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目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

腰痛やわらぐ

2017-12-23 | 山雑記

山の神が膝痛のためにだいぶ前に購入していた『NHKためしてガッテンガッテン流!腰痛・ひざ痛 解消の新ワザ』を本棚に見つけた。まったく灯台下暗しというものだ。腰痛のところを見てみると、参考になることがいくつか出ていた。

まず背骨をゆるやかなS字曲線に保つことが重要であると。たとえば、就寝時に仰向けに寝ると、背筋が伸びすぎて反り腰になるからNGと出ていた。横向きに寝るのがベストで、どうしても仰向けに寝たいなら、膝の下に毛布かなにかを入れて膝を上げることが必要であるとしていた。なるほど。私はいつもは仰向けに寝ていたのだが、さっそく横向きになって寝るようにすると、朝起きてすぐに腰に痛みが走ることはなくなった。よし、よしと。それから膝を抱えて丸まる姿勢がいいと書かれていた。そうかもな、ということで、風呂上りにいつもやっているストレッチに追加した。

そして今日、鍼通い4回目。2回目、3回目がさほどの効果を得られなかったこともあり、鍼も効かないかと半ばあきらめムードになりつつあったのだが、今日の鍼は抜群に効いた。過去3回は腰と臀部に鍼を打っていたのを、今回は足の付け根や太もも裏(ハムストリングス)にも打った。施術後、驚くほどすっきりと痛みがとれていた。でもこの状態を持続できるかはわからない。明日朝起きたら、元に戻ってるかもと思うとちょっと怖い。

さあてと、それはそれで仕方ないとして、あとは自分なりに本やWeb、周囲の人たちから情報を得たほうがいいんだろうね。研究だ。

NHKためしてガッテンガッテン流!腰痛・ひざ痛 解消の新ワザ (アスコムBOOKS)
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アスコム
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山に行きたし、されど腰痛し

2017-12-18 | 山雑記

数年前に会社で左遷されて、経理担当になった。来る日も来る日も机に向かってお仕事。もともと姿勢が悪かった。足が短いのに足を組む癖があったり、頬杖ついたり、腕組して机にもたれかかったり、ちょっと斜に構えて調子こいたり……。いかん、いかん。それがいかんのだ。なんとなく腰に違和感を感じ始めていたのに、しかも40代だというのに、体はまだまだ若いと思い込んでいた。とんだ思い違いだった。

そんな思い上がりにトドメを刺したのは、太極拳のストレッチだった。片足を上げ垂直にピンと伸ばして独立歩。そのまま上げた足を横へ90度移動する。ぴりぴりと腰に衝撃を受ける。次に前傾姿勢で腰を90度の角度に折り、壁に手をつけて突っ張って肩を伸ばした。そのまま、動けなくなった。腰は信じられないくらいゆっくりとしか動かせなくなっていた。それでも、少し休むと、まるで何事もなかったように、また動くようになった。しかし家に帰ってからがたいへんだった。腰をかがめるのにも一苦労。椅子にすんなりと座れないほどのダメージだった。腰が悲鳴をあげ続ける。ゆっくりとさらにゆっくりと慎重にも慎重を期して腰の角度を変えて腰掛ける。立ち上がるのもまた同じだ。ゆっくりゆっくりと立ち上がる。そして上体を伸ばすのもゆっくりゆっくりと。完全に腰が崩壊してしまったのだ。

翌朝整体に行って、腰を温め、電気をかけ、こりをほぐしてもらい、ゴリゴリ体をねじったり伸ばしたりして、なんとか元に戻った。先生には左足が骨盤のなかに入っていて、短くなっているといわれた。たしかに思い当たる節はあった。ストレッチしているときに左足のつま先には容易に手が届くのに、右足のつま先にはやっと手が届く程度だった。

このときから私は残念な腰痛持ちの中高年になってしまった。

そしていま、3回目の整体通い。今回は深刻でちっともよくならない。最悪のときは、腰に手を当てていないと歩けないほどだ。今回は症状がひどかったときが日曜だったこともあって、日曜営業の整体医院を訪れた。そこでは激しくゴリゴリ体をいじられた。ほぐれた感じはあったものの、医院から出て、家に戻る途中で、もうアウトだった。痛くてまともに歩けない。4回通って、症状にまったく改善が見られないので、ここは見切りをつけた。

次に試したのが鍼。1回目は抜群の効果があって、もう1回行けばほぼ完治かと思った。でもまたぶり返した。そこで会社でデスクワークしているときの姿勢が悪いのかと普段の姿勢を気をつけていたら、だいぶマシになった。とはいってもまだ時折痛い。腰痛はこれからも続くのか、いつになったら、山のぼらーに戻れるのだろうか。

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京都滞在中に300名山の愛宕山計画

2017-11-23 | 山雑記

京都滞在中に山登りを計画した。日帰りでそんなに長くないコースはないかと検索して調べてみると、人気なのは日本300名山になっている愛宕山だった。そういえば、昔京都の友だちから聞かされていたような、、、

さっそく大垣書店で昭文社の山地図「京都北山」を購入し、計画書をつくった。バスの時間がネックになるなと思いながら、いろいろ調べていると、滞在地にほど近い二条駅からバスに乗れることを突き止めた。京都バス62番「嵐山・清滝行き」二条駅7:29発だ。

所要時間は地図によれば、おおよそ以下のようになる。

清滝バス停--10分--表参道--2時間--水尾分かれ--40分--愛宕神社&山頂から月輪寺経由--1時間20分--清滝バス停 合計4時間10分
※時間に余裕があればヒグラシの滝と空也の滝にも

帰りのバスは、92番か94番(1時間に2本;02 32)で阪急嵐山駅へ。

よし計画は万端。と思いきや信じられないことが起きてすべてはおじゃん(死語?)になった。10月も下旬だというのに台風が来たのだ! 2週連続というのもすごい。まさかの連続襲来。気象情報で熱帯低気圧の発生を聞いたときに嫌な予感はしたのだが、現実になってしまった。こんなこともあるのか。あ~あと悶々とした週末を過ごすことになった(でも祇園で呑んでいたのはこの土曜日だった)。

いずれまた、京都に山登りに来ることもあるだろう。研修終了の翌日11/3(金・祝)の朝に登山靴や着替え、本などを詰め込んだザックを、東京の自宅にヤマトで送り返した。

山の神との京都観光につづく

山と高原地図 京都北山 2017 (登山地図 | マップル)
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昭文社

 

 

 

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森吉のぬしに会う

2017-10-08 | 山雑記

森吉山の山行記に行く前に、やはり触れておかねばならないかと筆をとった。森吉山のぬしともいうべき人物に出会った。O氏としておこう。O氏は、森吉山に四季を問わず年に2,3度は訪れるという。ここが故郷というわけではなく、お住まいは神奈川県平塚で、もともと縁もゆかりもない。たまたまこの森吉の魅力を知ってしまい、何度も足を運ぶようになったとか。O氏が森吉山を訪れるときに拠点にしているのが、写真のテレマーク山荘 森吉山だ。たまたま山の神と私は、翌日の森吉山山行を控え、近くて便利なところを探してここを見つけた。

さて、山の神と私がテレマーク山荘にチェックインしたときに会合が行われていた。後からその中身を聞かされたのだが、この森吉山界隈の観光振興策について意見を交わしていたとのこと。もちろん会合は地元の有志たちが集っていて、喧々諤々やっていた。そこにO氏が割って入り、まず交通機関の充実を提言したというから驚きだ。森吉山のいくつかある登山口を結ぶ循環バス(マイクロバス)を設けたらどうかと。たしかにマイカーで来ても、必ず停めた場所に戻らなければならないから、行動は制限される。ましてや公共交通機関では、本数が少なくて不便だし、タクシーは高いし、台数もそれほどない。夏が終われば、紅葉の季節に観光客は来るけれども、ゴンドラで眺められる阿仁スキー場側限定になる(登山者は別として)。ほかにも森吉山を堪能できる場所はいくつもあるというのに。それをずばりと指摘したのがO氏だ。ジモティ以上に森吉を知る男だ。

宿での晩メシ後、こっちに来ないかとO氏のテーブルに誘われた。なぜかO氏は、ジモティのお友だちが大勢いて、平日の夜だというのにK氏が呼ばれていて一緒に酒を飲んでいた。O氏は話好きで気さく、とにかく人懐こい。風貌は、髪を伸ばしていて後ろで束ねているという独特のファッションで故水木しげる似。十分すぎるくらい人を吸い寄せる魅力を兼ね備えている。すっかりその魅力にとりつかれたジモティが多いのは頷ける。この界隈のお仲間の結婚式にも出席したことがあるというから、さらに驚きだ。

この夜は、O氏のおもしろい話に夢中になり、22:30頃の遅い就寝となってしまった。でも楽しかった。ちなみにO氏の経歴はかなり特異だった。学生時代は水泳の選手。某自動車メーカーに勤め、膠原病にかかり、早期退職した。趣味はトライアスロンで、山岳レースのトランス・ジャパンのボランティアを上高地で務めたこともあるとか。いまはニッチな仕事を請け負う自営業で自由を謳歌している。ノートパソコンさえあれば、どこでも仕事ができるらしい。奥さんは某芸能プロダクションの経理で、そのせいかやたらとアイドルに詳しく、聞いたことのない名前を挙げては評価を下していた。

翌朝5:00過ぎK氏が仕事のため宿を出て行った。その物音で目覚め、私は二日酔いの頭を振りつつ山支度し、さあ出発という頃、O氏が起き出して来た。そのO氏と宿のマダムにご挨拶をした。
「またどこかで会いましょう!」
すかさずマダムが突っ込み、
「どこかでって言ってるよ」とO氏を振り返った。
「ここだろうよ」とO氏。
「そうですね」と苦笑するしかなかった。

蛇足ながら、O氏の話でもっとも興味深かったのは、田中陽希くんのこと。彼が有名になる前からの知り合いで、陽希くんの次なるチャレンジの話をこっそり教えてもらった。でも公表は時期尚早で、しばらくは内緒なのだそうだ。ということで、ここには書けません。 

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日光白根山で山の神が拾った「寛永通寶」

2017-07-30 | 山雑記

 2007年に山の中で拾った古銭2枚。「開元通寶」(左)と「寛永通寶」

2007年6月17日(日)鉢伏山から二ツ山に移動中に、私は「開元通寶」を拾った(参考:当ブログ「鉢伏山&古銭を拾った二ツ山」)。上の写真の左側の欠けたやつだ。そして同じ年の8月26日(日)今度は山の神が日光白根山へ登っているときに「寛永通寶」を拾った。山の神の古銭を拾いたい、見つけたいという念が通じたのか、あるいは絶対見つけるぞと地面を凝視していたのかはわからないが、偶然同じ年に山中で古銭を拾うという僥倖を得た。古銭を拾ったのは、後にも先にもこの年だけだ。

山の神が寛永通寶を見つけたのは、日光湯元温泉スキー場から荒れ荒れの登山道を上がっているときだった。台風なのか、豪雨なのかはわからないけれど、土壌が削られて埋もれていたものが、ひょっこり顔を出したのだろう。かなりの斜度の場所で、否が応にも地面に顔が近づいたから、もしかしたら必然(運命?)の出合いなのか。

山の神は文字通り「寶」として、いま厳重に保管している。

また古銭を見つけたいけど、そうは問屋が卸さないか。

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