
森吉山の山行記に行く前に、やはり触れておかねばならないかと筆をとった。森吉山のぬしともいうべき人物に出会った。O氏としておこう。O氏は、森吉山に四季を問わず年に2,3度は訪れるという。ここが故郷というわけではなく、お住まいは神奈川県平塚で、もともと縁もゆかりもない。たまたまこの森吉の魅力を知ってしまい、何度も足を運ぶようになったとか。O氏が森吉山を訪れるときに拠点にしているのが、写真のテレマーク山荘 森吉山だ。たまたま山の神と私は、翌日の森吉山山行を控え、近くて便利なところを探してここを見つけた。
さて、山の神と私がテレマーク山荘にチェックインしたときに会合が行われていた。後からその中身を聞かされたのだが、この森吉山界隈の観光振興策について意見を交わしていたとのこと。もちろん会合は地元の有志たちが集っていて、喧々諤々やっていた。そこにO氏が割って入り、まず交通機関の充実を提言したというから驚きだ。森吉山のいくつかある登山口を結ぶ循環バス(マイクロバス)を設けたらどうかと。たしかにマイカーで来ても、必ず停めた場所に戻らなければならないから、行動は制限される。ましてや公共交通機関では、本数が少なくて不便だし、タクシーは高いし、台数もそれほどない。夏が終われば、紅葉の季節に観光客は来るけれども、ゴンドラで眺められる阿仁スキー場側限定になる(登山者は別として)。ほかにも森吉山を堪能できる場所はいくつもあるというのに。それをずばりと指摘したのがO氏だ。ジモティ以上に森吉を知る男だ。
宿での晩メシ後、こっちに来ないかとO氏のテーブルに誘われた。なぜかO氏は、ジモティのお友だちが大勢いて、平日の夜だというのにK氏が呼ばれていて一緒に酒を飲んでいた。O氏は話好きで気さく、とにかく人懐こい。風貌は、髪を伸ばしていて後ろで束ねているという独特のファッションで故水木しげる似。十分すぎるくらい人を吸い寄せる魅力を兼ね備えている。すっかりその魅力にとりつかれたジモティが多いのは頷ける。この界隈のお仲間の結婚式にも出席したことがあるというから、さらに驚きだ。
この夜は、O氏のおもしろい話に夢中になり、22:30頃の遅い就寝となってしまった。でも楽しかった。ちなみにO氏の経歴はかなり特異だった。学生時代は水泳の選手。某自動車メーカーに勤め、膠原病にかかり、早期退職した。趣味はトライアスロンで、山岳レースのトランス・ジャパンのボランティアを上高地で務めたこともあるとか。いまはニッチな仕事を請け負う自営業で自由を謳歌している。ノートパソコンさえあれば、どこでも仕事ができるらしい。奥さんは某芸能プロダクションの経理で、そのせいかやたらとアイドルに詳しく、聞いたことのない名前を挙げては評価を下していた。
翌朝5:00過ぎK氏が仕事のため宿を出て行った。その物音で目覚め、私は二日酔いの頭を振りつつ山支度し、さあ出発という頃、O氏が起き出して来た。そのO氏と宿のマダムにご挨拶をした。
「またどこかで会いましょう!」
すかさずマダムが突っ込み、
「どこかでって言ってるよ」とO氏を振り返った。
「ここだろうよ」とO氏。
「そうですね」と苦笑するしかなかった。
蛇足ながら、O氏の話でもっとも興味深かったのは、田中陽希くんのこと。彼が有名になる前からの知り合いで、陽希くんの次なるチャレンジの話をこっそり教えてもらった。でも公表は時期尚早で、しばらくは内緒なのだそうだ。ということで、ここには書けません。