アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ブームの渦中の乗り鉄~広尾線

2020-05-24 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

JR北海道に継承されることなく廃線となった広尾線。初めての撮り鉄旅北海道編では、ローカル線にも乗車している。現在言うところの「乗り鉄」だが、当時の目的は単に乗車するだけではなく、例の「愛国から幸福」までの乗車券購入のために乗車したとてもミーハーな理由に他ならない。この時乗車した列車(キハ21の2連)は、そんな若者で車内はごった返していた記憶があり、周遊券で回っているのにもかかわらず、わざわざ愛国駅停車中に幸福駅までの乗車券(もちろん硬券)を買いに改札口まで走った。ただそうまでして手に入れた切符がその後どうなったのか定かではない。昔は、鉄道趣味人でも、入場券、乗車券収集という分野もあったはずだが、現在は存在しているのだろうか。明らかに鉄道趣味人口は増えているとはいえ、アントンKの耳には、この手の話がなかなか入ってこない。

掲載写真は、そんな列車で終点まで行き、折り返しまでの時間、構内で撮影したローカル貨物列車。当時は将来廃線になるなんて思いもよらず、無造作に撮影した画像がこの度発掘された。

1978-08-28    DE101691             広尾線:広尾駅にて


北海道限定車輛達の魅力~ED76 500

2020-05-23 17:00:00 | 国鉄時代(カラー)

国鉄時代を思い返してみると、北海道には道内専用の特別仕立ての車輛たちが多く存在し活躍していたことに気づく。たとえば、今回掲載する交流電機はED76でも500番台を名乗る北海道型の電機であり、キハ58ならキハ56、50系客車なら51系、485系電車なら1500番台といった具合。耐寒耐雪強化型とでもいうのか、道内仕様の車輛たちが走り回っていた。JR化された現在では、車輛形式そのものが内地とは異なり、番号区分にはなっていないようだ。もっとも明確な区分もされず、経年とともに地元に根付いている車両たちも多く存在しているようなので一概には語れないかもしれない。

掲載写真は、函館本線を走るED76501けん引の普通列車。この時は、進行方向の前位のパンタグラフのみ上げてやってきて驚嘆した思いがある。当時道内の電気機関車は、このED76の500番台とED75の北海道バージョンの501号機が存在した。アントンKにとってこの当時は、まだ交流機そのものが珍しく見え、増して厳めしい道内装備の機関車には憧れの眼差しで見送っていたはず。そんな忘れかけの想いが画像から懐かしく思い出されるのだ。

1978-08-23   122ㇾ  ED76501        函館本線:豊幌-江別

 

 


駒ヶ岳バックに・・~DD51

2020-05-22 22:00:00 | 国鉄時代(カラー)

北海道の大きさ、広さを思い知らされた撮影旅行。夜行列車を乗り継ぎ、夜を明かしスケジュールをこなしていったことも良い思い出となっている。雄大絶景な風土の中を走る鉄道の魅力は、無限大に思われ、当時のアントンKにはまだとても支えきれない印象だった。今こうして画像を見返すと後悔しきりだが、こんな体験の積み重ねで今があると思えば、どこか前向きに心が動く。一日一生の志で生きていこう。

掲載写真の大沼公園も初めて行った時、広大でスケールがデカイ、さすがに北海道だと納得したもの。活火山の駒ヶ岳も、思いのほか大きく見えたことを思い出す。ワムを連ねたDD51の貨物列車がのんびりと通過していく。

1978-08-30  5162ㇾ  DD51656        函館本線:大沼公園付近


初めての大俯瞰「狩勝峠」~DD51

2020-05-21 22:00:00 | 国鉄時代(カラー)

鉄道撮影のための初めての北海道。1978年という年は、ほんの2~3年前まで現役蒸機が残っていた訳で、現地にはまだその喪失感が残っていたはず。当時は多くの鉄道ファンも、さらなる被写体を求めて右往左往していたことだろう。広大な北海道でも、滅多に鉄道ファンに出会うことが無かったと記憶している。この翌年、山口線にC57が復活、さらに10年後の88年に函館山線にC62が走り出すなんて、誰が想像できただろうか。細々とでも長く続けることは、人生にとっても重要なファクターと思いさらされる瞬間だ。

鉄研の先輩方とともに上った狩勝俯瞰。この頃のアントンKは、今にして思えばまだ撮影自体も駆け出しの時代。月刊誌の写真に憧れ、目標にしていた頃だから、ほとんどが線路端でカメラを構えることが全てだった。撮影の基本、何をどう撮るか、の「何を」ははっきりしているが、「どう撮るか」の部分がまだまだ未熟で迷いがある時代だった。初めて大きく線路から離れて鉄道にカメラを向けることに、戸惑いを隠しきれなかったが、何しろ目の前の広大な景色に心を奪われてしまい、しばし無心になったことを思い出す。もちろん、鉄道路線としてもこんなにスケールの大きなポイントは生まれて初めてで、列車が彼方に見えてきて、その後数十分も同一列車が眺められるということに驚嘆したものだ。それまでは、車両を大きくどう見せるかということに撮影の重きを置いていたが、こんなに広大な景色の中の鉄道の魅力を表現できないだろうかという、新たな境地に立ったのも、ここからかもしれない。

掲載写真は、狩勝を往くDD51けん引の普通列車。広大に広がる山並みの中、二条のレールが大回りしながら峠を越える。一コマ一コマ丁寧にシャッターを切り、興奮を抑えながら列車を見送った場面が蘇る。

1978-08-26  1492ㇾ   DD51521          根室本線:新得-落合

 

 


重連で往く贅沢な旅~EF58+EF57

2020-05-19 12:00:00 | 国鉄時代(カラー)

鉄道撮影に目覚めた頃、自宅を始発で出発し目的地に向かうことが増えた。当時は自動車免許もなく、鉄道利用で向かうことは当たり前だったが、マイカー時代の到来とともに、そんな少旅行も減ってしまった。東北方面へ向かう場合、始発から乗り継いでぎりぎり間に合う列車が、121列車という福島までの客レで、まずはこの客車列車に赤羽から乗り込むことが目標となる。ホームに止まるか止まらないか、まだ動いているのに出入りドアから乗り込み、ガラガラの車内へと足を運ぶ。一人ボックスシートを陣取り、窓を半分開けて暫しの列車旅が開始されるのだ。

掲載写真の日も、赤羽乗車で栃木まで向かった日のもの。まだ薄暗い赤羽のホームに1灯の前照灯が近づきゴハチだと解ると、ちょっと落胆したもの。しかしこの日は、何とEF57と重連運転でホームに入ってきた。しかも回送重連なのに次位パンタも上がっていて4パンでの運転。自分が乗る列車が偶然とはいえ重連運転。それだけで大興奮したものだ。窓ごしから見るゴハチとゴーナナ重連の後ろ姿は、何とも頼もしく、今でも脳裏に焼きつ浮いている。

掲載写真は、そんな道中、停車時間を利用して撮影した同列車。この時はEF58が前機で落胆した思いがあったが、これだけ時間が過ぎてしまうと、こんな小さな思いも懐かしく思い出される。

先が見えない今の時代、こんな鉄道での小旅行を一つの目標にして日々頑張ろうと思っている。同じような旅情は味わえないだろうが、そんな想いを探してみたいのだ。

1976-10-31   121ㇾ  EF5884+EF5713      東北本線:間々田駅