青梅線と言えば、アントンKにとってはED16型がまず思い浮かぶが、国鉄時代の83年、ついにED16が引退してしまうと、EF15が青梅線進出を果たし、後のEF64、そしてEF64 1000へと継承されていく。貨物列車の本数自体も、調べた訳ではないが年々減少していったはずだ。ED16の時代のような1時間に何本も貨物列車が後年に行き交うことは記憶していない。
時代背景こそ激変しているが、機関車の新陳代謝がいつの時代も行われていることがわかる。アントンKにとって印象深いのは、やはりブルートレインけん引機であったEF65P型がEF65PF型に道を譲り、貨物列車を黙々と牽き出した1978年頃まで遡ってしまうが、これと同じようにEF15にしても本線からローカル線へ転身していったのだ。ローカル線の貨物列車そのものが、時代とともに減少、廃止され、行き場を失った機関車をどれだけ見てきたことか。技術的な進歩は多分にあるとしても、現代の40年50年選手の機関車たちは、実に幸せなカマに思えてしまうのだ。
さて、今回はまた国鉄時代のモノクロ写真の中から、EF15の青梅線時代を掲載。散々ED16で通った青梅線に、EF15が所狭しと言わんばかりに闊歩していたことを思い出す。当然線路強化などが進み、結果としてEF15入線を可能にしたはずだが、アントンKには、どこか腑に落ちない感覚が当時あった。同じことを磐越西線(ED77→ED75)、飯田線(ED62→EF58)などで感じたものだが、あの頃から、効率優先何でもアリの時代へとシフトしていったのだろう。ED16時代から続くホキの専用列車を牽くEF15は、本線で見せていた顔とは違う、新たな魅力的な側面を我々に示してくれていたのである。
1983-10-23 5184 EF15 170 青梅線:東川井信号所