今にして思えば1988年という年は、JR各社競って蒸気機関車が復活を遂げた年だった。民営化されて1年、世の中の景気も手伝ってか随分勢いがあったと感じる。東日本では、D51 498号機が北海道のC62に遅れること半年、クリスマス間もない12月23日に営業列車に復活したと記憶している。忘れもしない、オリエント急行の日本最終行程の列車を、上野からけん引したのであった。それも次位にEF5861号機を伴い重連運転で大宮まで走り抜けたのである。
アントンKも平日にも関わらず、時間を合わせて線路端に出たが、何処もかしこも人、人、人で溢れ返り、まともに撮影は出来なかった思い出が蘇る。こうしてD51 498は、現在に至るまで大事に整備され、我々鉄道ファンの熱い視線を受け続けているのである。鉄道文化の一端を担うこの蒸気機関車の運転は、たとえファンならずとも大いに意味のある事業であると思うが、それは鉄道事業が順調であるが故の話で、今回のような感染症による減収が続いた場合、今までのようにはならなくなるのではないか、と要らぬことを考えてしまう。何せ蒸機は、経費が莫大に必要になると聞いているからなお更なのだ。古い電気機関車が引退し、そして次は蒸機まで尻つぼみでは、あまりにも寂しく思うのである。おそらくアントンKの杞憂にすぎないが、長年愛した数々の車両たちが目の前から消えていくのは、家族を失うのと同じくらい寂しいものだ。
ここでの掲載写真は、初営業運転から数か月、ダイヤ改正号として走った時の画像。高崎まではEF551とEF5889の重連運転、高崎から水上までの北側でD51 498のお出ましとなった。
1989-03-11 9725ㇾ D51 498 ダイヤ改正号 JR東日本/上越線:敷島付近
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