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目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

京都の穴場と立体曼荼羅の東寺

2019-11-17 | まち歩き

2019年10月7日(月) 晴れ  ※冒頭写真は前日の比叡山にて

京都3日目は北野界隈、北野天満宮上七軒千本釈迦堂、そして南へ移動して東寺を訪ねた。上七軒、千本釈迦堂は私が行きたかったところで、東寺は山の神のリクエストだった。

まず最初に北野天満宮を訪れた。とくに行きたい場所ではなかったが、上七軒と千本釈迦堂に行くなら、近所だけに行ってみるかとなった。今年は令和改元で、大宰府天満宮と深いゆかりがあるというから行くだけの価値はあった。

北野天満宮は、言わずと知れた菅原道真を祀った神社だ。中央から左遷されて太宰府勤めとなった道真は、彼の地で不遇をかこったまま没した。直後から都では凶事が続き、道真の怨霊のしわざであるとのうわさが立った。そこで鎮魂の目的で建てられたのが北野天満宮というわけだ。

 
左:北野天満宮三光門 右:大宰府から飛んできたという謂れのある飛梅

朝いちの平日でまばらな観光客のなかを山の神と参拝する。境内にはさだまさしの歌でも有名になった「飛梅」があった。道真の魂とともに大宰府から飛んできたという謂れをもつ。

 
左:上七軒 右:千本釈迦堂入口

そのうち観光バスが現れ、観光客は倍増。早々にわれわれは退去し、上七軒の通りに出た。お店はこれから開店というところが多く閑散としていたが、明日から始まる寿会(歌舞会)用のちょうちんを軒に下げるなど準備をしている花街の人たちがちらほらといた。整然とした通りは花街らしい趣があってなかなかのもの。春の北野をどり開催時に再訪してもいいなと思いながら、山の神とそぞろ歩いた。

千本釈迦堂(大報恩寺)の入口にあった喫茶店のコーヒーでほっと一息をつき、お目当ての釈迦堂へ移動した。訪れる人が少く静かな佇まいはいい。まずは宝物殿で重要文化財に指定されている快慶の十大弟子像や定慶の六観音像などを見学する。度肝を抜くのは、鼉太鼓縁。言葉にすれば、たんなる太鼓の縁なのだが、とにかく見上げるばかりの巨大さで、一対になっているそれは、それぞれ龍、鳳凰で装飾されている。いったいどんな儀式にこれを使ったのだろうと想像するだけでも楽しい。

この寺は、おかめさん縁(ゆかり)の地でもあり、おかめ塚がある。そのため国宝の本堂にはおかめさんの置物が多く奉納されていた。

 
左:東寺講堂 右:東寺金堂

次に北野の地から南に大移動し、東寺(教王護国寺)を目指した。東寺といえば空海が曼荼羅の立体化を実現させたところだ。巨大な仏像群が講堂や金堂に整然と置かれ、厳粛な雰囲気をかもし出している。博物館で見るアートとしての仏像ではなく、宗教としての、信仰の対象としての仏像だ。外界の光が遮断された堂内で威厳に満ちたお姿を拝するだけで心が落ち着いてくる。


東寺五重塔

立入禁止で、倒壊しそうなのかと思わせるような危うい五重塔を見上げたのち、 境内はずれの宝物館、そして剣豪宮本武蔵が身を寄せていたという観智院にも足を運んだ。宮本武蔵筆の「鷲の図」と「竹林の図」は一見の価値がある。武蔵の心の内を覗けたような気がした。

昼食はだいぶ遅くなったが、東寺から少し下がった九条の洋風創作料理ル・ブランで濃厚ソースのおいしいパスタをいただいた。この店に高島礼子さんが訪れたようで、マスターの話はそればかりで止まらなくなった。もう100回くらいはしゃべったのだろう。奥さんはその話は飽きたとばかりに奥に引っ込んでしまった。行く機会があれば、店内に飾ってある高島さんの写真を見て、「女優が来たんですね」とマスターに話しかけてみると、例外なくその話を聞けるはずだ。

腹を満たしたのち、京都駅に出て山の神とおみやげを物色。生麩饅頭やら、千枚漬けやら、くず餅やら、お茶やら、しこたま買いこんで新幹線に乗り込んだのだった。

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比叡山を歩く

2019-11-04 | まち歩き

2019年10月6日(日) 晴れ

山の神念願の比叡山へ。来年のNHK大河ドラマは明智光秀が主人公ということもあり、光秀の本拠地だった滋賀県坂本から行ってみることにした。まずは京都駅に出て、そこからJR湖西線に乗り換える。でっかい琵琶湖が見えてくると、何度も見ているけれども思わず歓声が出る。

比叡山坂本駅で下車し、バスに乗り換える。ほとんどの乗客はハイキングのようで、そのまま駅から歩いて出発していったが、山の神と私は明智光秀一族の墓がある西教寺に向かうためバス停を探した。乗り場で待っていたのはたった1人だった。それでも10分ほど待つうちに何人かがやって来た。

 
左:西教寺総門 右:総門から本堂への道

バス停を降りると、もう目の前に大河ドラマの大きな幟が掲げられた西教寺総門だった。門をくぐると、そこからまっすぐ参道が伸びている。

 
左:西教寺本堂 右:明智光秀一族の墓

左のほうに折れて立派な石垣横の階段を上っていくと、本堂に出る。お坊さんのろうろうとした読経が境内に響いている。本堂にお参りし、寺の中を経巡り、小堀遠州の庭園を観賞したのち、明智光秀一族の墓に詣でた。そのお隣の二十五菩薩像、一体一体のご尊顔を拝する(写真左下)。

山の神とお堂の中で休憩をとっていると、まばらだった観光客も徐々に増え、やがて法事の人たちが境内に車で乗りつけてきて、にぎやかになってくる。そろそろ行くかと腰を上げた。

 
左:聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像 右:山の辺の道にあった千体仏地蔵

あらかじめWebの坂本の観光ページで調べておいた琵琶湖版山の辺の道を目指す。寺を出て右手へ進み、途中からさらに右手(山側)へ折れるとおそらくそこからが山の辺の道なのだろう。すぐに次のお目当てである、千体仏地蔵が現れた。

この道で出会うのは地元の農家の人たちばかりで、なかには犬の散歩中の人もいた。観光客をまったく見かけない、静かな山里の道といった趣で、やがて開けたところに出ると琵琶湖ビューも楽しめた。


ケーブル延暦寺駅から琵琶湖を望む

山の辺の道はあっけなく終わり、薄暗い日吉大社の境内に入る。そこをすり抜けて再び車道に出、ケーブルの坂本駅に到着した。観光客で満員のケーブルカーに乗って、お待ちかねの延暦寺東塔に上がる。


根本中堂は修復中

山の神とともに本日のメインイベント、根本中堂に足を踏み入れる。根本中堂はいま大規模修復の真っ只中で、巨大な覆いがかかっているが、中には入れる。工事現場然とした入口を越えると、先日のブラタモリでとりあげたとおりのほの暗い世界が広がった。伝教大師最澄の平等の思想を体現したといわれる、参拝者の目の高さに合わせた本尊の薬師如来が安置されている。そこへ絶えることなく堂内を照らし続ける不滅の法灯が淡い光を放っている。観光客だらけで荘厳な雰囲気は損なわれていたが、創建以来1200年間変わらぬたたずまいなのだろう。

堂内の見学者用階段を上がっていくと修復中の屋根をみることができる。普段はこんな間近で見ることはかなわないだけに貴重な機会だ(左下写真)。

 
左:根本中堂の屋根の修復状況を見られる 右:文殊楼

根本中堂から文殊楼に移動する。文殊といえば智恵。靴を脱いで楼閣の2階に上がってみれば、受験生と思しき若者で大賑わいだった。

そこから国宝殿へ移動する。山の神とせっかくだからと国宝殿にも入館できるチケットを購入していたのだ。薬師如来坐像など国宝級の仏像群を見て、心を洗われる。

 
左:比叡山西塔(さいとう)、常行堂(常行三昧堂) 右:法華堂

その後バスセンターに出て、そばの昼食。選択肢は事実上ない。直後バスで横川(よかわ)に移動しようとしたが、なんとバスは乗り放題の1000円のチケットがあるのみというではないか。しかも本数が非常に少ない。片道だけ使おうと思っていたのだが、山の神が1000円払うことに反対した。高いし、仮に戻ってくるにしてもバスの時間に参拝時間を合わせなくてはいけない。加えてもう疲れてきているし、、、西塔までにしておくか。横川はまたの機会だとして、西塔に向けて歩き始めた。途中チケットのチェックをしている寺の方がいて、ここから横川まで歩くとどのくらいですか?と尋ねると1時間半くらいとの答え。山の神に西塔までといいつつも、やはり横川まで行けるならと思っていたが、これで踏ん切りがついた。

西塔までも歩く人は多いようでいて、そうでもないようだった。途中広くて長い石段を延々下ったが、そこを歩いていたのは、われわれと年配のおじさんだけだった。

西塔エリアに入ってまず目を引くのは、にない堂だ。寝ずの行をする常行堂、そして法華経を四六時中唱える法華堂。この二行は表裏の関係で、どちらも修行中の身であれば欠くことはできない。この2つのお堂はそれを象徴するように往来ができるように回廊で結ばれている。

 
左:西塔の釈迦堂(転法輪堂) 右:ケーブルカーで京都市内へ

にない堂から下っていくと、広い平地に出る。そこに最澄作の釈迦如来が祀られている大きな釈迦堂が建っている。ちなみに叡山最古の建物ということだ。

山の神とここからピストンで戻り、山王院から京都側へ下るケーブルの駅へ向こうことにした。延々下ったあの坂を思い出し、ちょっとクラクラする。それでも歩き始めると、なんてことはなく、ロープウェイの駅には向かわず山道を進み、ケーブルの比叡駅に14:30頃到着した。大勢の観光客と八瀬に下り、叡山電車。出町柳で京阪に乗り換え、市中に戻った。

 
左:ディナーは町屋レストラン燻(けむり)へ 右:泡ものはカヴァ、そして燻製料理の数々

晩は滞在しているスマイルホテル京都四条から至近距離の町屋レストラン燻(けむり)に繰り出した。席がないのが心配だったので、前日に予約を入れておいた。料理は店名どおりで、燻されたものが供される。飲み物は、山の神がcava(カヴァ)があるというので、久々に泡モノをオーダー。シュワシュワのスパークリングワインで乾杯し、今日は疲れたなあと昼間の叡山行脚の話で盛り上がった。

千本釈迦堂・上七軒・東寺へ続く

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初秋の京都~嵐山へ

2019-10-19 | まち歩き

2019年10月5日(土) 晴れ

出張に行く予定があり、チケットショップで京都の回数券を2枚買っていたのだが、取りやめになってしまった。なんとその回数券は11月上旬までしか使えない。転売するよりは、2枚買い足して観光に行こうかと山の神に提案すると大賛成。2年ぶりの京都観光とあいなった。

今回は山の神のたっての願いを聞き入れて、比叡山と嵐山。あとは漠然とした候補はあったが、行き当たりばったりで3日目の予定をとくには決めずに出発した。比叡山は行程が長いので、2日目とし、まずは嵐山に足を向けた。


大河内山荘の抹茶と菓子(最中)

7:47東京発ののぞみに乗り込み、まずは朝食。駅構内の弁当屋で買った包みを開ける。私はサンドイッチで軽く済ませるも、山の神はごはんがぎっしりつまった弁当を突ついていた。朝から食欲旺盛だ。

10:05京都駅に到着し、今晩泊まる宿へ向かう。チェックイン前でも、チェックアウト後でも荷物を無料で預かってくれるホテルなのだ。地下鉄で四条に出て、そこから徒歩で5,6分くらいにその宿、スマイルホテル京都四条はある。

身軽になって、ふらふらと山の神と四条大宮まで歩く。そこから京福電車に揺られて嵐山へ。

とりあえず渡月橋は渡っておかなければと観光客の波にのまれながら、散策開始。紅葉の季節になったら、半端じゃない人が押し寄せるのだろうけど、この日はそれほどでもなかった。渡月橋から彩りなしの緑の山を眺めて引き返し、今まで高すぎるとスルーしつづけてきた大河内山荘に向かった。

竹林の情緒ある(人が少なければもっといいのだが)小路を歩き、抹茶つきの入園料1000円を支払って山荘の建つ小倉山に入る。さっそく山の神と茶屋に入り、抹茶とお菓子をいただいて(冒頭の写真2点)休憩した。とっても京都らしい場所だし、落ち着けていい。


庭園は手入れが行き届いている。緑のもみじと苔の絨毯がすばらしい


東屋ふうの展望台からは、比叡山(左のピーク)を遠望できる

山荘を出たあとは、秋の特別公開を行っている清涼寺に向かう。

途中トロッコの駅近くのO茶屋でうどんでも食べようと暖簾をくぐったのだが、大失敗の店だった。最初に出されたお茶を飲むと、変わった味がした。どくだみ茶と何かのブレンドなのか、ぎんなんのような香りもするなと私がいうと、山の神が怪訝な顔をして店員に聞いた。「このお茶はなんのお茶ですか?」 奥の厨房に声をかける店員。驚くなかれ、しれっと「麦茶ですよ」の回答。腐っとるわ、これ。後ろの客はよほどのどが渇いていたのか飲み干していたが、隣の客は、やはり一口飲んで、手をつけずにいた。その後腹を壊さなかったのは、不幸中の幸いか。

さて清涼寺(嵯峨釈迦堂)。このお寺は一般にあまり知られていないせいか、観光客が少なく居心地がよかった。特別公開していたのは、国宝の阿弥陀三尊像で、間近でご尊顔を拝すことができ、その迫力を十分に感じることができた。この仏像を見られただけで、来た甲斐があったというものだ。

いったん境内を出て、ちょっと休憩だなと、道すがら山の神があたりをつけていたAri Cafeに入る。今年オープンの新しいカフェで、マスターが気合を入れてコーヒーを供する。お客が自ら選んだカップで味わい深いコーヒーをいただけ、雰囲気のあるインテリアで落ち着ける店だ。


大覚寺大沢池

清涼寺の境内を横切り、次に大覚寺に向かった。私はほぼ30年ぶりくらいの再訪だ。大覚寺といえば、なんといっても大沢池。東映でアルバイトしていた頃にここにロケに来たことを思い出し、池の周囲をぐるりと歩いてみた。すると見覚えのある場所に出た。立入禁止と標示が出ていて、セットの家屋と撮影機材があった。ちょうど撮影が終わったところなのかと思って、近くにいたスタッフらしき人に声をかけると、これから撮影ですよという。日が暮れてきたら始まるのだろう。なつかしいなと思いながらも、当時のスタッフは、あの頃20代だった人以外はもう引退していると思い至ると、時の流れに少なからずショックを受けてしまった。

 祇園 天ぷら割烹 はせがわ

嵐山からホテルに戻って一息ついたのち、本日のメインイベントのお食事、豪華てんぷらのために祇園に繰り出した。河原町から四条大橋にかけての信じられないほどの観光客の波にもまれながら、5分ほど遅刻して祇園のはせがわに入店。先客2人がいるカウンターの席に山の神とともについた。

 
左:向付 右:穴子

真っ先に腕時計をはずしてくださいといわれ、なにか天ぷらに支障をきたすのかといぶかりながらはずしたのだが、なんのことはない、カウンターに傷がつくからという理由だった。

それはさておき、まず向付がカウンターに載せられ、山の神と私はその見栄えのよさから、この後の料理への期待が高まった。ビールでのどを潤しながら、天ぷらが始まるのを待つ。

やがて一口サイズの天ぷらがカラッと揚がり始めると、もう舌鼓の連打だ。レンコンのしゃきしゃき感に頬をゆるませ、京野菜の金時ニンジンの味わいに新鮮さを感じ、予想を上回るあま~いスイートコーンに驚き、あまりの肉厚シイタケに、食べたことな~いと口をついて出る。京都でいうグジ、東京でいうところの甘鯛のほっこり加減に感動。たれを塗った穴子にたっぷりのわさびをつけて食べる幸せ。このわさびは特製のようで、写真のように量が多いが、見た目ほどぴりぴりとしたわさび感はない。 

 
左:きのこの炊き込みごはん 右:デザートは番茶のシャーベットと焼きプリン

〆のごはんはきのこの炊き込みで、先ほどから目の前の黒い釜でずっと炊かれていた。演出たっぷりなのだ。最後は、さっぱりとした番茶のシャーベットと焼きプリン。甘いものと冷たいさわやかなデザートで大満足。京都の夜はこうして更けていったのだった。

比叡山につづく
京都の穴場と立体曼荼羅の東寺へとぶ

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岩手山への山旅~エピローグ

2019-10-13 | まち歩き

毎回あっという間に終わってしまう山旅。今回も例外ではなかった。当初は下北半島にも足を延ばして、恐山周辺も歩く予定だったのだが、雨で旅程が短くなったこともあり、あおもり犬を見ることを優先。恐山は次回むつに宿をとってゆっくり行くことにした。

さて、旅の終わりは温泉宿でゆっくりしたいものだ。今回の計画では、松川温泉に泊まることを考え、洞窟岩風呂で有名な松楓荘には泊まったことがあるので、ほかの宿にしようと調べていた。松川温泉は3軒のみで松楓荘を除けば2択となり、ほとんど直感で峡雲荘に決めた。

そして8月15日(木)三ツ石湿原から下ってきたその夕方、この宿にチェックインした。

この宿の売りは、なんといってもゆったり浸かれる露天風呂だ。渓谷沿いにつくられた広々とした白濁の湯。ただ混浴なので、女性は入りにくいかもしれない。

夕食は部屋食でお膳が運ばれてくる。山菜や岩魚など素朴ながら山の幸がすばらしい。山の神と私は短角牛のすき焼き(写真は撮っていなかった)もオプションでつけ、生酒をするすると飲みながら、料理を堪能した。

ぐっすり寝た台風一過の早朝、葉っぱや枝がぽつぽつと落ちている露天風呂に浸かったのち、ゆっくりと朝食。

名残を惜しみながら、8月16日(金)9:00前に宿をチェックアウトし、一路自宅へ向けて出発した。予定より早く出発したのは正解で、東北道の交通量は予想より多く、都内に入ってからは渋滞に巻き込まれた。

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「わだば日本のゴッホになる」の棟方志功記念館へ

2019-09-21 | まち歩き

 入館料500円

棟方志功記念館を20数年ぶりに再訪した。前回は忘れもしない、台風に振り回されたときだった。小樽から新潟行きのフェリーに乗る予定だったのに強風により欠航となり、払い戻しを受けて小樽から函館へ移動。キャンセル待ちに並びギリギリフェリーに乗れるかというところでアウトになった。風雨が激しくなるなか、函館のフェリー埠頭で身を縮こませ、待合室にいたり、車に戻ったりを繰り返していた。

風雨が収まった未明になって、フェリーが動くとアナウンスが入り、たしか4時くらいに乗り込んで青森に渡った。こうしてだしぬけに青森から東京まで車で帰ることになったのだった。しかも当時は軽自動車、HONDAビートに乗っていたから、一所懸命アクセルを踏んで東北道をひたすら走り抜けたのを覚えている。

さて、青森に上陸し、このまま帰るのはもったいないと、昭文社の道路マップに目を凝らした。当時はカーナビなんて豪勢なものはなかったので、検索することもできない。道路マップで面白そうなところはないかと探して目に止まったのが、この棟方志功記念館だった。

再訪してみて、こんなに小さな建物だったかと前回のことをほとんど覚えていないことに、われながら驚いた。展示室の前では、ご案内映像を四六時中ループで流しており、ほとんどの来館者は熱心に見ていた。山の神と私もそれに倣いディスプレイの前の椅子にどっかと腰を下ろした。

この映像を見ていて、私は記憶の断片が蘇ってきた。志功じいさんのせっかちなふるまい。たとえば子どもたちの版画の審査をするにも、散策するにも、そして絵を描くときも、まるで時を惜しむように「スピード命」の姿勢を貫いている。キャンバスに向かったときの筆の速さはカーレーサーなみで滑稽なほどだ。そしてなによりも印象的なのは、板木(版木)を彫るシーン。ど近眼のため、板木に頬ずりするくらいめいっぱい近づいて彫っている。棟方志功に興味がある方なら、そのシーンを必ず1度ならず見ているだろう。

映像を見た後、山の神と展示室へ移動した。こぢんまりとしたスペースで展示作品は多くない。生前志功は展示作品数を減らし、入れ替えを多くするように指示していたようだ。このときには志功の代表作品である「二菩薩釈迦十大弟子」や、鷹の倭画などが飾られていた。

やはり、個人的には板画(志功は版画ではなく、「板画」という呼称を好んで使っていた)がいい。なんともいえない味わいがあって、構図も独特。とくに「二菩薩釈迦十大弟子」は素通りできないオーラを発していて、ためつすがめつ見ることを強いられる。いずれまた思い出せば観賞したくなる作品であることは間違いない。

 

岩手山麓三ツ石湿原へとつづく
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