いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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いわき鹿島の昔ばなし31

2013-05-16 07:29:33 | Weblog
                               分類:歴
   馬は農家にとって家族の一員

 鹿島地区の各所に馬頭観世音の碑が多く見られるが、それらの場所は農耕地跡や急な坂道のようなところにあるのが多い。これは馬の行路安全を祈願して建てられたり、急死した場所に供養塔の意味を込めて建てられたからです。
      
     《走熊地区の農道に建つ馬頭観音の碑》      《農作業に向う農夫と馬

 昭和28年10月まで12大字が鹿島村だったが以降、小名浜町になり、昭和29年3月に磐城市(上矢田・松久須根・三沢は常磐市に編入)となり、昭和41年10月に現在の「いわき市鹿島町」(前述の3地区は、いわき市常磐)になった。
 そこで、鹿島村だった頃の馬匹数を調べてみた。

   明治 2年  牝 124頭  牡15頭   合計139頭
   大正 元年                   118頭
   大正13年                   177頭
   昭和 7年                   177頭
    △この年の全戸数による平均的な馬の頭数は0,6戸に1頭の割合になる。
   昭和17年                    89頭
   昭和20年                   120頭

 昭和30年代に至っては馬から牛へ替わった事情や、農耕機械化・化学肥料の普及などにより、昭和56年には鹿島からは馬の姿は完全に消えてしまった。
 昭和の初期まで馬は農家の財産で、人と馬は運命共同体として大切に扱われ賄いは嫁か長男が行い、しかも人よりも早く餌が与えられた。
 その馬も発作的な腹痛からくる死や、背に荷物を積んで山越えの途中で絶命したりで、飼い主を悲嘆させることが数々あった。
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