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目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

地元カニ山へピクニック

2020-05-09 | まち歩き

標高 約50m 東京都

2020年4月25日(土)晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム ちょっこら

コロナ渦から在宅勤務となり、最初は神社参拝や野川散歩に精を出していたが、どうも人が多い。多すぎだ。三密を避けられて、もっと快適なところはないかとGoogleマップを目を皿のようにしてみる日々が続いた。

その結果、発見したのが、ここカニ山。山があるのかと最初は驚きだったが、通称(?)であって地図にカニ山と出ているわけではない。頂きは調布市営のカニ山キャンプ場となっていて、主に学校行事の野外学習用に使われているようだ。カニ山の下には野草園もある。野草園にはだいぶ前ホタルを見に来たことがあるなと思い出した。


カニ山の森。直登コースの入口にはお地蔵様がいて見守ってくれる(写真の真ん中あたり&冒頭写真)

佐須街道を渡り、深大寺自然広場へ入っていく。このあたりがちょうど国分寺崖線(がいせん)に当たる。10万年くらい前に古多摩川の流れがこの辺りを削って崖(段差)をつくったよし。多摩川がここをねと遠い目をする私。ちなみに国土地理院の地図でここから多摩川まで南北直線距離を測ってみると3Kmくらいだった。

さて細い車道を上がっていくと、左手に野草園が、右手にはカニ山への登山道が出てくる。山の神と道標のあるところから上がった。

木漏れ日の遊歩道はなかなかいい。突き当りにちょっとした広場があって子どもたちが駆け回っている。その横の階段をぐんぐん上がって5分ほでカニ山キャンプ場に到着した。

デイキャンパーが2人いて、テント内でくつろいでいた。ほかにもジモティが家族連れでやってきていた。近所のコンビニで昼食となるようなビールとつまみを買ってきた山の神と私は、ここでレジャーシートを広げた。

なぜカニ山というのだろうと、検索して調べてみると調布市の広報動画にその答えがあった。この界隈に小川が流れていて、サワガニが多く生息しており、以前はこの山で普通に見られたことから、カニ山という名前で呼ばれるようになったとのこと。いまでは一切その姿を見かけることはないが。

カニ山で山の神とぐびぐびやっていると、意外にお散歩者が多いことに気づいた。入れ替わり立ち替わりご夫婦や家族連れがやってくる。しかもわれわれが来た道だけはなく、別の方向からもやってくる。たいへんな人気ぶりだ。ただ少し残念なのは、森林が鬱蒼としすぎていて、うす暗いことか。

でも、また来てもいいなとトルティーヤにかぶりつきながら、山の神に話した。

 

 
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千年の藤、国領神社

2020-05-01 | まち歩き

2020年4月24日(金)&4月30日(木)晴れ 

メンバー 山の神と私

昨今のコロナ渦で在宅勤務が続き、運動不足解消のために朝晩は山の神とのお散歩つづき。自宅から車を使わずに行けるところをFacebookの情報や、Google Mapで探し行き先を決めている。せっかくだから寺社仏閣に立ち寄って、コロナ渦を鎮めてくれないかお願いもしている。

ここのところ2回訪れているのが国領神社だ。Facebookで偶然藤の開花が紹介されているのを見て、その存在を思い出した。ちょうど今が藤の花まっさかりなのだ。藤といえば、なんといっても有名なのは足利フラワーパークだけれども、調布にも神代植物園とここ国領神社にミニ版がある。


甲州街道の歩道橋の上から

1回目、4月24日はたしかに藤は咲いてはいたものの、まだボリューム不足で寂しい感じだった。その分来訪者も少なく、われわが帰る頃に1組程度だったと思う。2回目は、4月30日で掲載した写真はそのときものものだ。だいぶ花の付き方がゴージャスになり、葉もあおあおと茂っていた。われわれ以外にも2,3組が訪れて花を愛でていた。


歩道橋から藤の花にズームイン


国領神社の拝殿

隣の社殿では本来御朱印を頒布しているのだが、いまは新型コロナ感染拡大対応でHPからファイルのダウンロードのみ(下)。なんと流行にのってアマビエが入っている。私が調べたところでは、アマビエは五穀豊穣と疫病の予言をするだけで、疫病を鎮めてはくれないようだ。それでもアマビエを用いるというのは、信ずるものは救われるというやつだろうか。祈り続ければ鎮めてくれるのかもね。

最後に藤の花の名所で、人が集まり3密が生じることを懸念して、花を摘んでしまったと報じているニュースをみた。まさか国領神社でそんなことは起きないとは思うが、念のために一言いっておきたい。境内に人が多い時には、無理に入らず時間をずらして訪問してください。花が摘まれてしまってはがっかりです。

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秘湯五色温泉で全国行脚の老夫妻に会う

2020-04-13 | まち歩き

2008年9月19日(金)厳美渓(げんびけい)から山形県米沢市の秘湯五色温泉に移動した。一関ICから東北道にあがり、福島飯坂ICで下りる。いまは東北中央自動車道という便利な道があるからあっという間、、、と思ったら、近くにICがないので、いまも福島飯坂で下りて行くほかないようだ。

五色温泉は一軒宿宗川(そうかわ)旅館があるのみだ。くねくねとした県道154号を駆け上がっていくと、どんづまりにこの宿はある。広い駐車場に車を置いて、チェックインした。設備は古く、他の泊り客の声が響くこと響くこと。


客室より一段高いところにある露天風呂棟

まずは宿いち押しの露天風呂だと、山の神と別棟(上の写真)へと向かった。浴室から眼下の景色がすばらしいが、湯船に浸かると景色は半分になる。内湯は昔混浴だった名残で浴室への入り口が2つあった痕跡があり、片方をふさいで壁にしている。さらには洞窟風呂もあって楽しめる。洞窟の奥から湯が沸いているようで、奥にいくほど温度は高い。

ひと風呂浴びたあとは、お待ちかねの夕食だ。地元の高級牛、米沢牛のすき焼きと牛サシにうまいうまいと舌鼓を打つ。しかしじつは、この宿で最も印象に残ったのは、温泉でも、米沢牛でもなく、泊り客だった。

夕食時、隣のテーブルにいた老夫婦が山の神と私に話しかけてきた。帯広の自宅を8/25頃に出発したのだという80代の老夫婦だった。毎年8月の終わりに北海道の自宅を出発し日本列島を南下し九州へ、11月には反転北上して北海道に戻る旅をしているのだという。普段は移動に使っている大きなワゴン車内で持参のふとんを敷いて寝ているというのだが、毎日それだとつまらないので、5日おきくらいに温泉宿に泊まることにしているのだと。

それを20数年続けているというから、すごい。しかも立ち寄る街ごとに親しくなった人がいて、ほぼ全国を網羅しているというから驚きだった。現役時代からすでにこうした旅を始めていて、仕事から引退し自由時間を存分に使えるようになって、完全にはまったのだと打ち明ける。おじいちゃんは、もう楽しくて仕方ない様子で、とめどなく湧いてくる旅のエピソードを話し続け、こちらも興味深く拝聴した。行き当たりばったりの全国縦断の旅、さぞかし楽しいことだろう。

酸ヶ湯で会った山旅の夫婦といい、全国を経めぐるつわものたちは増えているようだ。山の神と私も引退したら、一遍はこんな山旅をしてみたいものだ。


芭蕉ゆかりの中尊寺金色堂へ戻る
人気の奥入瀬渓谷へへ戻る

紅葉には少し早かった八甲田山へ戻る
楽チンコースで岩木山へ戻る
まさかの、、、暗門の滝トレッキングへ戻る
白神岳マテ山コースへ戻る

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芭蕉ゆかりの中尊寺金色堂

2020-04-12 | まち歩き

平泉 標高約30m

2008年9月19日(金)晴れ 

平泉といえば、中尊寺。その境内には松尾芭蕉の像が建てられている。この地で詠んだあの有名な俳句を記念するものだ。

夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

北上川のほとりには、この句碑が建てられていて、それを見に行くのも一興だ。結果的には句碑は見に行かなかったけれど、中尊寺を訪れるのは非常に楽しみにしていた。いまや世界遺産に登録もされたしね。


左:国民宿舎サンホテル衣川荘 右:衣川城(懐徳館)

前泊は、奥州市国民宿舎サンホテル衣川荘。スタンダードプラン1泊2食つきが当時で7,500円(税別)だったが、いま調べてみると12年前と変わらず同じ金額になっている。さすがは国民に寄り添う国民宿舎だ。

国民宿舎のお隣に衣川城(懐徳館)があって、チェックイン後洗濯物をコインランドリーに放り込んで、山の神と歩いて行ってみた。当時すでに建物の安全性に問題があって立入禁止になっていた。廃屋チックになっていたが、いまもそのまま放置されているのだろうか。


左:中尊寺参道へ 右:弁慶堂

朝風呂に入って朝食をとり、8:20衣川荘をチェックアウト。フロントにはやたらと元気で笑いを誘うコミカルな動きをする名物おじさんがいた。前日に前沢牛のおみやげを買ったときに対応してくれた人で印象に残っていた。朝風呂の帰りにすれ違うと、はつらつとした声でおはようございますっ!と挨拶。そのおじさん、衣川荘ではこの後敬老会が催されるのだと説明してくれた。たしかに紅白の幔幕が張られ、金婚、米寿、白寿と書かれた紙が貼られた受付の机が出されていた。ちょっと解説すると、金婚は結婚50年、25歳で結婚したとすると、75歳くらいの方々か。米寿は米の字が表すように八十八歳、白寿は百から上の一本棒をとった、つまり百マイナス1で99歳だ。こんな催しを大々的にやる街なのだから、きっと老人が多いのだろうと負のイメージをもちつつも、逆にお祝いできるくらい元気なのだから、それはそれで活気があっていいことだとも思えた。

ところでお目当ての中尊寺は、国民宿舎からほど近くにある。駐車場に車を置いて(当時で駐車料400円)、山の神と参道に向かう。参道の入口付近は月見坂と名付けられ、ゆるやかな上りとなる。まず江戸時代に建てられた弁慶堂が出てくる。地蔵菩薩と義経、弁慶の木造が安置されている。そこからいくつもお堂が出てきた後、宝物館に至る。ここで拝観料800円(当時)を支払う。


金色堂入口。中は撮影禁止

そしてハイライトの金色堂だ。私は奥州藤原氏の全盛時代に中尊寺が開山され、金色堂もその時なのかと思っていたが、意外なことにそうでなはく、慈覚大師円仁が850年に開山していて、金色堂は藤原清衡によって1124年に建てられている。

金色堂はいま、上の写真の現代的な建築物の中に収まっている。実物を前にすると、こぢんまりしているなと小ささにまずがっかりしてしまうのだが、よく見ると、いたるところに漆が使われ、精巧な螺鈿や象牙、宝石の細工が施されていて、その細密さに驚かされる。また金箔の多さとその輝き、金色の仏像に目を見張ることになる。

 杉並木の参道

金色堂を出るころ、平日ではあったが、徐々に団体客が押し寄せ始め居心地が悪くなってきた。山の神とそれを避けるように、中尊寺の最奥、かんざん亭まで足を延ばした。ラッキーなことにNHKの平泉のビデオが流れていて、それを眺めながら山の神と一息つき、その後再び月見坂に戻った。

土産物屋を少し覗いた後、次に毛越寺(もうつうじ)へ移動した。


2点とも:毛越寺、右は遣水

毛越寺の駐車場で残念ながら、また駐車料(300円)をとられ、さらには拝観料500円をとられる。でも毛越寺の庭園はいい。これを見るだけで元がとれるともいえる。松の巨木や遣水(やりみず)、庭の木々がうまく配されていて、とても心が落ち着く場所だ。ただ池は露骨に人工的で鼻白むのだが。


左:毛越寺の石仏 右:岩面大佛

庭を愛でた後、山門付近で茶をよばれ小休止。昼どきには、せっかく岩手にいるのだから盛岡冷麺が食べたいねと山の神が言い出して、韓国料理の店ソウル〇〇に入店する。具が少ないなと不平をこぼしながらも、まあまあ納得の味だった。

そして昼食後はまだ時間があるからと、達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)へ移動することになった。


パワースポット達谷窟毘沙門堂

達谷窟毘沙門堂は岩に建物が食い込むように建てられていて、なぜここにという驚きの建築物だ。境内には、上の写真、磨崖仏の岩面大佛もあって見どころは多い。岩面大佛は残念ながら江戸時代の地震で崩れてしまい、いまはお顔だけを拝することができる。


厳美渓

本日のお宿にチェックインするまでにまだ時間があるので、最後に渓谷美で有名な一関の厳美渓(げんびけい)に行くことにした。ここの名物はこの優美な景色とともに食するかっこうだんごだ。対岸につながるロープに括りつけられたかごにお金を入れて、木槌で合図を送ると、対岸のお店でだんごとお茶を用意してかごに入れて送り返してくれる。テレビで見たようなシーンが、実際に目の前で繰り広げられていた。

エピローグ~秘湯五色温泉で全国行脚の老夫婦に会うへつづく
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山の神、南部鉄器を買う

2020-04-11 | まち歩き

2008年9月18日(木)十和田湖から盛岡市内に移動した。山の神からのリクエストで南部鉄器の岩鋳(いわちゅう)を訪れる。まずは昼時になっていたこともあり、併設の大きな食堂でサンマフライ定食を食べる。普通なら塩焼きなんだろうけど、内陸部の盛岡だからこそのフライなのか。なかなかの美味だった。

さっそく店内に入ると、展示品は多く品ぞろえがすごい。見慣れない道具が置かれた工房も見られて興味は高まる。さっそく山の神がずしりと重い鉄瓶をひとつ購入した、、、とずっと思っていたのだが、じつは上の写真の鉄瓶はもっとずっと前に購入し我が家で使われていたものだった。山の神に確認してみると、岩鋳で購入したのはフライパンと鉄急須だった。フライパンは目玉焼き用にいまも活躍中だが、なんと鉄急須は引退。現在使用中のものは、青山でデザインがいいとゲットした2代目になっている。そうなのか、残念!岩鋳。

ここで少し、南部鉄器の良さを宣伝させてもらおう。南部鉄器がすぐれているのは、お湯を沸かしたり、料理を作ったりすると鉄分をもれなく添加してくれることだ。リンゴを食べなくとも、サプリメントをわざわざ買ってこなくとも済む。しかも体によく吸収されるという二価鉄(にかてつ)が溶け出すというからさらにいい。

そもそも鉄分が不足するとどうなるかというと、新百合ヶ丘病院のサイトによれば、以下のような不具合が生じるそうだ。

① 骨・皮膚・粘膜の障害(あざ、コラーゲン低下による骨・肌異常、爪・毛髪・舌異常)
② 知能・情動への影響(不眠・集中力低下・学習障害・うつ・パニック障害)
③ ホルモンへの影響(甲状腺ホルモンの成熟障害、不妊症)
④ 白血球・免疫への影響(抵抗力の減少)
⑤ 消化系に及ぼす影響(嚥下障害、食欲不振、下痢、便秘、氷を好んで食べる)
⑥ いわゆる不定愁訴:頭痛、イライラ、耳鳴り、肩こり、寝坊癖、疲労、むずむず脚など

そしてよくいわれるのは、貧血で血のめぐりが悪くなる。南部鉄器を使えば、そんな不具合は解消できるのだ。

最近は海外で人気のカラフルな南部鉄器もあるから、キッチンのアクセントとして、インテリアの一員にもふさわしい。一家に一台、南部鉄器をどうぞ。

なにか南部鉄器の宣伝マンのようになってしまった。

脱線してしまったが、次回は本当に「芭蕉ゆかりの中尊寺金色堂」へとつづく

 
 
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