラマが生まれる。
又人は駅に自分の思いを重ねる、心の癒しを求める。
小さい無人駅や木造駅舎だからこそ、そういう思いを重ねやすい。
私もそのような場所が好きだからその気持ちはよくわかる。
抜海駅・・・私も40年前に通り過ぎたのだがもちろん覚えていない。
旭川を過ぎてしばらくして稚内に着くまではずっと原野だったことくらい。





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虫の声

2010-08-26 23:51:49 | 日記

昨夜から虫の声が聞こえるようになった。
毎日猛暑日でも秋が近づいているのかと心が和んだ。

今日の夕方のニュースのお天気お姉さんの話も虫の声。
虫の声といえば秋のイメージだが、虫は35度以上では余り鳴かないが、一番よく鳴くのは32度だそうだ。
15度以下でも鳴かない。
今の時期は成虫になるため成長している時期で、案外よく鳴くのだそうだ。
虫の声を聞くともう秋と思うが、虫は残暑の季節から鳴き出すものらしい。

今日は気温は36度を発表されたが、曇りのせいか体感温度は昨日よりも3度低い感じ。
秋はもうそこまで。
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蝉の歌

2010-08-23 19:52:16 | 短歌

蝉の声の音量が少し前より落ちてきた気がする。
まだまだ暑いが季節は変わろうとしているのだろう。
先日も書いた『パン屋のパンセ』杉崎恒夫 には蝉の歌が多くある。
拾い出してみた。
それのすべてが盛りを謳歌している蝉ではなく、命を落とした蝉の歌である。
庭や道端にも蝉のなきがらを見るようになった。
その姿を観察すると以下の歌のとおりだなと思って、観察力と詩的な表現に感心する。

蝉たちは天への回帰うたっても地におちて死ぬ100パーセント

蟻たちに曳かれゆきつつ昏睡の蝉の複眼みらかれいる

かの猫に食われた蝉の薄い羽ナプキンのように置かれてあった

けいけんな信徒かもしれない落ち蝉は六本の足を胸にたたんで

八月の末のあわれは蝉立ちの空へかえっていったテノール

ひとかけらの空抱きしめて死んでいる蝉は六本の足をそろえて

わが胸ぶつかりざまにJeとないた蝉は誰かのたましいかしら

生きている蝉の数より落ちている蝉の数のが多い不思議
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高校野球決勝戦

2010-08-22 08:29:08 | 日記

試合は興南の一方的な勝利となった。
東海大相模の一二三投手は飛ばしすぎている感じだったそれに3連投の疲れがあったのだろう。
興南の島袋投手は抑えながらの投球だった。

最近は沖縄も強くなり何回優勝していた気がしていたが、沖縄県が夏の甲子園で優勝するのは初めてだったのだ。

試合を見ていて今まで忘れていたのに思い出した。
1990年沖縄水産が天理との決勝戦で9回裏のレフトライナー・・あの球が抜けていたら沖縄水産がサヨナラ勝ちだったのに、天理の選手の超ファインフレーでアウトになり優勝の夢が消えた。
必死になって沖縄を応援していたのであのときの悔しい思い、選手たちの様子・・蘇えった。。
その次の年も沖縄水産は準優勝だった。
それから20年・・とうとう真紅の優勝旗が沖縄に渡るかと思うと感無量だ。。

沖縄という言葉は負い目のようにいつも私の心の中にあった。
学生時代、国内貧乏旅行をかなりしたが沖縄だけは行かなかった。
パスポートが必要ということもあったが、沖縄に観光で行くことを私は自分に禁じていたから。
これは長くそう思っていて、沖縄に初めて行ったのは学生時代から20年くらい経ったときだった。

そんな政治的なことはともかく・・真紅の優勝旗が海を渡り那覇空港に着くときの県民の熱狂振りが目に浮かぶ。
純粋におめでとう・・・沖縄水産の監督 栽弘義氏が生きておられたらどんなに喜ばれただろう。3年前亡くなられた・・まだ65歳だったのに。
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歌集

2010-08-21 06:25:07 | 短歌

やっと歌集を読む心の余裕が出来ておとといから読んでいる。
歌集を読んでいると歌が浮かんだりする。
歌を真似するということではなく、読んでいる歌から違うイメージが出たり、歌の中の一つの言葉からイメージが浮かんだりする。
イメージがまったく浮かばない状態はどうしようもないけれど、イメージはあるが言葉がうまく行かないのであればとりあえず不出来でも作っておいて後で推敲すれば歌になるときもある。
やっとそういう状態まで回復したということだ。
義父母の用事の忙しさが歌のできない一番の原因だったのだなぁ。

昨日読んだのは『パン屋のパンセ』杉崎恒夫
身近なものや気象(空・雲・星)に題材をとりながらメルヘンチックで、それでいて上質なユーモアがあり、また静かな悲しみや寂しさもある。
90歳という年齢ゆえさりげなく自分の死のことを詠っている歌もある。
読んでいて心が洗われる。
上質な詩を読んだときと同じなのだろう。


 噛むほどに五月の風も吹いてくるセロリーは白い扇状台地

 濁音を持たないゆえに風の日のモンシロチョウは飛ばされやすい

 ぼくの去る日ものどかなれ 白線の内側にさがっておまちください

 仰向けに逝きたる蝉よ仕立てのよい秋のベストをきっちりつけて





 
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今日は

2010-08-19 08:05:51 | 日記

つかの間の休息が終わり、今日は義母の整形外科へ通院の日。
痛みがましになって週1の通院が2週に1回になりそうだ。
これで随分負担が違う。

お盆はすっかり義母の毒気にやられてしまった。
昔話を繰り返すのは年寄りの常で我慢するとして・・・人の悪口を言い出したらとまらないのだけはいただけない。
そういう毒は周囲の人も不幸にする。
その毒を抜くのに数日かかる。
言っている本人がそれで楽しいかといえばそうでもなく・・何の意味もない。
年を取ったからではなく30年以上前からである。

義父母の通院の付き添いの後はいつも余り長くは居ずに退出する。
そうでないと義母の話が始まるから。

今日も楽しい別のことを考えて乗り切ろうっと。
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真水

2010-08-17 08:28:07 | 歌評

 たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり

河野裕子さんの有名な歌といえばいくつも浮かぶ。
しかしこの歌はしみじみといいな。
この昏き器は琵琶湖と想像してしまうけれど、それでは最後の「近江と言へり」がちょっと違うなと思っていた。
近江全体が昏き器といっているのではないかとひっかかっていた。
昨夜読んだあるブログによると「これは近江全体のことよ」と河野裕子さん自身が言っておられたそうだ。

昨日近江を旅した。
近江を旅して思うことは水の清らかさと豊富さ。
比良山系・伊吹山系に降る大量の雨雪がいったんその岩石を通ってろ過されて綺麗な湧水となって近江平野に湧き出る。
近江全体が水を含んでいる器なのだろう。
またこの歌は女性そのものの暗喩であるとも言われる。
近江地方は水の豊かなおおらかな風土だが冬は厳しい。
『弁当忘れても傘忘れるな』ということわざがある。
灰色色の雲が立ち込めていることが多い、すぐにしぐれる 。
近江は明るさと暗さをあわせ持つ・・昏き器・・それは河野裕子自身のことでもあるかもしれない。
お人柄はとても明るい方だったようだが歌人である以上暗さも併せ持つ。
それでなければ高校時代病気のため留年したりしないだろう。

近江は、そして柔らかな光。
また近江は若狭地方から伊勢のほうへ抜ける風の通り道になっているのでいつでも風が吹いている。
水と光と風・・それが近江の風土である。
近江の風土が河野裕子の感性を育てたのは間違いない。
清らかに激しく流れる真水・・・河野裕子の真っ直ぐさは真水そのものだ。
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醒ヶ井

2010-08-16 20:54:59 | 日記

米原から東海道線で東へ一駅醒ヶ井に行ってきた♪
今日はかなり暑く、子供が多く、水の中に入っていた。
私も少しだけ<指定席>の石の上に座って少しだけ足をつけた。
すごく冷たいので10秒くらいしか漬けていられない。
先週台風で雨が降ったので水はやや多く、梅花藻が水面に顔を出しているのは一部だった。
雨が多いと1週間しないと水は少なくならないのだ。
それでもそれまで待っていられなかった・・どうしても今日でなければ・・そのくらいストレスもたまっていたし。。

地蔵川以外の場所では梅花藻はかなり水から顔を出していた。
今年はオハグロトンボには会えなかった、その時のことが僥倖のように思える。

青春18切符で行ったので、醒ヶ井から2駅東まで行ってみた。
駅のホームで所要時間をみて、まずは大垣行きに乗りその駅で次の米原行きに乗って引き返すにはどの駅まで行けるか調べて、それが柏原(かしわばら)駅までだった。
関が原まで行ったら次の次の列車だったが、関が原まで特別行きたいと思わなかったので柏原までにした。
ノリテツの私はただ列車に乗っているだけでご機嫌なのだ。
伊吹山が見えた。

清冽な地蔵川の水には心が洗われる。
清らかな水の豊かな近江という風土が段々と好きになる。
河野裕子さんのことをまた思い出してしまう。

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