アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ED16~もう一つの道

2019-04-22 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

国鉄時代には、EF59までを旧型電気機関車と言い、EF60以降の青色の電気機関車を新性能電機と呼んでいたが、現代ではそんな区分けは必要なのだろうか。現存する大部分の国鉄型電機は、車齢が30年を越えてしまい、もう新性能とか新型とは呼べなくなっている。EF200というマンモス電機がついに引退したと聞いたが、車齢からするとまだ若い部類なのに残念な話だ。

まだアントンKが鉄道駆け出しの頃、旧型電機は茶色くデッキ付きの機関車なんて思っていたが、あの青色のEF58も旧型電機なんて当時は思えなかった。後に誕生の経緯など知るうちに理解していく訳だが、現代ではそもそも青い機関車を茶色くする時代。もう新も旧もない国鉄型電機は、いつまで我々を楽しませてくれるだろう。

ED16というと、どうしても青梅線に出向き撮影を楽しむことが多かった。南武線や五日市線でも走行していて、何か所かのポイントで撮影したものの、圧倒的な列車本数と、風光明媚な沿線でどうしても奥多摩を目指していくことが多くなった。しかし今回は五日市線の貨物列車の話。当時、五日市線には、1日午前と午後の2本だけ貨物列車の設定があった。(微かな記憶だけなので間違いかもしれない)

拝島から西に分かれて武蔵増戸駅からしばらくして分岐し北側に伸びる貨物線、通称大久野線があったのだ。この貨物扱いの大久野までの貨物列車を何度か狙ったことがあった。青梅線とは違い、貨車自体も短くローカル貨物そのもので、運休も多く撮影には苦労した思い出も多い。掲載写真は、五日市本線との分岐点で撮影した大久野貨物列車。本線を分かれると、上り33‰の急こう配で山へと入っていく。まるでスイッチバックでもするかのような線形で、当時はお気に入りだった場所。今では見る影もないだろう。

1976-09-30    562ㇾ  ED168           五日市線:武蔵増戸-大久野にて


色彩溢れるシナイスキー氏の棒

2019-04-21 06:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィル「トパーズ」公演に行ってきた。

ここ数日で、さらに春を感じられる陽気となり、例の花粉症も終息し体調も整いつつあるアントンK。正直この時期の演奏会は、そんな体調だと普段以上に気を遣い、演奏そのものに集中できないことも多い。花粉症も、日によって全く症状が異なるからさらに厄介なことになる。素直に病院で処方してもらい、万全を期せば良いだけなのだが、イライラしたり眠くなったり、過去にも嫌な思いをしたので、それ以来自力で対応しているのだ。

前半はドヴォルザークのチェロ協奏曲、そして後半はグラズノフの交響曲第5番というプログラム。このプログラム、一見地味に思いがちだが、ロシア出身のシナイスキー氏がどう料理するのかが、今回の演奏会での一つの注目点だった。

今考えると、いつも聴いている新日本フィルから、ロシアのオーケストラを思わせるような、時には泥臭く分厚く図太い響きを引き出し、かと思えば、雄弁な木管群の魅力的な音色を前面に押し出した解釈は楽曲全体に広がり、アントンKとしても望むところだったが、指揮者とオケとの相性というか、意思の疎通が極まっているように感じ、限られた時間でここまでになるのかという事にまず驚かされた。それだけオーケストラが、指揮者の意図する音楽を柔軟にくみ取りまとめ上げていく力感が備わっているということに尽きるのだろうと思う。そうなるには、お互いの信頼関係がより深く根付く事が重要になるだろうし、その点ではコンマス崔文洙氏のご尽力の賜物なのではないか。無責任なことを言うが、一ファンであるアントンKが聴いていて、まずはそう感じた次第。

メインプロであるグラズノフの第5交響曲は、マイナーな楽曲ではあるだろうが、ロシアの古い民族舞曲調の楽曲で聴きやすい。ちょうどチャイコフスキーの初期の交響曲のような曲調といったら言い過ぎだろうか。前半のドヴォルザークをも含めて、メリハリが効いていて、低音から高音域までよく鳴っていて心地よい。特にTbやTubaの強調は、上岡監督ではなかなか聴けずオケも開放的な感じを受けた。指揮者シナイスキー氏は、音色を油絵のように塗り重ねていくような音作りで、これはロシア指揮者に多く見られるタイプであり想像の範囲内だったが、えげつないほどの音響ではなく、響きそのものには品が感じられる。逆に、弦楽器による普段は聴き取れない刻みの強調は、新しい風を感じ新鮮だった。

しかしアントンKにとって一番印象深いのは、ドヴォルザークのチェロ協奏曲での情熱的とも言える感情のぶつかり合いだった。感情的に抒情的に歌い上げるソリスト宮田大氏は、自分の想いを音符に載せ我々聴衆に投げかけてきた。それは憂いを帯び感傷的でもあったが、その音色の深さは、遠く若い頃にアントンKを運び、その当時の想いが心の中に広がってしまい思わず感涙してしまった。そして第3楽章に現れる、コンマスとのガチンコ勝負とも捕れる感情のぶつかり合いは、この演奏会での白眉だった。第2テーマを朗々と歌うコンサートマスターである崔氏の響きは、チェロの深い響きとの相乗効果でさらに輝きを増し、いつも以上に雄弁に感じられたが、両者の直近での音楽のやり取りは、アントンKに大きな勇気を与え、生きる喜びを享受でき心が熱くなってしまったのである。やはり演奏会はこうでなくちゃ・・今まさに生まれた感情が共鳴し、即興性をも伴って唯一無二の音楽を構築する。この芸術家たちの葛藤を五感で受け止めることで自分の心の栄養とする。今回は、そんな演奏会だった。

新日本フィルハーモニー交響楽団トパーズ 第604回定演

ドヴォルジャーク  チェロ協奏曲 ロ短調 OP104

グラズノフ     交響曲第5番 変ロ長調  OP55

 

ソロ アンコール  バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番

指揮   ワシリー・シナイスキー

チェロ  宮田 大

コンマス 崔 文洙

2019年4月19日 すみだトリフォニーホール

 


二大スターの競演~EF57&583系

2019-04-18 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

平成が終わり令和の時代がもう真近だというのに、頭の中は昭和の時代へとまっしぐらとなってしまった。やはり青春時代の画像は、いつ見ても熱いし楽しい。こんなにも純粋だったのかと恥ずかしくなるくらい。気持ちはあの頃と変わっていないつもりだが、当時の写真を眺めると今では随分と流されてきてしまった。

都内から普通列車に乗り宇都宮へ。ここでけん引機が変わり、乗車した列車にはEF575が単機で近づいてきた。それまでは、EF58とEF57の重連でやってきて、ここから黒磯までEF57のお世話になる。何と贅沢な日常だろう。40年以上もの歳月がそう思わせるのだろうか。停車時間の間、隣のホームまで行き、機回しの様子をスナップしていると、怒鳴るような構内放送が入り、寝台特急「はくつる」の入線を告げた。アントンKも一気にテンションが上がり、ファインダー越しの夢中になっていた。大好きな583系電車と憧れのEF57が同じファインダーの中に納まるだけで手が震えそうになる。こんな当時は他愛もない出来事だが、これだけ経った今でも鮮明に脳裏に浮かぶ光景。必死に撮影した想いはこれからも忘れず一生の宝として行こう。

1976-10-31      6M はくつる 583系 & 121ㇾ EF575     東北本線:宇都宮にて


特急「踊り子」の元祖157系「あまぎ」号

2019-04-17 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

特急「踊り子」の元祖ともいうべき特急「あまぎ」。当初は日光型と呼ばれていた157系電車で運転されていた。アントンKが鉄道にカメラを向け始めた時代まで遡るから、大昔の出来事になってしまった。この特急「あまぎ」は定期で運行されていたが、もう1本吾妻線へと入り万座・鹿沢口まで走る特急「白根」は週末のみの臨時列車だったように記憶している。

アントンKは、当時からこの157系電車がお気に入りだったが、東海道線に出れば、ブルトレやEF58らに時間を取られてしまい、なかなか手が回らなかった。今にして思えば、もう少し撮影していればと悔やんでしまう。特急を名乗るのには、当時は少し古くかなり痛んだ印象だったが、大きなヘッドライトの個性丸出しのお顔は、大きなヘッドマークとともにまさに157系の象徴であり、写欲をそそられたもの。しかし田町区に後継の183系1000番台が配置されると、一気に廃車に追い込まれてしまったのだ。日光への観光目的で生まれた157系電車は、もともと準急用だったからか、出入り口が1両に4か所あり、これが現在の185系電車に通じる由縁かもしれない。一時期登場した、157系を模した外観塗装は、そんな類似した形態であることもあり、とてもマッチしていたと思っている。現在は全て登場時の姿に戻っているが、今後のことを考えると、一編成この「あまぎ色」を復活させ、有終の美を飾ってもらいたいと思うのは、アントンKだけではあるまい。

掲載写真は、保土ヶ谷の大カーブをいく157系特急「あまぎ3号」伊豆急下田行き。東京よりのMcM'McM’と続く編成が個性的だった。

1976-02-20    3025M   あまぎ3号  Mc157-6   東海道本線:保土ヶ谷-戸塚


そこにはいつも名列車が・・急行「大雪」

2019-04-16 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

初めての北海道撮影旅行。国鉄現役蒸気機関車が引退して3年の月日が流れた頃、当時の同級生とともに青函連絡船に乗り渡道した。第一印象は、やはり北海道は思った以上に大きく広大だったこと。乗っても乗っても目的地に着かないイメージは未だに残っている。しかし、やってくる列車達は、どこか力強くたくましく思えたもの。急行「ニセコ」「狩勝」「大雪」・・・これらの列車名を聞くだけで、アントンKは憧れを抱いていた。どれも蒸機が晩年までけん引していた急行列車たちであり、目の前にその列車が現れると、感動し気持ちが高ぶってしまった。もちろん、蒸機からDLやELに機関車は交代しているが、諸先輩方の素晴らしい作品の数々とダブって映り、錯覚を覚えたのかもしれない。やはりこの目で見て見たかったと、その時も考えていたと思う。でも後年、そうした思いは、長い間に繰り返されているのだということに気づかされた。もっと若い諸君は、国鉄時代にゴハチに、同じ思いを持っているだろうから・・・

掲載写真は、早朝の札幌を目指す急行「大雪5号」。この旅行で、「狩勝」や「大雪」の寝台にも客車グリーン車にも乗車が叶い、今も忘れられない思い出が詰まっている。まだ明けやらぬ札幌界隈。露出が大変厳しく、せっかくのED76の牽引だが、被写体ブレを起こしているのが残念だ。

1978-08-29    418ㇾ  ED76518  急行「大雪5号」  苗穂付近にて