アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

色彩溢れるシナイスキー氏の棒

2019-04-21 06:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィル「トパーズ」公演に行ってきた。

ここ数日で、さらに春を感じられる陽気となり、例の花粉症も終息し体調も整いつつあるアントンK。正直この時期の演奏会は、そんな体調だと普段以上に気を遣い、演奏そのものに集中できないことも多い。花粉症も、日によって全く症状が異なるからさらに厄介なことになる。素直に病院で処方してもらい、万全を期せば良いだけなのだが、イライラしたり眠くなったり、過去にも嫌な思いをしたので、それ以来自力で対応しているのだ。

前半はドヴォルザークのチェロ協奏曲、そして後半はグラズノフの交響曲第5番というプログラム。このプログラム、一見地味に思いがちだが、ロシア出身のシナイスキー氏がどう料理するのかが、今回の演奏会での一つの注目点だった。

今考えると、いつも聴いている新日本フィルから、ロシアのオーケストラを思わせるような、時には泥臭く分厚く図太い響きを引き出し、かと思えば、雄弁な木管群の魅力的な音色を前面に押し出した解釈は楽曲全体に広がり、アントンKとしても望むところだったが、指揮者とオケとの相性というか、意思の疎通が極まっているように感じ、限られた時間でここまでになるのかという事にまず驚かされた。それだけオーケストラが、指揮者の意図する音楽を柔軟にくみ取りまとめ上げていく力感が備わっているということに尽きるのだろうと思う。そうなるには、お互いの信頼関係がより深く根付く事が重要になるだろうし、その点ではコンマス崔文洙氏のご尽力の賜物なのではないか。無責任なことを言うが、一ファンであるアントンKが聴いていて、まずはそう感じた次第。

メインプロであるグラズノフの第5交響曲は、マイナーな楽曲ではあるだろうが、ロシアの古い民族舞曲調の楽曲で聴きやすい。ちょうどチャイコフスキーの初期の交響曲のような曲調といったら言い過ぎだろうか。前半のドヴォルザークをも含めて、メリハリが効いていて、低音から高音域までよく鳴っていて心地よい。特にTbやTubaの強調は、上岡監督ではなかなか聴けずオケも開放的な感じを受けた。指揮者シナイスキー氏は、音色を油絵のように塗り重ねていくような音作りで、これはロシア指揮者に多く見られるタイプであり想像の範囲内だったが、えげつないほどの音響ではなく、響きそのものには品が感じられる。逆に、弦楽器による普段は聴き取れない刻みの強調は、新しい風を感じ新鮮だった。

しかしアントンKにとって一番印象深いのは、ドヴォルザークのチェロ協奏曲での情熱的とも言える感情のぶつかり合いだった。感情的に抒情的に歌い上げるソリスト宮田大氏は、自分の想いを音符に載せ我々聴衆に投げかけてきた。それは憂いを帯び感傷的でもあったが、その音色の深さは、遠く若い頃にアントンKを運び、その当時の想いが心の中に広がってしまい思わず感涙してしまった。そして第3楽章に現れる、コンマスとのガチンコ勝負とも捕れる感情のぶつかり合いは、この演奏会での白眉だった。第2テーマを朗々と歌うコンサートマスターである崔氏の響きは、チェロの深い響きとの相乗効果でさらに輝きを増し、いつも以上に雄弁に感じられたが、両者の直近での音楽のやり取りは、アントンKに大きな勇気を与え、生きる喜びを享受でき心が熱くなってしまったのである。やはり演奏会はこうでなくちゃ・・今まさに生まれた感情が共鳴し、即興性をも伴って唯一無二の音楽を構築する。この芸術家たちの葛藤を五感で受け止めることで自分の心の栄養とする。今回は、そんな演奏会だった。

新日本フィルハーモニー交響楽団トパーズ 第604回定演

ドヴォルジャーク  チェロ協奏曲 ロ短調 OP104

グラズノフ     交響曲第5番 変ロ長調  OP55

 

ソロ アンコール  バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番

指揮   ワシリー・シナイスキー

チェロ  宮田 大

コンマス 崔 文洙

2019年4月19日 すみだトリフォニーホール