分類:村 庄屋の跡目を果たした 志賀久吉 弘化4年(1845)~大正7年(1918)9月 享年73歳 いわき市鹿島町下蔵持戸ノ内27
生まれは、旧・湯長谷藩下蔵持邨(むら)ということになる。 生家は祖先、志賀福右衛門依頼、代々名字帯刀を許されて、上・下蔵持、久保、江名、豊間各村の庄屋兼帯割頭の役職を世襲していた。
久吉が最初に公職に就いたのは明治10年の上・下蔵持村什長で当時30歳だった。翌11年には早くも福島県第20区区会議員に推され、13年3月には上・下蔵持、久保、走熊4ケ村の戸長を拝命した。
以後、諸々の役職を重ね明治15年には菊多、磐前・磐城の3郡選出の県下連合会議員に選出されるという立身の早さであった。明治22年の鹿島村誕生と共に村会議員、助役、収入役にも就任した。 公職中に官より賞を受けること10数回という、東奔西走の政治活動に徹した。 祖から引き継いだ政治宿命を見事に果たしたことで、明治時代を意欲的に生き抜いた傑物の一人として記録にとどめられている。