分類・歴
嫁さま探し
明治22年4月1日に町村制が実施され、それまでの戸長制を廃止して町村長を置くことになった。
この時、遭い隣り合う12の村落が一団して 『鹿島村』 が誕生した。
また、磐城・磐前・菊多の3郡を合併して石城郡(いわきぐん)としたのは明治29年4月1日からだった。
《昭和30年頃の結婚式》
石城郡鹿島村(現・いわき市鹿島町※一部〈常磐〉が付く町名あり)は、平藩、湯長谷藩、幕領の支配下から集められて構成されていたので、それぞれの部落にはその部落としての特徴や風習があった。
例えば、結婚の相手(嫁)探しにしても部落によって候補者範囲が異なっていたようで、大別すると次のようになる。
①同じ部落(大字)内から ②鹿島村内から ③浜の方から ④山の方から
註釈 : 浜の方とは小名浜・江名・豊間・四ツ倉などで、山の方とは三和・赤井・平窪・遠野・高久・好 間などをいう。
◇松久須根=主として部落内から選ばれ結ばれた。
◇三沢=山の方からだが特に遠野方面から。
◇走熊=平窪、高久の方からが多い。
◇下蔵持=比較的に鹿島地域からが多いが、浜の方からの人もいる。
◇船戸=鹿島地域からも居るが平地域からも多い。
◇久保=この部落は圧倒的に山の方の人たちが多い。
◆これらの傾向は、一度ある地区(海・山)方面から嫁をもらうと、その地域と情報交換が出来
るようになり結婚適齢期の娘がいると薦めたり、薦められたりして結局長い間には、その部落
によって特定の地域から嫁が集まってきたという訳だ。
嫁さま探し
明治22年4月1日に町村制が実施され、それまでの戸長制を廃止して町村長を置くことになった。
この時、遭い隣り合う12の村落が一団して 『鹿島村』 が誕生した。
また、磐城・磐前・菊多の3郡を合併して石城郡(いわきぐん)としたのは明治29年4月1日からだった。
《昭和30年頃の結婚式》
石城郡鹿島村(現・いわき市鹿島町※一部〈常磐〉が付く町名あり)は、平藩、湯長谷藩、幕領の支配下から集められて構成されていたので、それぞれの部落にはその部落としての特徴や風習があった。
例えば、結婚の相手(嫁)探しにしても部落によって候補者範囲が異なっていたようで、大別すると次のようになる。
①同じ部落(大字)内から ②鹿島村内から ③浜の方から ④山の方から
註釈 : 浜の方とは小名浜・江名・豊間・四ツ倉などで、山の方とは三和・赤井・平窪・遠野・高久・好 間などをいう。
◇松久須根=主として部落内から選ばれ結ばれた。
◇三沢=山の方からだが特に遠野方面から。
◇走熊=平窪、高久の方からが多い。
◇下蔵持=比較的に鹿島地域からが多いが、浜の方からの人もいる。
◇船戸=鹿島地域からも居るが平地域からも多い。
◇久保=この部落は圧倒的に山の方の人たちが多い。
◆これらの傾向は、一度ある地区(海・山)方面から嫁をもらうと、その地域と情報交換が出来
るようになり結婚適齢期の娘がいると薦めたり、薦められたりして結局長い間には、その部落
によって特定の地域から嫁が集まってきたという訳だ。
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