学生の頃美術は好きな方だったけれど、風景画や静物画など専ら写生は得意だったものの「○○」をテーマにしたポスターを作成しなさいとか、無の状態からオリジナルな作品を作るというのが超苦手だった。何も思い浮かばない。これは大人になった今でもそう。手芸にしても料理にしてもアレンジは出来るけど、全くのオリジナルを生み出すというのは本当に苦手。逆に友人の中には何の苦も無くアイデアを次々出して、無から有を生み出すのが得意な人もいる。これが創造力の差なのだと思う。そしてそういうクリエイティヴな人を私はとても尊敬してしまう。たとえオマージュであろうと複製を作るのはわりと容易なことだと思う。特にこのネットが発達した世の中ではなおさら。何の苦も無く素材が手に入ると思うし。
さて東京オリンピックのエンブレム問題であります。
当初このエンブレムが発表になったときは、ふーんいつの間にか決まってたんだ…というちょっと拍子抜けな感じと、正直あんまり素敵なデザインとは思えずなんだかなあという感想を持ったものです。Jリーグっぽいというかどこかで見たような既視感が強かった。平凡な無難なものに落ち着いたんだなあと。ベルギーの劇場から似ているとの苦情のニュースも、似てるっちゃ似てるけど、アルファベットを組み合わせたらまあ似るよなあ的な感じで、そもそも「T」をモチーフにすればバリエーションそんなに無いし…と深く考えなかったのですが、その後、佐野氏のデザインを検証したネット民の情熱が凄かったですね。ニュース記事でも見たのですが、不透明な選考方法に新国立競技場の二の舞か?という不穏なものを感じたのでしょう。ネットの人たちの揚げ足取りというのは時に凄い威力を発揮する。誤った変な方向に流れていくこともしばしばありますが、STAP細胞の騒動の時なんかでもそうでしたが、不正の匂いを嗅ぎ取ってネットからその証拠を探し出すパワーには畏れ入りました。そうしたらもう出るわ出るわ過去の作品の多くに元ネタがあり、どうやら承諾も得ず拝借してオリジナル作品として世に出しているらしいという画像がいっぱい。これらの記事を見た限りではもう言い逃れの余地はないと思われます。模倣。パクリ。著作権侵害の概念が低いと言われる、中国や韓国のことを哂えない状況になってまいりました。
広告業界の第一線で活躍し、名も名誉もある方なので全く才能が無いわけではないのでしょう。でも過去の作品を見るにつけ、そのあからさまなパクリぶりにはクリエイターには最も必要であるはずのセンスが感じられない。これでこれまで通用してきたのですから、この業界も推して知るべしというか腐っているのでしょう。これまで何の興味もなかったデザイン業界の暗部まで知ることとなり、勉強になりました。
この問題はこれで収束したわけではなく相当尾を引くことと思われます。競技場問題と併せて国の威信を懸けた国家プロジェクトに対する不信はピークに達しました。税金を湯水のように使ってのこの体たらくですもん。そして関係者が誰も責任をとろうとしない泥仕合。うーん様式美のようですね。
数々の国際的な大会を開催してきた実績のある日本が、今回どうしてこんなにグダグダなのでしょうか。私はなんとなく日本人の劣化をそこはかとなく感じてしまいます。
昔気質の誇り高い日本人ならば、関係者は不測の事態を招いた責任を自ら取ろうとするはず。
そしてかりにもクリエイターと名乗るならば、他人の作品を模倣するなどというのは最も恥ずべき行為のはず。そしてそれをシレっとこの世界が注目する舞台でやってしまうゆるい感性。信じられません。
そしてそして、最近のニュースで本当によく見られることですが、ゴーストライターでもSTAP細胞でも国会議員の問題でも何でもそうですが、素直に非を認め謝るということが何故できないのかということ。責任逃れのためにウソの上塗りをして言い訳ばかり。余計に墓穴を掘り問題を拡大させ、取り返しがつかなくなるということに何故気づかないのかなあ。五輪に
関しては組織委員会にしてもJOCにしても頭の良い、それなりな肩書の、プロジェクト遂行のノウハウを持ったプロばかりが集まっているはずでは…違うのかな??
この東京オリンピックにまつわる一連のお粗末なゴタゴタは今の衰退した日本を体現しているようで、なんとも暗澹たる気持ちになりますわ。
さて東京オリンピックのエンブレム問題であります。
当初このエンブレムが発表になったときは、ふーんいつの間にか決まってたんだ…というちょっと拍子抜けな感じと、正直あんまり素敵なデザインとは思えずなんだかなあという感想を持ったものです。Jリーグっぽいというかどこかで見たような既視感が強かった。平凡な無難なものに落ち着いたんだなあと。ベルギーの劇場から似ているとの苦情のニュースも、似てるっちゃ似てるけど、アルファベットを組み合わせたらまあ似るよなあ的な感じで、そもそも「T」をモチーフにすればバリエーションそんなに無いし…と深く考えなかったのですが、その後、佐野氏のデザインを検証したネット民の情熱が凄かったですね。ニュース記事でも見たのですが、不透明な選考方法に新国立競技場の二の舞か?という不穏なものを感じたのでしょう。ネットの人たちの揚げ足取りというのは時に凄い威力を発揮する。誤った変な方向に流れていくこともしばしばありますが、STAP細胞の騒動の時なんかでもそうでしたが、不正の匂いを嗅ぎ取ってネットからその証拠を探し出すパワーには畏れ入りました。そうしたらもう出るわ出るわ過去の作品の多くに元ネタがあり、どうやら承諾も得ず拝借してオリジナル作品として世に出しているらしいという画像がいっぱい。これらの記事を見た限りではもう言い逃れの余地はないと思われます。模倣。パクリ。著作権侵害の概念が低いと言われる、中国や韓国のことを哂えない状況になってまいりました。
広告業界の第一線で活躍し、名も名誉もある方なので全く才能が無いわけではないのでしょう。でも過去の作品を見るにつけ、そのあからさまなパクリぶりにはクリエイターには最も必要であるはずのセンスが感じられない。これでこれまで通用してきたのですから、この業界も推して知るべしというか腐っているのでしょう。これまで何の興味もなかったデザイン業界の暗部まで知ることとなり、勉強になりました。
この問題はこれで収束したわけではなく相当尾を引くことと思われます。競技場問題と併せて国の威信を懸けた国家プロジェクトに対する不信はピークに達しました。税金を湯水のように使ってのこの体たらくですもん。そして関係者が誰も責任をとろうとしない泥仕合。うーん様式美のようですね。
数々の国際的な大会を開催してきた実績のある日本が、今回どうしてこんなにグダグダなのでしょうか。私はなんとなく日本人の劣化をそこはかとなく感じてしまいます。
昔気質の誇り高い日本人ならば、関係者は不測の事態を招いた責任を自ら取ろうとするはず。
そしてかりにもクリエイターと名乗るならば、他人の作品を模倣するなどというのは最も恥ずべき行為のはず。そしてそれをシレっとこの世界が注目する舞台でやってしまうゆるい感性。信じられません。
そしてそして、最近のニュースで本当によく見られることですが、ゴーストライターでもSTAP細胞でも国会議員の問題でも何でもそうですが、素直に非を認め謝るということが何故できないのかということ。責任逃れのためにウソの上塗りをして言い訳ばかり。余計に墓穴を掘り問題を拡大させ、取り返しがつかなくなるということに何故気づかないのかなあ。五輪に
関しては組織委員会にしてもJOCにしても頭の良い、それなりな肩書の、プロジェクト遂行のノウハウを持ったプロばかりが集まっているはずでは…違うのかな??
この東京オリンピックにまつわる一連のお粗末なゴタゴタは今の衰退した日本を体現しているようで、なんとも暗澹たる気持ちになりますわ。