海に吹く風

海の大好きな私
ここで皆さんとお話しましょう

日々思うこと、短歌についても書いていきます

傘の歌

2008-06-30 22:39:20 | 短歌
梅雨で傘は手放せません。
傘の歌を引っ張り出してきました。

 雨の日は店先にぐっと押し出され買う人を待つビニールの傘

 雨の日の駅にあふれる長傘は身を細くして人に寄り添う
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今年初めての冷麺

2008-06-28 12:25:44 | 日記
と言っても外食ではもう1回食べた。

家で作るのが初めて。

家人は余り好きではないらしい。

今日は留守なので息子には食べさせてやろうと張り切って作ったのに・・昼前にメールが来て昼も夜も要らないそうだ。

明日に回そうかどうしようか迷ったが、2人分しか材料がない。

冷麺は出来上がるまでの段取りが大変。
麺をゆでるタイミングが難しい。
そしてすぐに氷水で冷やす。
大人数はできない。
私の昼ごはんも何か要る。

それで今日私が食べて、明日息子にだけ作ってやることにした。


できて食べた~
おいしい♪


この冷麺という言い方も関西の方らしい。
関東では冷やし中華というのが一般的らしい。


葛餅・桜餅は呼び方は同じでも中身は違う。
中身は同じで名称が違うのが、冷麺(冷やし中華)・豚マン((肉マン)
他にあるかな?あれば教えてください。

レイコー(アイスコーヒー)・レスカ(レモンスカッシュ)は死語。
これは関東風の呼び方に変わってしまった。
うなぎどんぶりをマムシというのも同じで、もう使っていないだろう。

テッサやテッチリは関西の呼び方だが関東でも定着したはず。

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柿の木

2008-06-27 11:02:29 | 短歌
 養へる柿の重さに耐へながら木はそびえ立つダムの湖畔に

公的なところへ投稿をしはじめた1年半前、いきなりNHK入選という電話をいただいてびっくりしたのに続いて、新聞歌壇に初めて投稿したこの歌が載った。
そういう意味では思い出深い作品。

前の記事の歌
 雨乞いの神殿のごと現れぬダムに沈みし村の分校

とイメージはつながっている。

表面上はダム湖畔の柿の木のことを詠っているが、本当は『人が生きるということ』を詠っている。

人はそれから逃げることはできず重い荷物を持って耐えなければいけない時がある。

植物は自分で動けない、その場所に種が落ち育った場所を去ることはできない。
それが湖底に沈んだ村を捨て、人々が去ってしまった場所でも、柿の木はその運命を甘んじて受け、耐えて生きてる。

その姿を人が生きることの暗喩として詠った。


この歌を取っていただいて、プロの歌人はすごいなと思った。
私が奥に秘めた本当の意味をちゃんと読み取ってくださって取ってくださったから。
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雨乞いの神殿

2008-06-25 10:52:14 | 短歌
短歌専門誌 特選一席

 雨乞いの神殿のごと現れぬダムに沈みし村の分校


今日雑誌を受け取る前にお知らせいただいた時は、きっとあの歌だと思ったが別の歌だった(笑)
私が思い浮かべた歌は佳作にもひっかかっていなかった。

渇水でダム湖が干上がってかつての村の建物が姿をあらわした。
その四角の建物はまるで雨乞いをする神殿のように見えた。

ダムのため、そこにあった村はダム湖の下に沈んだ。
村人たちは故郷の地から去らなければいけなかった。
そこまでして作ったダム湖が干上がっている。

かつてそこに村人の生活はあり、そこですごした建物が姿をあらわしたが、それはかつてのそれではない。
人間が住めない遺跡のよう。

今は雨よ降ってくれと人間は祈っているだろう。

今目の前に見える神殿のような建物・・自然をいじって支配しようとした人間へのアンチテーゼとしてそこにあると思ってこの歌を詠った。



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沖縄慰霊の日

2008-06-23 13:16:15 | 短歌
 風葬の死者たちの声流れきてだれかを呼ばふサトウキビ畑

 刻むべき時を持たない死者たちの名前連なる摩文仁の礎

 母を子をわが手にかけしと老人の語りてやまず戦世の修羅

 この島は戦場なりき目の前の沖縄の海美しくとも

 いくつもの特攻機産む悲しみに母艦の浮かぶ海蒼かりき

特攻機沈める海は群青にただ美しく何も語らず
   
 ジェット機が轟音立てて飛びゆけり戦なき世の美ら海の果て





 
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沙羅の花が咲きました

2008-06-21 20:32:49 | 日記
昨日我が家の沙羅の花が始めて咲いた。
去年より遅いような気がする。

沙羅の花の見た感じは薄い蝋細工のよう。
真っ白だけど、中心の方には蝋のかすかな黄味を感じる。

一日花・・儚い。
その白の清楚さと
儚さに隠れた強さ・・一日で落ちてしまう潔さ
に惹かれる。

沙羅の花は私の歌心を刺激し続ける。

 沙羅の花ただ真白にぞたまきはる命の限り一日を咲く


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葛きり

2008-06-19 16:57:28 | 日記
 黒蜜の海に鎮もる葛きりをすくへば氷カラコロと鳴る


夕方から急に蒸してきた。
じっとりと汗がまとわる。

こういう日は冷たい和菓子が食べたい!

洋菓子で冷たいお菓子といえばゼリー、プリンなど・・それもいいけれど、もう和菓子の方が食べたいお年頃なのだ。

今食べたくなるのは葛餅・・こし餡を葛でくるんだもの。
             葛の冷たさがなんともいえない。

関東で葛餅といえば葛をわらび餅のように固めた物に黒蜜と黄な粉をかけたものを言うらしい。


それからなんと言っても葛きり!
葛をひも状に切ったものを黒蜜につけて食べる。
葛の跳ね返してくる歯ごたえが心太などとはまったく違ったおいしさなのだ。

葛きりといえば京都の鍵善が有名。
漆の背の高い入れ物に入って恭しく登場。
ふたを開けると黒い漆の容器に黒蜜が入っていてどこが境界かわからない。
そしてかち割りの氷に絡まって葛きりが鎮まっている。

葛をお箸ではさむと氷が動いてカラコロと音がする。
その音が涼しさを演出していて、いやおうなく期待が高まる。
そしてあの歯ごたえ!

また食べたい!でも高い。
5年に1回も食べてないなぁ。

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『時代』

2008-06-17 07:27:51 | 短歌
 たそがれの海を駆けゆく僕たちはまだ暗闇の怖さを知らず

 僕たちが時代を変えると思ってたあのキャンパスのインクの匂い

 同時代生きたる人の「総括」とリンチの歌を我は読み得ず

 革命の挫折しみじみ振り返る我らもすでに還暦を越ゆ
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谷瀬のつり橋の夢 連作

2008-06-16 16:21:52 | 短歌
 来年の春はお別れ最後だね皆で一緒に旅行するのも

 それぞれの恋物語秘めたまま別れていくの友達として

 日本一深いつり橋渡ったね皆と一緒なら怖くなかった

 あの日見た谷川の水もう二度と帰ってこない時の彼方へ

 思い出は夢の真中によみがえり谷瀬のつり橋ゆらゆら揺れる


前項で描いた十津川の谷瀬のつり橋の連作です。

はるかな思い出。。


作品としてはまったく甘いというか、即詠でレベルも低い。

でも、ま、いいか~
日記の代わりに。。








 




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2008-06-16 08:17:30 | 日記
夢を見るのは睡眠の状態やそのときの心理状態によってだから、続いて夢を見ることが多いようだ。

昨日今日と続いて夢を見た。
昨日はネットでしか知らない人の夢。
結構そういう人が出てくる夢を見る。


そして今日は大学のクラブの同期の人たちがが出てくる夢。
昨日あることで学生時代のクラブの仲間のことを思い出して、懐かしい気分になったせいか。。

展覧会の搬出で(美術部だった)私と友人が行ってみるともう絵は外に出されていて、男の子たちが集まっていた。
でもものすごく大きい絵・・これをどうやって家まで持って帰るのだと思案する夢だった。

現実で、タタミ1帖ほどの絵を描くことが決まり、どうしようかと思っているのでこのあたりも夢に反映されてしまったみたいだ。

今前を向いて歩いているから、過去を懐かしむことなどないのに、キーワードというのがあって鍵穴に合う鍵がはまる時は突然思い出すみたいだ。
キーワードは十津川温泉の谷瀬のつり橋だった。
4回生のときクラブの同期生でお別れ旅行に行って、ここに泊まった。

日本一の高さのつり橋・・・その頃まだ高所恐怖症でなかったので真中まで行けたのだった。
そのとき一緒だった男の子たち・・一人を除いてもう消息は知らない。みんな元気にしているだろうか?

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