海に吹く風

海の大好きな私
ここで皆さんとお話しましょう

日々思うこと、短歌についても書いていきます

題詠「赤」

2014-12-30 07:52:57 | 短歌


闇市を横切る女のくちびるの赤さに咲けり冬の薔薇は



三句までは「赤さ」への序詞のような構造になっている。
「闇市を横切る女」のイメージは戦後間もなくのころ米兵相手の<職業>の人。
私はもちろんリアルでそういう人たちを見たことはなく、ドラマの中のステレオタイプのイメージしかない。
「服は派手な模様のウエストはぴったりスカート部分がたっぷりのフレアーのワンピース・髪の毛はカーリーでバンダナのようなものを結んでヘアーバンドにしている・そして口紅は真っ赤」
冬に咲く真っ赤なバラは凛として美しいが、灰色の季節にそこだけの赤い花びら・・悲しみや苦しみを背負って咲いているようなどこか痛々しいイメージを持つ。
ぎりぎりを生きているような・・だからあの赤さがあるのではないかと。

ああいう<職業>についた人はやむを得ぬ事情だったのではないかと思う・・これもステレオタイプの感想かもしれないが。
衣食足りていながらブランドのバッグやスマホの通信料を稼ぐために外側に<援助交際>というまやかしの砂糖をまぶした売春をする少女とは明らかに違うと私は思いたい。

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夜の家

2014-12-28 12:54:04 | 短歌


シャッターの鎧をまとひ月光の糸くずさへも入らない家

蛇口から雫が落ちてトラップの誰も知らない湖が波立つ

テーブルにしづもる夜のスプーンの湖を見知らぬ影が横切る
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年末

2014-12-26 19:47:31 | 日記


いよいよ今年もあとわずかになった。
大掃除全般は11月に済ませて12月は最後でないとまた汚れてしまうレンジ周りや窓を掃除しただけ。
それも終わった。
今日はクリスマスの飾りものを片付けた・・これが済むとお正月の本格的準備に入る。
年々作るおせち料理の数も量も少なくなるが買い物計画を立てなければいけない。
ほとんど二人だけで過ごすお正月でも買い物の量が多い気がする。
これが娘か息子一家が来る家庭ならどんなに買い物が大変かと思う。
まあ親が子供一家が来るための忙しさは楽しいのがほとんどだからいいとして、同居している嫁が帰省してくる他の兄弟一家をもてなすための食料の買い出し(そしてもちろん料理作りの方がさらに大変)はいかに大変だったかと思う。
面と向かって同居を迫られたり、嫌みを言われても別居を貫いてよかったとつくづく思う。
別居したうえでの年末お正月お盆の忙しさや、腹が立った出来事の数々も自分の城があれば外の世界の出来事と思ってさらっと流せばいいこと・・今から考えれば大した苦労でもなかったのだろう。

今年を振り返って大したこともできなかったが一番よかったのは新しい水彩画教室が近所で見つかったこと。
先生はまるで大学の授業を講義するように熱心に上手に教えてくれる。
前の先生は全くこういう指導ができなかった。
それに御月謝は感激するほど安い!・・・公的機関の部屋を借りてこれも無料。
前はカルチャーだったから梅田まで出て行った費用はかなり掛かった。
年金生活になった今はあんな趣味はもう無理だ。
展覧会はあるにはあるが生徒だけで出品し先生の意向に振り回されることもなく、公共機関の展示スペースを借りて費用はただ、一番いいのは当番がないこと!
前は搬入・搬出。当番2回とかなりきつかった、費用の負担も相当なものだった。
ということで経済的・時間的にも負担なく続けられそうなのがありがたい。
仲間の人たちともなじんできた。
先生がいつまで教えてくださるか心配なことがあるけれど、続けて行きたい。
もっと上手になるように家でもデッサンスケッチの練習をすればいいのだけど、家に人がいると集中できず絵を描く気になれない。
やっぱり私の第一の趣味は短歌で、これはもう業のようにわが身を離れることはない。
絵の方は好きではあってもそこまで私の本質にかかわるものではない。
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英会話

2014-12-24 10:57:43 | 日記


私が今回英会話ができないのに外人観光客に話しかけられて臆しなかったのは以前同じような経験をしたから。
その時は地下鉄でした。
切符売り場で駅名のメモを見せられたので路線図の駅を指さし、そしてやっぱり切符を自動販売機で買ってあげました。
その外人さんが行きたいのはたまたま私も行く駅でした。
それで「L'et go」とだけ言って一緒に電車に乗り込みました。
駅を降りてまた行きたいビルと店?の名前を書いたメモを見せられました。
駅のすぐの店の人に聞いたらそのビルは駅に続く通路に直結していました。
一緒にエレベーターまで行ってその店?は6階と分かったので「six」とだけ言って指で6のポーズをしました。
後でわかったけれどそれはインターネットカフェでした。
この経験で英語が話せなくても身振りと単語程度を並べ立てれば道案内なら通じるもんだとわかったのです。
でも本当はもっと喋れたらもっと詳しく案内してあげられるし、会話も楽しめるのに。
海外力へ行ってももっと英語が喋れたら行動範囲も広がり、対話もできて楽しいだろうとその時一瞬は思うのです。
しかし習いに行こうという熱意はないのです。

語学をマスターするには音感のいい人は上達が早いと聞いたことがあります。
外国語を聞いてそれを日本語に訳してその日本語を脳に入れるのではなく、語学ができるというのは外国語を聞いてストレートにその意味が脳に入らなければいけないのでしょう。
だから音楽を聴くようにマスターするのじゃないかしら。
「マッサン」のアメリカ人の女優さんはそういう風にしてセリフを覚えているそうです。

でもね・・私は音感が悪いのです。
音感は子供のころに会得するもの。
音楽を聴いたり演奏する環境がないとダメ。
私が子供のころピアノを習っているのはお金持ちのお嬢様だけでした。
だから音の微妙な差を聞き分けられないのはピアノを習えなかったせいと勝手に決めつけています。
でもカラオケは好き・・まあまあのレベル。
声は綺麗といわれるのだけど…実は私は音符が読めない。
中学で音楽の基礎だけは習ったはずだけど全部忘れてしまいました。
音符を見ても音を再現することができない・・これは悲しい。
だから全部耳で聞いてメロディーをおぼえる。
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ボディーランゲージと英単語

2014-12-23 10:06:00 | 日記


昨日は友人と前の水彩画教室の展覧会に行って来ました。
メンバーの方から案内をいただいたので、その人の当番の時間帯に行きました。
場所は大阪市内、環状線の駅から歩いたところ。
大阪駅で友人が切符を買っているのを待っていると、若い男性が寄って来てスマホのようなものを見てくれと身振りをします。
え!なんだ!新手の勧誘?と不審に思いながら画面を見るとそれは自動翻訳機でした。
小さい字で「USJに行くにはどうしたらいいですか」という意味の文章でした。
私は自動販売機の路線図で「ユニバーススタジオ駅」という駅名を指さし「180円」という字も指さし、
西九条駅を指さし「ニシクジョウ change・・・」しばらく間を置いて「ユニバーススタジオ」と言いました。
(「ユニバーススタジオ」は西九条駅から分岐している支線にあります)
自動切符の買い方もわからないだろうと思い「coin?」と言うと、手で握った小銭を見せてくれたのでその中から500円玉を取り、男性が(二人分)と手をチョキの形にして合図したのでユニバーサルスタジオ駅までの切符を買ってお釣りを渡してあげました。

私たちも環状線のホームまでは一緒なので「le!t go」といって一緒に改札に行き、切符の挿入口を示してあげて環状線のホームまで行きました。
そしてユニバーサルスタジオ駅方面の電車が止まっている方を「this line」と指さしてそこでお別れでした。
でも後で見ると電車はユニバーサルスタジオ駅方面に直通だったから西九条で降りなくていいのだけれど・・車内の案内液晶画面の表示か、多分直通列車なら英語放送もあったので解ったのではと・・・希望的に考えました。
環状線へ行く途中の階段で「どこから来たの?」と聞きたかったのですが、「Where are you come from?」でよかったっけ?とぐずぐずしているうちに友人が日本語で「どこから来たの?」と聞いたら雰囲気でわかったのでしょう「台湾」と答えてくれました。
若いカップルでした。
英会話のできない私でも具体的なこういうことなら身振りと単語で何とか伝わるもんですね。
外国人観光客に応対するといいことをしたような気になって明るい気分になりました。
日本人は親切だというのは外人観光客の間で定評があるようです。
まあ、日本は平和ですね。
特に大阪人は道を聞かれるとしばらく付き添って案内してあげるおせっかい焼きが多い気がします(ちょっと宣伝)
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カランコエ

2014-12-19 14:24:32 | 日記


門の近くの植木鉢に赤いカランコエを植えたのは確か10月だったと思う。
他に気にいったものがなく初めて買ってみた。
これを植えてみると案外よかった。
花は小さいけれどびっしりと咲きとても長持ちする。
また花が咲き終わたときも茶色に変色することなく見た目にはまったく汚くならない。
これはお買い得だったと喜んでいた。
深緑の多肉質の葉と真っ赤な花はクリスマスカラーでもあり、クリスマスも咲いていてくれたらいいのにと思っていた。
しかし、今朝見たら花がみな色あせてうなだれていた!
おとといと昨日の強烈な寒さで凍ってしまいとうとう花の寿命がつきてしまった。
残念だった。。
なにか代わりの花を植えるとしたらお正月のイメージの葉ボタンなどかもしれないが、年末の忙しい気分の時、また寒い中園芸をする気にはならない。
13度くらいになる日が来たら考えてみよう。
写真はイメージ映像。
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ゆりの木

2014-12-15 10:44:50 | 短歌


ゆりの木の花に気づかず住んでいた町に高層マンションが建つ


以前30年以上も住んでいた町のスーパーの裏手の大きな道路の街路樹はゆりの木だった。
街路樹の木の名前はあまり興味を持っていなかった。
よくわかるのはケヤキとか銀杏だった。
ある時体操の先生にあそこの街路樹はゆりの木と言って高いところにチューリップに似た形の花が咲くと教えてもらった。
全然知らなかった・・30年も住んでいて知らなかったは。。
それに花が咲いていることにまったく気がつかなかった。
道を歩いているときは前を見て歩いていくので高い所の咲く花には気がつかない。
その町は社宅などの敷地がどんどん売りに出され高層マンションが建ってゆく。
もし高層マンションに住んでいたらゆりの木の花にも気づいただろうなと思った。
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シュトレーン

2014-12-13 08:07:43 | 日記


近所の友人のTさん(東京とこちらの二重暮らしの人)が東京へ帰るからとお菓子を持って来てくれた。
それがクリスマスのパンのシュトーレーン。
ラム酒にドライフルーツやナッツを1ケ月ほど漬けて焼いた日持ちのするドイツのパン。
実はウォーキングコースにある高級なパン屋さんで最近見つけて予約受け付けますとあったけれど、値段を見てびっくり。
15センチほどの小ぶりなんだけど、小さいクリスマスケーキくらいの値段・・2400円だった・
ちょっと欲しいけれど、これでは無理だとあきらめた。
それをいただいたのだからとてもうれしかった!
クリスマスの日の3時に食べることにしよう♪
生クリームの普通のクリスマスケーキはもうあまり食べたいと思わなくなった。
ホールで買うと多すぎるし、カットしたケーキは大量生産して何日か経っているのだろう、乾燥してあまりおいしくないし。
だからこういう日持ちのするほうがいい。
もともとレーズンナッツが入ったフルーツケーキが好き。
写真はイメージ。
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忘れる

2014-12-10 19:47:50 | 短歌

忘れぽくなった分だけ真剣に悩まぬことを時にかなしむ



若いころは本当に真剣に悩んだものだった。
「いかに生きるべきか」という観念的な悩み。
友達との関係の悩み。
クラブのこと。
そして恋の悩み。
一つの悩みにとらわれて寝られない日が続いたり。

でも今は・・たいていのことは流せる。
深刻に悩まない。
特に私の性格はそのようだ。
日常の生活で腹が立つこともいっぱいあるけれどすぐに忘れる。
しばらくたつとどういう怒りだったかと思う。
そんなに早く忘れて私にそういう感情を抱かせた相手に対する怒りがすぐに薄れるなんて悔しいじゃないかと思うことがあるくらい。
また本当は真剣に持続的に悩まなければいけないことがあるのではないか、それから逃げているだけでないかと思うこともある。
年の功はストレスのたまらない私を作り上げたけど、本当にそれでいいのかな?
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悲しみ

2014-12-08 20:11:40 | 日記


昨日は1年振りで大学時代の友人3人で会い楽しかった。
遠慮のない物言いで本質を突いてくるけれど、若いころに知り合った友のよさは、何を言われても腹が立たないしお互いの理解が深いことだ。

でも・・・悲しい知らせも聞いてしまった。。
同級生の一人が9月に病気で亡くなったそうだ。。
病気は平均寿命より早く亡くなる人のほとんどがそうであるようにガンだった。
今日会った人の一人とゼミが一緒の人で、ゼミ仲間のグループはとても仲が良くてよく会っていた。
ゼミの仲間にだけは病気のことを打ち明けていて、他の同級生には知らせないでということだったので、亡くなったこともゼミ仲間にしか伝わらなかったので、私ともう一人の人は昨日初めて知った。
同窓会も長く開かれていないので、その亡くなった人に会ったのはずいぶん前のことだった。
普段その人の存在を忘れていても亡くなったと聞くと遠い学生時代から同窓会でのことまで、その人と会話したちょっとしたシーンがよみがえった。
でもその人が亡くなったころ、どういうわけかふとその人のことが頭に浮かんだなぁ。。
その人の所属していたゼミの仲間たちは本当に仲が良かった・・病気のことを告白した後も3ケ月に1回はみんなで会っていたそうだ。
こんな状況にあっても心を許せる人たちに囲まれて励まされる時間を持てたことをその人のために喜びたいと思う。

同級生が亡くなったのは3人目だ。
最初の人は卒業して2年で・・・もともと心臓の病気を持っていて「医者からは二十歳までしか生きられないと言われている」と聞いていた。
手術をしたけれど、助からなかった。
もっとこの人についても語りたいけれど、今回はやめておこう。

2人目の人は30代でガンで。
若くして同年齢の身近な人が亡くなるのはとても悲しい。

しかし今回のことはまた違った気持ちで悲しい。
今の年齢で亡くなるのも早すぎるけれど、それでも亡くなる年齢の<想定内の範囲>のうちの一番早い部類に入るのではないかと。
つまりは4人目はだれに起こってももうおかしくない年齢に入ったという感じがして、自分が生き残る方の立場であるならば、次々と親しい人を失ってゆく年齢に達したのだという感慨・悲しみだった。
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